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2 ナギとの出会い―――光と光と一目惚れ

 帝国の暦では三月は「芽月」と呼ばれる。全ての植物が春近付いて芽が青くなる季節だからだという。

 久しぶりに戻った副帝都も、ちょっと見渡せばつぼみのついた木が目に入った。

 駅から自宅までは結構な距離があるのだが、彼女は迎えを嫌う。連絡すれば家人が無理矢理にでも迎えに来るのは判っているので、わざと帰宅日も到着時間も告げなかった。

 それでいきなりばたばたと支度始めるようじゃあね。

 肩をすっぽり覆う大きな白い水兵襟とタイが目立つ制服も、まだ肌寒い季節なので長いコートに覆われて判らない。

 流行の最先端、とまでは行かない程度の帽子を頭に乗せて、彼女は小さな手荷物だけ手に、ぶらぶらと副帝都の乗合馬車のステーションに向かっていた。

 シラの自宅は、副帝都の中心のにある繁華街「六番」からは、乗合馬車で一時間はかかる。乗合自動車ならその半分の時間で済むが、別に急ぐ必要もない。

 まだ時間があるな、とついでのように貼ってある時刻表を眺め、待合いの椅子に掛けていると、商家の隠居のような老婦人が隣はいいか、と訊ねてきた。どうぞと彼女は答える。


「一人ですかね?」

「ええ、学校が休みになりましたので」

「…ああ、じゃあ学都から」

「はい」


 それじゃいいとこのお嬢さんだね、とか頭がいいんだね、とかよく言われがちな言葉が飛んでくる。シラはそれを笑顔まじりで適当に受け流す。


「高等科だね?」

「ええ、その春からです」

「そおお。じゃこれからお勉強も大変だねえ」


 そうですね、とシラは答える。

 だが、でもまだ勉強の方が楽だわ、と彼女は内心思っている。

 何たって学問は答えが出る。たいていは。

 それ以外のことの方がずっと多いし、きっとこの老婦人もそういったことをくぐり抜けてきているだろう。それが生きていく上ではもっと大切だろうし、難しいことだろうと思う。

 だけど大半のこの年頃の女性は中等学校など行ってはいないだろうから、彼女が中等学校の高等科に通っていると聞けば、反射的に「偉いねえ」だの「大変だねえ」だのの言葉を惜しげもなく掛けてくれる。


 あたしにはあなた方の方がよっぽど凄く見えますがね。


 それは真実。本気。やや苦笑する。だけどシラは決して口には出さない。


「それにしても、今度から高等科、だったら、ずいぶん大変じゃあないかね?」

「…ああそうですね。ちょっと勉強とか難しくなりますし…」


 嘘ではない。勉強は初等科に比べてずいぶん難しくはなるだろう。だが、実のところ、シラは勉強には何の不安も持っていなかった。何せ三年間ずっと№3を維持し続けたのである。

 なろうと思えば首席にもなれた。

 だが、なった時のメリットデメリットを考えると、どうもならない方が無難らしい。

 プライドの高い奨学生とか、辺境地の期待を一身に背負ったような留学生や、成り上がり新興貴族のシラよりはずっと上の家柄の令嬢はやっきになって№1を目指す。それが彼女達には必要だからだ。

 自分にとって必要ではない、というつもりはない。だが下手になって敵を増やすのも困る。三番くらいがちょうどいいのだ。

 彼女がとりあえず心配しているところと言えば、結局は住処くらいである。

 寄宿舎であるということは変わらない。だがその内容の差は大きかった。

 初等科の寄宿舎が七人~十人で一部屋を使わなくてはならないのに対し、高等科は部屋こそ小さくなるが、二人部屋になる。

 その同居人は、初等科の時とは比べものにならない程重要である。

 ほとんどの高等科の生徒は初等科の持ち上がりなので、教師も、生徒の交友関係だの成績だのを考慮して部屋割りを決める。

 だがシラは自分が誰と同室になるのか予想すらつけられなかった。

 かぽかぽ、と音がして、乗合馬車がやってきた。走り出すのにはまだやや時間があったが、シラは行く方向は違うらしい老婦人に軽く礼をして乗り込んだ。


 

「ただいま!」


 扉を開けると、執事のクーツがまたですか、と言いたげに顔を押さえた。だが彼も長年この家に勤めている者である。「お嬢様」の気まぐれにいちいち腰は抜かせない。


「お元気そうですね、お嬢様」

「あなたも元気そうね、クーツ」

「本当に… 一度くらいちゃんといつ到着なさるかぐらい御連絡下さいよ…」

「いいじゃない。あたしの家よ。それに今回は、お父様が副帝都へ帰って来なさいって言うから来たのよ。一応近々行くってことは言ったも同じじゃない」


 はあ、とクーツ氏はため息をつく。そういう問題ではないのだ。


「ところで誰かお客?」

「え? あ、はい、どうして判りましたか?」

「お父様一人にしちゃ、マンダリンやフィネがちまちまと動きすぎてるもん。誰か女性?またお父様の誰か愛人が来てるの?」

「え…」


 クーツ氏は詰まる。

 小間使いの女性は確かにいつもより慌ただしい。ばたばたと音は立てないが、それでも新しいシーツや新しいカーテンを持ってはあちらこちらを歩き回っている。

 その色合いからして、客は女性だろうとシラは踏んだだけである。愛人かどうかまでは知らない。


「いえ、あの、お嬢様くらいの女の子です。名は何て言いましたか…」

「忘れたの? それはもう老化よっ! 女の子? あたしくらいの?」


 だが頭の半分で、あの親父にそんな趣味あったかな、と考えてしまうあたり、シラも哀しい。


「何でも桜州で優秀な子を見つけたから、と…」

「桜州で? お父様そんなところまで行ってらしたの?」

 シラは目を丸くした。

 桜州は、帝国の東南部にある帝都直轄管区の通称である。

 帝都や副帝都のある管区も「直轄区」であるので、区別するため通称が使われている。

 温暖なその地は、昔は国の統一の際、最後まで抵抗した所であったらしいが、現在は観光地として栄えている、と彼女は習ったことがある。


「何でも、そちらに商談の相手様がいらしたそうで」

「ふーん」


 本当にそうかしらね。


「で、お父様は居るの?」

「旦那様は先程までいらしたのですが」

「今は留守、か…」


 よし、とシラはうなづく。


「その女の子も一緒に行ってるの?」

「いえ、まだ部屋の用意もできていませんので、とりあえず客間で待っていただいてますが」

「客間ね」


 クーツ氏はやや上機嫌に歩き出したシラに気付いてはっとする。


「ちょっ、ちょっと、お嬢様!」

「なあに?」

「旦那様のお許しもなくそんな…」

「どうせ優秀な子を引き取ったんなら、お『人形』でしょ? あたしの」

「そんな下世話な言葉何処で! 私はそのようにお育てした覚えは…」

「あたしもそのようにお育てされた覚えはないわ」


 勝手に覚えたんだもの。


「どうせあたしと一緒に学校へ通えって言うんなら、先に仲良くなった方がいいんじゃなくて?」

「お嬢様! わたくしが叱られます!」

「ああ、いいわいいわクーツ、あたしが勝手に迷い込んだのよ」


 ひらひらとシラは手を振る。

 クーツ氏はどうしたものか、と一瞬立ちすくみ、頭を抱え、やがて、お嬢様はまだ見なかったことにしよう、と自分に言い聞かせた。

 周囲で忙しく働くマンダリンだのフィネだのという小間使いの女性も同様である。

 何はともあれ、「奥様」のいないこの屋敷で、一番強い女性はシラなのだ。君子危うきに近寄らず。誰もがそんなことわざを大量に覚えざるを得ない。


 

 入り口から客間までは結構な距離がある。

 ホロベシ男爵の副帝都の本宅は、学校の校舎ほど大きくはないが、学校の寄宿舎ぐらいの大きさはある。少なくともシラは思っている。

 帰った途端ほっとする程、長い時間ここで暮らしてきた訳ではない。

 だが少なくとも寄宿舎の盗聴器だの相互監視の状態がないだけ、ここは彼女にとってましである。

 誰もいない廊下などいたるところにあるし、大声を出してもそう簡単には聞こえないだろう。

 何となく日頃の鬱憤を晴らすべく大声で叫んでやろうかな、と一瞬思うが、とりあえず思いとどまる。そういうのは客人に会ってから考えよう。

 そして途中で彼女は一度、立ち止まる。一人の女性の肖像画の前だった。


「お母様、お久しぶり」


 絵の中の女性に向かってシラはつぶやく。だがそれだけである。

 自分とよく似ているらしいその女性は、シラにとって馴染みのある人ではなかった。

 産んですぐ亡くなったという訳ではないから、多少の記憶はある。だが懐かしいとか恋しいとかそういう気持ちはあまり起こらない。母に甘えたという記憶すらもない。

 寄宿舎でホームシックになった少女が夜中に母恋しと泣くのを見たことがあるが、シラには無縁のものだった。


 冷めてるなあ、あたし。


 そう思わずにはいられない。

 母が亡くなった時、それでも六歳にはなっていた筈だから、ある程度記憶が残っていてもいいはず。なのにそこにまとわりつくべき感情はほとんどなかった。


 何故だろう。


 彼女は時々思う。

 父親のホロベシ男爵に対して何の感情も持てないのには理由があるし、その理由も自分で納得できる。だが母に関してはその理由が判らない。


「また後で」


 そうつぶやくと彼女は絵の前から離れた。

 細かいねじり模様の、父親が南方で買ったジュータンを踏みしめながら、客間の扉の前に立った。

 静かだった。中に人が居るような感じかしない。彼女は扉の持ち手を掴む。

 ぎ、と音を立てて扉が開いた。と。

 ふっと、光が動いた気がした。


「え?」


 そう声を立てていたのはシラの方だった。

 光ではない。人だった。

 中に居た少女がその扉の開く音に立ち上がったのだ。


「…あなた… 誰?」


 確かに光はその部屋に満ちていた。春の午後、客間は南向きで日当たりがいい。

 だがシラの視界に入った光は一人で動いたのだ。

 その正体はすぐに判った。金と銀の間の色の髪。


「私ですか?」


 アルトの声。こんな急な侵入者にも何も驚くこともなく、平然と。


「はじめまして。イラ・ナギ――― イラ・ナギマエナ・ミナミと言います。あなたはアヤカ・シラお嬢様?」

「…はじめまして… 確かにアヤカ・シラよ。でもお嬢様はやめて。好きじゃないわ… あなたお父様の連れてきたひとでしょ?」


 目が、離せない。

 口はすらすらと言葉をつむぎ出すが、いつもと違って、全然その中に感情を込められない。

 それだけじゃない。シラの口は、シラの理性とは別に、勝手に動き出していた。


「…あなた綺麗ね」

「え?」

「そうよ、あなた綺麗よ」

「ありがとうございます」


 見事な笑みが広がる。見事すぎて、その正体が判ってしまう。


「違うわよ」


 とっさにシラは言い返していた。


「…え?」

「そういう意味じゃない。本当に、綺麗だって言ってるのよ」


 お世辞ではない。社交儀礼でもない。本当に。

 だって。

 シラは必死で考え始める。どう見ても、この目の前に居る、自分と同じ歳くらいの少女は、常識的な人が見たら、「綺麗」なんて、決して言わない。

 自分より頭半分くらい高いくらいの身長、すらりとした身体には、その線がはっきり出るような、身体にぴったりとした紺の服をつけている。

 伝統的なハイカラーに右開き。その下には、深い茶の、何の飾りもないスカートが自然の重力に逆らわずにすとんと降りている。長さは膝よりやや下くらいだが、その中の脚は、紺のストッキングと編み上げの焦げ茶の靴でしっかりと包まれている。

 明らかにこれは、妙な格好、だった。―――そのライン。

 現在も、帝国では女性が腕や上半身の線、そして脚をあらわにすべきではない、という考え方が普通である。

 この時シラの着ていた皇立第一中等の制服は、二の腕が大きく膨らんでいる。上半身もふわり膨らんだラインである。

 脚はスカートのようにも見えるが、実はその間は割れている。ひどく大きく裾を広げたスボンであるとも言える。

 その下には焦げ茶の編み上げ靴。その点は目の前の少女もシラと同じではあるが、そのスカートの長さやストッキングの色のせいで、全く別のものに見えた。

 だが、何よりも、そんな理由よりも、普通なら「綺麗」なんて決して評しない、評してはいけない理由があるのだ。

 金と銀の間の色合いの髪が、短い。

 いや、短いだけならまだいい。

 多少お偉方のおばサマがたは眉をひそめても、耳の下くらいで切りそろえるのは副帝都の最新モードの一つである。だが。

 だがその髪は、どうみても「切りそろえられて」などいない。自分で適当に切った、と言いたげにばらばらなのである。最新モードを着た娘の髪がつやつやと櫛目も通ってまっすぐか、くせ毛なら、リボンや髪留めを飾って華やかなのに比べ、その髪は何もされていない。

 そして何故か、後ろに尻尾がある。白金の髪は、後ろで一房だけ長く伸ばされ、腰くらいの長さの細い三つ編みにされている。

 明らかにこれは故意的に作られたものである。


 すごく変だ。


 見た瞬間シラは思った。なのに。

 その次の瞬間、出てきたのは、「綺麗」という言葉だったのだ。


「あなた、面白い人ですね」


 イラ・ナギマエナと名乗った少女は、口の端だけで笑ってみせた。


「あんたは変な人よ」


 それが相棒との最初の会話だった。そしてその時シラは自覚していた。


 これは一目惚れだわ。

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