003.
「……アイツら、どこに行く気なんだ?」
荷物なんて文庫本数冊くらいしか入っていない鞄を抱え、私は柱の影に隠れていた。
常から思っていたが、物語の中で隠れながら何かを覗く描写、アレはどうしたらスムーズにできるのだろうか。スムーズというか、なんというか……楽な姿勢で、かつバレずに。
できるわけがない。現に今、こうして四苦八苦しているのだから。
覗くためにはまず、目が物陰から出ていなければいけない。そうすれば自然と、目より上のかなりの範囲が晒されてしまう。隠れることを目的としていながら、それだけの部分が露出してしまうのはかなりの痛手だ。振り替えられてはすぐにバレてしまう。
「……まあ、アイツら相手にそんな心配はいらないだろうけど」
目にしたものの真相を確かめようと躍起になっているヤツのことだ、周りなんてどうせ見えてはいない。
昨日の朝にも思ったことだが、ヤツはどうにも歪だ。周りと同じが良い、などと言いながら、周りをまったく見ていない。それでどうして同じになどなれようか。
「ええい、アイツのことはどうだっていい。それよりも、だ」
私が気になっているのは、ヤツと同じ証言をした一年生の方だ。
あの子は確実に嘘をついている。根拠だってある。だが、それを疑う根拠にしてしまうには少しばかり、嘘が小さすぎる。
その小さな嘘の裏に、大きな目的があるはずなのだ。
久々の楽しみに、思わず笑みが零れる。
――私は、鍵山柚月という少女の顔に〈道化〉の仮面を見た。
◆
「落ちてきた、とすれば、ここからのはずだ」
屋上へと続く扉の前に立つは三人。僕と、鍵山さんと、そして眞鍋さんだ。
「あのぉ……鍵、閉まってるっぽいですけどぉ」
「こういう時のお約束でさ、立ち入り禁止の屋上は、実は簡単に入れるっていう……あれ、おかしいな、開かない」
ガチャガチャとドアノブを捻るも、一向に開く気配がない。
「わかった、きっとすぐ近くに鍵が隠してあるんだ。それを探してみよう」
そして四つん這いになり、あるかどうかもわからぬ鍵を探し始める三人。
いいや、あるかどうかもわからないのではない。ある。きっとあるのだ。
でなければ屋上の扉を開けないではないか。
「あの……先輩、ありそうもないんすけど……」
「探せ、でなければ何も始まらない」
「……せんぱぁい……普通、鍵は先生が管理してると思うんですぅ」
「それじゃあ容易に屋上に入れないじゃないか」
屋上は、生徒が自由に立ち入りできてこその屋上だ。立ち入り禁止なんて言いつつも入れてしまう屋上というのはお約束だろうが。
しかし、彼女達の言うとおり鍵なんて見つからず、どうやっても屋上に入れることはなく。
「ああああもうねえじゃねえかよ!!」
「っ!? ちょ、急に大声出さないでくださいよ先輩。ビビったじゃないっすか」
「ああ、ごめん。ちょっと思い通りに行かないのがイラっときて」
そのイライラも、大声を出したことで幾分かスッキリしたが。
「仕方ない、一度出直そう。……というか、屋上は入れないものとして考えた方がいいかもしれないな」
さっきはお約束だなんて口にしたが、それは漫画や小説という架空の世界でのお約束だ。現実において、そんなお約束が通じるはずもない。
少し考えればわかることだったのに、なぜ気付かなかったのだろう。探偵ごっこに浮かれていたからか。
「……それ以上に、ここしかない、っていう先入観があったからか」
「先入観が、どうした?」
「へ」
屋上から四階へと下る階段の下。考え事をしていて前方を見ていなかった僕は、誰かにぶつかった。
「歩く時は周囲に気を配れ。自分だけならばいいが、他人にまで迷惑をかけるつもりか」
「……ああ、すみません」
顔を上げれば、そこにはこの一年で見知った顔があった。
現代国語担当にして、去年一年間、僕の所属していたクラスを受け持っていた教師――金澤。堅物、能面、機械など様々なあだ名を生徒につけられていたはずだが、そのレパートリーから金澤というのがどんな人間なのか、想像は容易であろう。
「この階段の先には屋上しかないはずだが、こんなところで何をしている。……鍵山と眞鍋まで連れて」
「ぇあ? 先生、この二人を知ってるんですか」
「……知ってるも何も、俺が今年度受け持ったクラスの生徒だ」
そんな接点があったのか。後ろにいた鍵山さんに視線を送ると、「っす」という語尾だけが返ってきた。肯定のつもりだろうか。
「話を戻そう。こんなところで何をしている」
逸らした話をわざわざ戻しやがったこの教師。
しかし、マズいな。再三言うが、屋上は基本、生徒は立ち入り禁止だ。その屋上へと続く階段から降りてきたところを、まさか教師――よりにもよって金澤に見られてしまうとは。
僕がいつまでも答えないでいると、背後から暢気な声が挙がった。
「あーはいはい、今朝先生に話したじゃないっすか、空から落ちてきた人のこと」
声の主はもちろん鍵山さんである。教師にまでその話をしていたのか。僕はしていない。同年代ならばともかく、大人にそんな話をしたところでバカにされるに決まっている。こんなおかしなことを言うなんて、と心配されるのも真っ平ごめんだ。
だが、鍵山さんにとってはそうでもないらしい。信じてくれるならば誰でもいい、という意思さえ感じる。……だが、金澤がその話を信じたとも思えない。
「その作り話がどうした?」
作り話。やはり信じてもらえていないようだ。
だが鍵山さんはそんなこと意に介さず、
「この先輩もウチと同じ光景を見た、ってんで、真相を探ろうと手伝ってもらってるんすよ。んで、落ちてきたなら屋上からだろうっつって。でもこの学校、屋上立ち入り禁止じゃないっすか? それを確かめて、今降りてきたところっす」
…………。
嘘は、言っていないか。
だが、つらつらと言葉を並べる鍵山さんに、些細な違和感を覚えた。それは、僕が鍵山さんに見た第一印象との差異があるからか。
ふと思い出される鉄輪の言葉。
――あの子……鍵山って子、嘘ついてるよ。
第一印象は頭の弱そうな後輩。しかし、金澤に対し臆することなく事実を連ねていく彼女は、そのイメージに該当しない。理路整然と説明できるアホなど普通ではない。
「そうか。危ないことだけはするな」
「っす!」
全てを簡潔に、わかりやすく述べ終えた鍵山。それで納得したのか、金澤はそれ以上の追及はしてこなかった。
そしてそのまま、金澤は屋上へと続く階段に足をかけ――、
「あれ、先生、屋上に行くんですか?」
「……ああ、そうだ」
見ればその右手には、屋上のものであろう鍵が握られていた。やはり鍵は職員が管理しているようだ。
「その鍵ってスペアとかあります?」
「いいや、これ一つのみだ。ゆえに、管理は厳重にされている。……間違ったって、生徒だけで屋上に入ることは不可能だ」
僕が聞こうとしたことを先読みしたかのような返答を残し、金澤は階段を上っていく。
「……生徒だけじゃ無理、か」
ならば、
「教師となら、行けるかもしれないよな」
◆
「で、教師と生徒の共犯、もしくは教師単体での犯行、って考えたんだ」
「……だから?」
またまた朝の通学路、鉄輪の後ろ姿を見かけた僕は、駆け寄り、昨日の放課後の顛末を話していた。
その結論まで行き着き、ドヤ顔を披露してみせたところでこのウンザリ顔だ。
「いや、それだけだけど。聞いて欲しくて」
「構ってちゃんかよ。女子がしても酷いけど、男子がする分にはもっと酷いな」
朝から嫌なものを見た、と口元を押さえる鉄輪。その仕草でさえいちいち可愛い。美少女というのは卑怯なものだ。
「……なんだよ、人の顔ジッと見て」
「いいや、可愛いは正義なんて言うけど、アレ嘘だよな、って。可愛いは卑怯だ」
「…………、…………、……いきなり何言ってんだアンタ」
「顔がこっち向いてないんだけど。誰に向かって喋ってるの?」
「うるさい」
鉄輪の左を歩く僕。その反対側に顔を向ける鉄輪。その首の動きはどう考えたって不自然で、痛そうである。
「まあ、そんなわけで」
「どんなわけだよ」
「今日もまた、放課後にいろいろ調べてみるつもりなんだけど。……なあ、鉄輪。手伝ってくれたりは――」
「しない」
「……はあ」
断られるとは思っていたが、いざ実際に断られるとショックだ。今は恋愛感情など皆無である。しかし、一度は惚れた相手にここまで素気無い態度を取られると少し傷つく。
普通はそういうものだろう?
「……しない、けど。一応聞いてやる。今日の放課後は何をするつもり――」
「聞いてくれ鉄輪今日は生垣に落ちたはずの死体がどこに消えたのかを捜すつもりなんだけど僕と鍵山さんと眞鍋さんとじゃ人手が足りなさ過ぎて困っている猫の手も借りたい状況で鉄輪が手伝ってくれたら泣いて喜ぶくらいなんだ」
「鬱陶しい!」
「わかってる、手伝ってくれないんだよな。たださ、これからの動きを伝えておくことで、途中参戦を容易にしやすく、と思って」
「思考回路が気持ち悪い……」
本気で嫌そうな顔をされた。人に仮面を被れと言うのなら、自分だってそういう表情をもっと隠して欲しいと願うのはおかしいだろうか。
「さーて、今日はどこから探そうかなーまずは部室棟からかなー、いかにも何かありそうだしなー」
「うざい……」
僕は教室に着くまでそんな調子だった。
◆
「あれ、帰るんだ」
「帰る」
昨日と似たようなやり取りを交わし、鉄輪が帰るのを見送った。それとすれ違うように、鍵山さん、眞鍋さんが教室に入ってくる。
「遅れてすみません! 授業長引いちゃって……」
申し訳なさそうにそんなことをいう鍵山さんに、僕はどう返すべきだろうか。
遅れてきた相手に対し普通は、
「ううん、大丈夫。今来たところだから」
「へ」
「ん?」
変な顔をされてしまった。見れば眞鍋さんも同じような顔をしている。何かおかしいことを言っただろうか。
「今来たとこって……ここ、先輩のクラスっすよね?」
「うん? そうだけど?」
「最初からいるのに、今来た、なんてちょっと変じゃないっすか?」
「変だな。普通じゃない」
「……っすよね」
「ああ」
確かにそれは変だが、このタイミングでそんな話をする意味はなんだろう。口をポカンと開けたまま固まる鍵山さんは、やがて、ぎぎぎ、と動き出し、
「さーて、今日は消えた死体探しっすよね! どこから行くっす?」
なんて、唐突な話題転換をした。自分から始めた会話なのに、変な子だ。
まあそれは置いておき。
鉄輪にも言った通り、今日は部室棟から調べることを伝える。
「部室棟っすか……確かに、隠すならうってつけの雰囲気っすね」
「……でもぉ、雰囲気だけだよねぇ」
昭和から続くこの学校の校舎は、度々改修されている。増設された教室、補強された天井。その一部に、部室館がある。古くなっていた部室棟を、広く、強い造りの大きな建物に移した建物である。
では、古くなった部室棟はどうなったか。
「壊されたわけじゃなくて、今でも各部の倉庫として使われている……、と」
いやあ、モノの再利用って素晴らしい。部活に所属していない生徒からすれば、正直不気味だし邪魔でしかないが。
まあそこは問題ではない。では何が問題なのか。鍵山と眞鍋の言葉の意味とは。
「未だに使ってる人がいる、ってところが問題なんすよね」
「死体を隠すならぁ……そんな危険なところ、選ばないと思いますぅ」
わざわざ死体を隠したのだ。見つかっては困るのだろう。であれば、見つかる可能性のある場所に隠すなんてするはずがない。
でも、
「生垣からは近いし、何より『絶対に見つからない場所』なんて普通は存在しないんだ。だったら探す価値はあると思う」
「……まあ確かに、そうっすけど」
何やら気分が乗らないようで、鍵山さんはうんうんと唸っている。
そんなに僕の考えに賛同しかねるだろうか。
同意を得られないのであれば、また別のところを候補に上げるべきだが、そうすると鉄輪に伝えた予定が狂うのだが。
「――探してみましょうかぁ」
そんな時、助け舟を出したのは意外な人物だった。僕と鍵山さんとで膠着しているのなら、その状況を動かせるのはあと一人しかいないのは確かだ。だが、それでも彼女が出すとは思わなかった。
眞鍋さんだ。
「案外、そういうところにあるのかもしれませんしぃ」
「おおおお、眞鍋が積極的に提案するの珍しいっす」
「じゃあ、二対一。多数決で探すことに決定、っと」
「ええっ!? ウチまだ探すとは……」
僕と眞鍋さんで「え、ここまで来て反対するの?」という視線を向ける。
「な、なんすか……ええぇ、ウチ正しいことしか言ってないのに、なんで悪者みたいな扱いを……ああもうわかったっすよ探しますからその視線もうやめて!!」