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仮面=ラヴァー  作者: 三ノ月
〈化猫=オーバル〉
17/38

017.



 六月に入り、雨の日が増えた。

 じめじめと暑いか、雨に濡れて寒いか。どちらであっても不快極まりないこの季節が僕は嫌いだ。そもそも水場が嫌いなのだ。雨なんてそこかしこに水溜まりを作る存在、なぜ好きになれようか。

 しかし鉄輪はそうでもないらしく、

「雨? 私は好きだけど」

 道端に咲く花を指し、

「雨に濡れる花ってのは良いモンだよ。日に照らされる花よりよっぽど花らしい」

「……花は、日に当たって育つのに?」

 だからだよ。鉄輪はそう言った。

「ぽかぽかと暖かい環境で育つよりも、しとどに降る雨の中、それでも負けじと咲く花は強くて、綺麗だ」

 そんな言葉を口にする鉄輪は、詩的で、素敵だ。……何を言っているんだ僕は。

「なんか鉄輪らしくないな」

「はっ!?」

 気恥ずかしさを誤魔化すべく呟いた言葉に、彼女は赤面する。その仕草一つ一つが既に可愛い。

 ――やさしくない環境で育つ花は美しい、か。

 僕は普通に、やさしい環境で育つことに憧れる。


 ◆


「ああ、もうどうしよう……」

 朝、教室前でウロウロする三年女子を見た。印象的な金髪だ、見間違えるはずがない。

「どうしたんですか、黄村先輩」

「ひぃあ!? え、ぁあ!? ……あ、ああ、おしるこさん」

 なんだ、おしるこさんって。

「……知り合い?」

 鉄輪の視線が僕に向けられる。頷くと、「そう」とだけ言って鉄輪は教室の中に入っていった。

「あ、あれ? いいの……?」

「いいって、何がですか?」

「今の子、仲良いんじゃ……」

 鉄輪のことか。……仲が良い、のだろうか。確かにクラスの誰よりも話すが、友達という言葉で片付けて良いものかという気がしてくる。友達にしては距離感が微妙だし、かといって単なるクラスメイトというわけでもなし。

 まあとりあえず、先輩が気にすることはないということだけは確かだ。

「大丈夫ですよ、カノジョってわけでもありませんし。何度もフられてますし」

「えぇ!? ……あ、なんかその、ごめんなさい」

 なぜ謝る。

「それより、こんなところでどうしたんですか? 二年生の誰かしらに用があるんですよね、きっと」

 三階にあるのは二年生の教室と、教材倉庫のみだ。用があるとすればそれ以外に考えられない。

「ああ、うん。そうなんですけど……っていうか、二年生だったんだ。それじゃあ敬語とか要らないよね」

 スカートのチェック柄の色やネクタイで学年を見分けられる女子とは違い、この時期の男子は唯一見分けられるネクタイをつけない。ブレザーも脱ぎ、ワイシャツだけで過ごすのが基本だ。そのため学年がわからなかったのも無理はない。

「それで、用、用だよね。実は、この人を探してて」

 黄村先輩が見せてくれたのは生徒手帳。そこに書かれていたのは、

「鏡、兄亮……あれ、なんかどこかで聞いたことあるような」

「知ってるの!?」

 ごめんなさい、誰かはまったくわかりません。

 所属を見れば、二年生所属ということしか書いていない。しかし、各学年六つしかクラスはないのだ。一つずつ聞いて回ればいいと思う。

「で、できない。そんな恥ずかしいこと、できない」

「……あー」

 青ざめながら首をブンブンと振る先輩。

 たまにいる。人と言葉を交わすことが極めて苦手な人間が。黄村先輩もそれなのだろう。

 気持ちはわからないでもない。僕だってそれなりに緊張はする。だがこの人は、緊張の度合いが段違いなのだろう。

 ところで、二年生の教室の前でウロウロするのは恥ずかしくないのだろうか。

「恥ずかしいに決まってるじゃない……! でも勇気を振り絞ってここまで来たの。来たけど……どうすればいいのか、わからなくなって」

 なんだろうか、すごく庇護欲が湧く。哀れ、ここに極まれり。

 このまま放っておくのも忍びない、と思わせる何かがある。

 きっと、漫画であればここで『手伝いましょうか?』の一言が出てくるのだろう。でも僕は漫画の世界の住人ではない。

「あー、難しいだろうけど、頑張ってくださいね、探すの」

「えっ」

 まだHRの時間には早いが、余裕を持っておくに越したことはない。僕は教室の中へと「ま、ま、待って!」はいなんでしょう。

 足を止めて振り返ると、そこには今にも泣きそうな顔をした黄村先輩がいる。泣きそう、というだけで実際に泣いているわけでもないが、妙に罪悪感が湧いてしまう。

 視線が訴えている。――助けてくれ、と。

 僕は別に、ヒーローってわけではないのだが。

「あれ、先輩。廊下に突っ立ってなにしてんすか」

 そうしているといつもの如く後輩たちがやってきた。今日は少し遅いのだな、なんて思いつつ、

「毎日来なくても、って思うんだけどさ、どう思う?」

「たとえ数分しか話せなくとも、ウチは先輩と話していたいんすよぉ。もっと知りたいし」

「……あたしは、たとえ数分だろうと顔も見たくない」

 なら来なければいいのに。

僕が嫌いという憎悪よりも鍵山さんが好きという愛情の方が勝っているのだろう。眞鍋さんも難儀な性格をしている。

「で、その金髪のお姉さんは先輩のお知り合いっすか? 新しい先輩っすか?」

「新しいって……新キャラ登場みたいな言い方」

「だってそうじゃないっすか。先輩、つい最近まで友達ほとんどいなかったんすよね? なのにたった二ヶ月でほら、先輩の周りには女の子がたくさんっす。鉄輪さんにウチ、ゆうちゃんにそこの人。なんすか、ハーレムでも作るつもりっすか?」

「全員に好意を持たれる可能性が万が一にでもあるなら夢は見てみたいねそれ」

「はっはっは」

 なぜ笑う。


「――――っ」


「え?」

 ――――。

 今、舌打ちが聞こえた気がした。しかし鍵山さんは未だに笑い続けているし、黄村先輩はおどおどとしている。ありえるとすれば眞鍋さんか。

 きっと僕らのハーレムを想像してしまったのだろう。言っておくが僕は悪くない、今の。

「初めまして、鍵山柚月っす! 唐突っすけど金髪先輩は恋したことってあるっすか?」

「えぇ!? い、いきなり何を……というか、金髪先輩……」

 恋愛経験など皆無なのだろう、落ち込み始めた黄村先輩を見て首を傾げる鍵山さん。

「いやあ、ウチ、最近ようやく恋ってやつを知り始めたんすけど。ぶっちゃけよくわかんないんすよ。そんで、他の人に聞いてみようかなって。先輩の知り合いなら大丈夫そうだし」

 どんな基準なのだろう。

「ちょっとよくわからない、かな……だって舞、恋したことないもの。そっかぁ、最近は一年生でも恋とかしてるんだぁ……あっははは」

「んん? 恋って誰でもしてるもんじゃないっすか?」

「はぐぅ!?」

 鍵山さん、わざとやってるんじゃなかろうか。

「ああ、ほら、そろそろHRの時間になるよ。戻った方がいい」

 僕がそう催促すると、やべ! と言いながら二人は四階へと戻って行く。

 黄村先輩も戻らなければいけないだろう。しかしその場から動かず、

「恋……恋ってなんなの。教えてキューピッド、舞に、恋を……恋する気持ちを……」

 このまま放っておこうかと思った。


 ◆


 ボーっとしていたからだろうか。つまらない授業、退屈な時間。昨夜、少し夜更かしをしてしまい寝不足だったこともあり、少々浮ついていたのだろう。

 僕はふと、口にしてしまった。

「恋って、なんなんだろう」

「――――」

 教室が静まり返った。

 倫理の授業では、誰も彼もが静かに過ごす。というか大体が寝ている。そのため教室は、教師の声以外が響かない空間となっているのだが、その教師の声すら聞こえなくなった。

 そうして気付く。今、声に出ていた。

「……何言ってんの、アンタ」

 隣から本気で心配そうな声が聞こえてくる。鉄輪だ。小声ではあるが、やけに明瞭として聞こえる。

 授業中に、僕は何を言っているのだろう?

 回らない頭、ぼやける意識。それらがはっきりと目覚めていき、途端に羞恥心が全身に熱を行き渡らせる。

「あ――」

 教室の至るところから視線を感じる。ああ、僕はなんてことを。

「…………」

 机にうつぶせになって数秒後、再度教師の声が響き始めてからも、僕の顔は真っ赤に染まっていただろう。

 授業が終わり、

「ああ、疲れた……」

 恋とはなんなのか。普段なら考えもしないようなことを口走った原因と言えば、朝の黄村先輩の言葉だろうか。

 ――恋……恋ってなんなの。

 ただただ哀れだと思ったが、そういえば僕だって恋というものを知らない。人生でただの一度だって誰かを好きになったことはないし、近くに恋する人間がいたとしても、それは他人の感情だ。自分が理解できるはずもない。

「鉄輪、恋ってなんなんだ」

「授業中も言ってたなそれ。私に聞くか? わかるはずないだろ」

「鍵山さん曰く、恋は誰でもしているものらしい」

「その基準を私に押し付けるな」

 それもそうだ。恋という感情は一つだけど、その受け取り方は人によって違う。

 鍵山さんにとっての恋とは、誰もが抱いている感情。しかし僕らにとっての恋は未知の感情だ。いつかは経験するのだろうが……なるべく早く、理解したいものだ。

「アンタは、恋したいんだ」

「え?」

 鉄輪は僕の方を向いていなかった。しかし心は僕を向いている。そして問うている。

 恋がしたいのか、と問われれば、もちろん、と答える。普通に恋をして、普通に楽しく過ごして、普通に別れて、そうして大人になりたいと思っている。

 自由に生きられるのは高校生、進学するならば大学生というモラトリアムの時間だけだ。この時間を逃せば、僕は一生思うがままに生きられない。

 社会という、大人という理不尽に身を委ね、好き勝手に弄ばれ、捨てられる。そんな未来が待っているのだろうと考えてしまうから、僕は焦るのだ。

 周囲と同じように、と。

「あ、」

 ……ああ、僕はまた周囲と同じに、だなんて。違うだろう、そうではないだろう。僕がなりたい普通というのは、周囲が被る仮面ではない。

「めんどくさいもんだな」

「……そういうもんだ、人間なんて」

 語る鉄輪は、僕と同い年のはずなのに。まるで人生の全てを見てきたかのような虚無を携え、そこに在る。

「前にも言ったけど、ただ恋をしたいなら、一般的な青春を送りたいなら、仮面を被ればいい。自分を偽り、周囲を騙し、それだけで充実した青春を過ごせるだろうさ」

 つまらなさそうに言う。

 確かに、少し前までの僕はそれを望んでいた。周囲と同じであれば、必然的に青春を謳歌できると思っていたのだ。

 だけど違った。彼らが送る青春は、素顔を仮面で隠した舞踏会のようだ。

 相手の素顔を知りもしないで手を繋ぎ、踊り、身体を寄せる。それは青春とは呼ばず、高校時代に見る夢のようなものなのだろう。

 実際、周囲のカップルのうち何人が高校卒業後も続くだろう。就職して離れ離れになって、それでも彼らは互いを好きだという仮面を被り続けられるだろうか。

 僕は、そうはなりたくないと思ってしまった。

「……鍵山さんと眞鍋さんみたいな恋をするなら、それじゃ駄目なんだろうな」

 鍵山さんと眞鍋さんを見て、彼女たちの醜い素顔を見て、――一途な感情を見て、僕はこうなりたいと思ったのだ。眞鍋さんは少し怖かったけど。

 彼女たちは周囲とは違う。それで良いのだと言う。特別、特別なのだ。

「うん、まあ、そうだろう。あの子たちは……どこまでも、羨ましくも特別だ。それがあの子たちの〝普通〟なんだ」

 その声は、少しばかり落ち込んでいるように聞こえて。

「アンタもああなりたいなら、特別にならなきゃ。いつまでも普通普通って言ってたら無理だよ? 言っている内は、周りと同じ仮面しか被れない」

 それは嫌だなぁ……――、



 ――――なんでそうなの、なんで『普通』じゃないの!!

 ――――どうしてあんたはおかしいの……『普通』になりなさいよぉ!!



 ――――。

「……うん、そうだな」

 僕だって、鍵山さんと眞鍋さんのような、特別な普通を得たい。

 けれど、どう走ったって僕はきっと、普通な普通を手に入れてしまう。

 被りたくもない仮面を被り、周囲と同じ青春を、あるいは誰とも付き合えずに終わるかもだけど、周りと遜色ない高校生活を送るのだ。

 そして卒業して、高校で生まれた関係は掻き消え、また『普通』を歩み始める。

 できることならば、僕だって、

「――僕だって、〝普通〟になりたかった」

 それでも僕を『普通』にしたがる人がいる。僕は、そういう人が引いたレールの上をごろごろ、ごろごろと転がっていくのだ。

 それが僕の人生。

 『普通』に生きることを求められた、僕の人生。

 ふと窓の外を見る。……ああ、どうしよう。今日は傘を持ってきていないのに。

 雨雲が空を覆う。白に近い灰色が色のない雫を零し始めた。











普通と特別がゲシュタルト崩壊してきた。

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