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編制2

 入営当時の私たちの体は今の同年代の少女たちと比べてやせ細っていた。というのも当時のドイツ国内の食糧事情は大変悪かったからだ(しかしドイツに搾取されていたポーランドやフランスなどの国の食糧事情はもっと悪かった。彼らの生産した食料の殆どが飢えている彼らの口には入らずドイツに移送されていたのだ。そう考えると大戦末期のドイツの惨劇はそのツケを払ったのだと思う)


 このままだと戦闘訓練どころではないと考えた部隊の幹部は第一に体作りから始めた。これは後に編成されるヒトラーユーゲント師団も同様である。当時の少年少女の体はそれほどやせ細っていたのだ。


 それと並行して一部の人間は、女子の徴兵が正式に始まった後に徴兵された女子を率いることを期待され、下士官教育が行われた。その一部の人間の中には私も含まれている。選抜の理由は年齢以外にない。私たちが教育を受けている間、年少者には兵隊の心得だとか道徳のような教育が施されたと聞いている。


 先述のように私たちは下士官教育を受けたが、それに加えて簡単な弾道学の教育も受けた。その教育の過程の中で最も良い成績を残し、下級士官としての簡単教育を受けたユリア・ローゼンベルグであった。短く切られた綺麗なブロンドの髪を砂埃で汚し戦っていたのを覚えている。


 また、この教育の合間にクラリッサ・ハントとウルゼル・フェーゲラインとも親交を深めた。クラリッサとウルゼルは私と同い年でクラリッサはおとなしめな女の子で、ウルゼルは対象に活発そうな女の子だったのを覚えている。どちらとも戦争がなければ普通の女の子として生を終えたのだろうが、戦争がそれを許さなかった。彼女らと私は戦争の深みへとずぶずぶと沈んでいくのだった。




 私たちの戦争を知るうえで、まずは戦車について知らなくてはならない。戦車とは装甲で防護され無限軌道で走り、火砲を装備する砲塔を有するもののことである。当時の戦車は、戦車を指揮する車長、主砲と同軸機銃の操作を行う砲手、主砲の装填を行う装填手、戦車を運転する操縦手、無線の操作と車体の前方機銃を担当する無線手によって運用された。また突撃砲などの戦闘車両においては無線手が不在でこの仕事を車長が兼任することとなる。


 また、戦車兵の仕事は戦闘だけではなく戦車の野戦整備や砲弾の補給なども含まれる。先ほど女性での戦車の運用は困難を極めたといったのはこのためだ。戦車のパーツは重く、特に足回りの整備などは重労働であった。履帯が外れたときなどは、戦車という存在自体を憎んだものだ。とくにパンター戦車の転輪などは内側の転輪を取り換えるために外側の転輪を外す必要があり戦車兵泣かせであった。


 これらの重労働は率先して男性兵が手伝ってくれたことで何とかなっていたが、重労働には変わりはなかった。男性にばかり働かせてはならぬと人一倍動いたのを覚えている。


 私たちが運用した戦車はパンター戦車という戦車だった。パンター戦車はそれまでになかった被弾経始を採用しており、これまでのドイツの中戦車と比べて高い防御力を持っており、主砲の7.5 cm KwK 42はその当時のドイツ戦車の装備するもので最も高い貫通力を誇っていた。私はこの戦車に砲手として乗り込んだ。第1小隊2号車砲手、それが私にあてがわれた役割であった。進行を深めたクラリッサは第2小隊に、ウルゼルは第3小隊に配属された。教育で好成績を残したユリアは私と同じ第1小隊の1号車の砲手となった。


 第1小隊の小隊長はクラッツという中尉であり、私の乗る2号車の戦車長はベッカーという軍曹であった。ベッカーSS軍曹は第1SS装甲師団アドルフ・ヒトラーから転属してきた叩き上げであり、片目を眼帯で隠していた。この顔の傷はハリコフの戦いで自らの犯した失態によって出来た傷であると軍曹は語った。一生ものの傷を負いたくないのならヘマはするなよと軍曹は豪快に笑いながら言ったのを覚えている。


 2号車の操縦手はツルタ・ライゼンシュタインという名前の女の子でくすんだ赤毛をしていた。年齢は2つほど下だったと記憶している。今でもそのグリーンの瞳を思い出すことがある。彼女も私のかけがえのない仲間の一人だった。

また、無線手はマウラーという名前だった。彼女についてはもうぼんやりとしか覚えていない。半世紀もの時間の経過とは恐ろしいもので、顔もぼんやりとしか思い出すことが出来なくなってしまっている。


 だが、装填手であったマヤ・ヘルマーのことはしっかりと覚えている。彼女は普通の女性として枠組みから大きく逸脱していた。

たいてい私たちの部隊では男が装填手を務めた。それは砲弾を持ち上げ薬室に装填するのに大きな力と持久力が必要なためだった。その作業は女性では不可能ではないが装填速度の違いは戦場での生死に影響するので、非力な女性兵は真っ当な軍人である幹部をはじめとする戦車長たちに嫌がられたのだ。しかしながら彼女は違ったのだ。最初、私はなぜだと疑問を抱いた。だが、その疑問は訓練が始まるとたちまち解消されたのだった。彼女、マヤ・ヘルマーは型破りな力持ちだったのだ。


「エーデルワイス海賊団を返り討ちにしたんです」


彼女は笑顔で私にそう語ると7.5cm砲の砲弾を片手で掴み、軽々持ち上げて見せた。


「昔から力だけは強くて大人にも力比べで負けたことがないんですよ」


彼女は、困った顔で「まあ、女で怪力なんで男の子たちからはからかわれましたけどね」と付け足した。そんな彼女は装填手の仕事だけでなく、戦車の野戦整備まで軽々とやってのけた。そんな人物は私の記憶の中だと彼女一人だけだ。ある日、彼女は小隊内で腕相撲をし、第1小隊の腕相撲チャンピオンに輝いた。そんな彼女に敗北したベッカーSS軍曹は「俺が負傷したら後方まで背負って運んでくれよ」と笑いながら言ったのだった。まだ平和だった頃の話だ。


 以後、1944年の3月にヒトラーユーゲント師団がベルギーからノルマンディーに移動するまでの間、実射訓練や実戦的な想定での演習などが行われた。訓練期間が長かったためか、ほかのヒトラーユーゲント師団の部隊より我が隊の練度は高かったのだった。私たちはヒトラーユーゲント師団が移動するのに合わせてベルギーからフランスのノルマンディー地方へと移動するのだった。


エーデルワイス海賊団:ナチス政権下のドイツでヒトラーユーゲントでの活動に対し敵対心を抱く若者によって結成されたヒトラーユーゲントに対する対抗組織。ヒトラーユーゲントの少年に対して暴行などを行うことがあった。

ヒトラーユーゲント師団:第12SS装甲師団のこと。兵士の殆どが徴兵年齢に達していない未成年のヒトラーユーゲントの若者だった。

ノルマンディー:イギリス海峡に面するフランス北西部の州

7.5 cm KwK 42:70口径長7.5cm砲のこと

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