ノルマンディー1
ノルマンディーに到着した私たちは正式にヒトラーユーゲント師団に加えられ、書類上は第12SS装甲師団第12SS装甲連隊第1大隊第9中隊となった。
あらかじめことわっておくが、第5中隊から第8中隊は第1大隊ではなく第2大隊所属である。編制に後からくわえられた都合上、私たちは第1大隊所属でありながら第9中隊となったのだった。第1大隊の所属となった理由は兵站上の都合のためだと考えられる。第1大隊はパンター戦車を運用していたが、第2大隊は旧式の四号戦車を運用していたのだ。
しかし、書類上は第1大隊所属であったが実際には私たちの中隊は第1大隊の一部として行動することはなく、師団司令部直属の戦力として活用されたのだった。これにはフリッツ・ヴィット師団長の配慮もあったのであろうが、実際は男女混成部隊の戦闘力について懐疑的な見方をしていた指揮官が第1大隊か連隊司令部にいたためだろう。それで仕方なしにヴィット師団長が引き取ったというのが真実だろう。
ノルマンディーについてから暫くは以前と変わらない日々が続いた。それはそのはずである。当時のドイツ軍の主戦線である東部戦線からは遠く離れたフランスの地での脅威はイギリス海峡を渡って遥々嫌がらせにやってくるRAFやUSAAFのヤーボと現地のパルチザンぐらいであった。この時の私たちは訓練で着々と練度を高めていたのだが、当時の私の中では戦争において行かれるのではないかという焦燥感があった。
しかし、この時期に力をつけたのも事実だ。私たちの殆どが自分の役割のみならず、戦車内の他の役割の仕事をこなせるようになっていた。
44年の春になってくると、私たちの上空を行き来する連合軍機の数が多くなっていた。ドイツ空軍は仕事をしているようには思えなかった。私たちの上を行く連合軍機は静観しているだけでなく、爆弾や宣伝ビラを投下した。
「上陸が近いのかもな」
「OKWが言うには上陸はカレーだとよ。この様子だとここに上陸してきてもおかしくはないな」
ベッカーSS軍曹が訓練の合間に別の戦車長とこんなやり取りをしていたのを覚えている。その言葉は真実となったのだ。
「まっすぐ私の方へだ!」
1944年6月6日、その日はやってきた。連合軍がノルマンディーに上陸したのだ。5つの地点に上陸した連合軍部隊に対してドイツ軍はオマハビーチの部隊を除けば十分な抵抗を行うことが出来ず、連合軍はフランスの地で橋頭堡を築き上げた。しかし、それに先立って連合軍の空挺部隊がノルマンディー中に降下した。空挺部隊に対応するため、私たちを含む第12SS装甲師団に出動準備命令が下った。6月6日の未明の出来事だった。
東部戦線:第二次世界大戦におけるドイツ以東の戦線のこと。独ソ戦、大祖国戦争とも
カレー:フランス北部のパ=ド=カレー県のこと。連合軍の欺瞞作戦によってOKWは連合軍はカレーに上陸すると誤解していた。その誤解は連合軍がノルマンディーに上陸した後も続くこととなる。
OKW:国防軍最高司令部
ヤーボ:戦闘爆撃機。連合軍は過剰な戦闘機にロケット弾や爆弾を載せ急降下爆撃機のように運用していた。
RAF:英国空軍
USAAF:アメリカ陸軍航空軍
パルチザン:ゲリラ、レジスタンス。占領統治に抵抗する組織のこと
橋頭堡:前進拠点。解かりやすくいうと足がかり
空挺部隊:飛行機からパラシュート降下して戦う人たち。敵地の後方に降りて戦うので降下後には早急に味方部隊と合流する必要がある。
宣伝ビラ:爆弾の代わりにビラを落としプロパガンダ戦争を仕掛ける