ケンタと古風なユーレイ
星屑による、星屑のような童話です。よろしければ、お読みくださるとうれしいです。
なろう「冬童話2015」参加作品です。
「いやあ、すっかり遅くなっちゃたな」
半袖のシャツから飛び出した二本の腕を懸命に振り、家路を急ぐ、ケンタ。
夏の夕方。とっくに日は暮れかけている。六年生になったとはいえ、やっぱり暗がりは怖い。
よもぎ餅のような草の匂いと虫たちの大合唱の中、少ない街灯の明かりを頼りに、細い道をまっすぐと突き進む。
「さあ、ここはさっさと通り過ぎるぞ」
ケンタがそう思ったのも、無理はない。何せそこは、『墓場』なのだ。
だいぶ古くから、ここにあるらしい。
背の低いブロック塀の向こうに広がる、墓石とうっそうとした樹木の世界。
学校に通う道の道沿いにあるので、ケンタはほぼ毎日横を通る。だから、慣れているはずなんだけれど、どういう訳か、ここを通り過ぎる時に、たまに背筋が寒くなることがある。
もっとも、そういう感覚を家族や友達に話してはみても、今まで誰も信じてはくれなかったが……。
墓場から吹いてくる風が、生ぬるい。
そう思ったケンタが、足を速めたその時だった。ケンタは、ついに――ついに、それを見てしまったのだ。
「……ユ、ユーレイだ」
確かに、いる。
しかも、一人ではなかった。
三人? いや、四人だ。ぼーっと浮かびあがるような感じで、色が薄い。向こうが透けて見える。
けれど、どうも様子がおかしい。ユーレイたちの間で、何やらもめているようなのだ。
ケンタは塀の影に隠れながら、しばらく様子をうかがった。
「何だよオマエ、それでもユーレイかよ」
「へへへ、気持ち悪いな」
「もう一度死んじゃったら? そうしたらマトモなユーレイになれるかもよ」
聞くに堪えない言葉。
三人のユーレイが一人のユーレイを取り囲み、そんな言葉を浴びせていた。
(イジメだ)
そう直感したケンタは、体が勝手に動き出していた。低い壁を乗り越え、怖いはずのユーレイたちに向かって、走り出す。
(人間の世界じゃあるまいし、まさかユーレイの世界でもそんなことがあるわけ?)
そんなケンタを待ちかまえていたのは、ユーレイたちの冷たい眼差しだった。
「あんた、誰?」
「キミ、オレたちが見えるの?」
「ユーレイだよ。怖くないわけ?」
六年生とはいえ、彼はまだ小学生だ。もちろん怖かった。でも、そんなこと云ってる場合じゃない。
「キミたち、同じユーレイなんだろ? どうしてそんな酷いことが云えるんだい?」
ケンタがそう云うと、三人のユーレイたちは、普通の人間にも聞こえるような声を張り上げて、うひうひ、笑った。
「おいおい、良く見ろよ! コイツのどこがユーレイなんだい?」
そのユーレイは、まるで白身魚の刺身のようなスケスケの指をピンと立てて、一人のユーレイを指差したのだ。
――江戸時代の人?
そのユーレイは、着物を着ていた。そう、よく時代劇で見かける町人の服。しかも、かなりボロボロで、ユーレイになってから、だいぶ時間が経っているようだった。それこそ、何百年も――。
怯えた虚ろな目でケンタを見る、ユーレイ。
そのときケンタは、その姿にちょっとした違和感を感じた。
(あれ? このユーレイ……足がある)
そうだったのだ。現代風な三人のユーレイは膝下辺りから景色に溶けるように足がなくなっているのに、その昔風なユーレイには、きちんと足が生えていたのだ。
けれど、その代わり――そのユーレイには肘から先の腕が、二本とも欠けていた。
「あわわ、このユーレイ、手がない!」
おどろいたケンタに、やっぱり――という感じで下を向いた、古風なユーレイ。
「やはり、拙者は変でござるか……。ユーレイでいる資格もないでござるな」
がっくりと肩を落としたユーレイを見て、ケンタは「しまった」と思った。これでは自分も、他のユーレイたちと同じではないか。
「そ、そんなことないさ! ちっとも変じゃないし、立派なユーレイだよ!」
それを聞いた、他のユーレイたちが、またまた、大笑い。
「足があって手のないユーレイなんて、聞いたことないぜ」
ケンタは、そんな彼らを睨みつけ、叱りつけた。
「お前ら最低だ! とにかく、どっか行っちまえ!」
ケンタの圧倒的な勢いに負けた「若い」ユーレイたち三人は、何やらブツブツ文句を言いながら、すごすご何処かへ行ってしまった。
残された、古風なユーレイ。
「かたじけない……。総ては拙者が頼りないばかりに……」
ぐずぐずと泣き出してしまったユーレイに、いたたまれなくなったケンタは、別れの言葉を切り出した。
「じゃ、とにかく元気でなっ!」
ユーレイに元気も元気でないもあるか、と自分で思いつつ、ケンタが走り出す。
しかし――
ユーレイがひたひたと付いてくる。なにせ、「足」があるのだ。ケンタよりも数倍、素早かった。
「どうしてボクの後を付いてくるわけ?」
たまりかねたケンタが、立ち止まって、そう訊ねた。ユーレイが、先程までの泣き顔は嘘のように、ケロッとした表情で答える。
「さあ――どうしてでござろう……。拙者と似ているからでござるかな」
(どこが似てるのさ。ボクには手も足もあるんだぞ)
ちょっとムッとしたケンタだったが、結局、ケンタの家にまで、そのユーレイは付いて来た。
でも不思議だったのは、ユーレイが家に着いた時に見せた、懐かしげな目。
「この場所、知ってるの?」
「いいや、よくは判らぬ。だが、とにかく懐かしい気がするのでござる」
聞けばこのユーレイ、ユーレイになってから約二百年、人間だった時の記憶がないらしい。
「じゃ、自分の名前も判らないの?」
「お恥ずかしい話でござるが、とんと判らぬ」
それからというもの、そのユーレイは、ケンタの家に住みついた。ケンタが何をするのにも、何処に行くのにも付いてくるので、すぐに二人は仲良くなった。
あだ名は、「ユー」。
ケンタが彼をそう呼ぶと、ユーレイは楽しそうに微笑む。
学校にも付いてきたが、どうやらケンタ以外の子どもには見えていないらしかった。
ケンタが面白かったのは、ユーがそこらを歩きまわるたびに、友達が、急に寒がったりすることだった。
「今、なんか寒気しなかった?」
そう言われたケンタは、
「さあね――ユーレイでも通ったんじゃないの?」
と、とぼけた声を出す。
その後、柱の陰で、ユーとケンタは「くすくす」笑うのだった。
何回かそんなことがあり、ケンタは気付いた。調子に乗ったユーが笑うとき、思わず舌で上唇を舐める癖があるということを――
(それって、ボクと全く同じ癖じゃん……もしかして、『ユー』の正体って――)
ふと何かを思いついたケンタだったが、とりあえずそれは口に出さず、そのままにしておいた。
◇◇◇
それから、数か月。
すっかりケンタにとって「ユー」が当たり前の存在になった頃の、ある冬の日に事件は起きた。
ケンタが、高熱を出したのだ。
朝から、何かフラフラするな、ぐらいに思っていたケンタは、学校から帰るなり、ばたりと倒れた。
あたふたとお母さんがケンタを病院に連れて行く。ぶすりと注射をされ、帰って来たケンタ。お母さんは、急いで帰って来たお父さんに、「インフルエンザ」だと心配そうに言った。
その間も、ユーはずっとケンタのそばにいた。けれど、もどかしくもどかしくて、しょうがない。
なにせ、彼には「手」がないのだ。
はだけた布団を直してあげたり、乾いてしまったおでこの熱さまし用のシートを張り換えてあげることも、自分ではできない。
ただただ、熱でうなされるケンタの横で、それを見守るだけの自分に、嫌気がさしてきた。
と、そのときだ。
ユーの記憶の奥底に、突然に芽生えた、小さな光。
(この感じ……昔、何処かで見た気がするでござる)
ユーが、かっと目を見開いた。
よみがえる記憶。そう、それはまさしく走馬灯のように。
(そうか、そうであったか。拙者は――)
ケンタを見つめるユーの瞳が、不意にふんわりと、優しくなった。
◇◇◇
ケンタは、布団の中で目を覚ました。その次の日の、まだ暗い早朝のことだった。
さっきまではまるで電気アイロンか携帯カイロのように熱をじゅわじゅわ出していた体が、嘘のように落ち着いている。
ベッドから、ケンタが部屋を見渡した。
すると、お母さんがベッドの横で、ケンタの勉強机の椅子に座りながら、うつらうつらと寝てしまっているのが見えた。
(ごめんなさい、お母さん……)
と、そのときケンタは、おでこに張り付いた熱さましのシートがはがされ、またそこに新しいシートが張りつけられたことに、気付いた。
ひんやりとした、その感触。
(あれ、お父さんが?)
けれど、その考えは間違っていた。
そのおでこのシートを換えたのは、お父さんではなく、「ユー」だったのだ。
「あ、ユーだったんだ。ありがとう」
お母さんを起こさないように、こっそり呟いた、ケンタ。
でも、何となくいつもと違う気がする。もしかしたら、自分にまだ熱があるせいかもしれないけど――
もう一度、ユーを見る、ケンタ。
すると――わかった。
いつもと違う点……それは、ユーに両手があることだったのだ!
服装も違う。あの見慣れたぼろぼろの和服ではなくて、立派な武士のそれだった。脇には、大小二本の重そうな刀もあった。
でも心なしか、いつもよりその色があせて薄くなっているようにも見える。
「あれ? ユー、手があるの? それにどうしてそんなに色が薄い――」
ちょっと大きめの声を出してしまったケンタに、うるんだ目をしたユーが、右手を自分の唇に当て、しーっ、とやった。
セーフ……。お母さんは、起きなかった。そのまま、こっくりこっくり、している。
「ケンタ殿。大変、世話になりもうした。おかげで、人だった頃の記憶が戻ったでござる。これでようやく、成仏できるでござるな……」
ますます、透明に近づいていく、ユー。
「では、さらばでござる。達者でな――」
そう言ったきり、ユーは色をなくし、ケンタの目の前から消えて行った。
「ユー!」
布団から身を乗り出し、ケンタが叫んだ。びっくりして、お母さんが目を覚ます。
「これケンタ! 大人しく寝てなさいっ!」
仕方なくお母さんの言葉に従い、布団の中に潜ったケンタ。
(ユー……キミはきっと、ボクの御先祖さまだったんじゃないの?)
まだ熱が下がったばかりのフラフラの頭でいくら考えてみたところで、そんなことは判りそうもない、ケンタだった。
◇◇◇
ケンタも、ようやく体調が戻り、学校に行けるようになった。
あれから数日、ベッドの布団の中で考えてはみたものの、どうしても判らない。
どうして、ユーには両手がなかったの?
どうして、ユーは記憶をとり戻せたの?
その晩、いつもよりは早く会社から帰って来たお父さんに、ケンタが意を決して訊いてみる。
「ねえ、お父さん、この家の御先祖さまで、両手をなくした人とかいなかった?」
お父さんの、食事の手が止まる。その目付きは、鋭く冷たい。
「どうして、そんなことを知りたい?」
「夢の中で、そんな御先祖さまに会った気がしたんだ」
ケンタは、ちょっと嘘をついた。
ためらうようにケンタの瞳をじっとのぞいていたお父さんが、観念したように、うなづいた。
「そうか……。もしかしたら、そんな不思議なこともあるかもしれないな……。よしケンタ、付いて来い」
ケンタのお父さんが、箸を置いて立ち上がり、歩き出した。ケンタが付いていくと、そこは、仏壇のある和室だった。
仏壇の抽斗の奥をごそごそとやり、カビ臭い臭いとともに、たくさん折りたたまれた古い手紙のようなものを、お父さんが取り出した。
かなり古い、和紙だった。茶色くなって、虫に食われた小さな穴もいくつか見える。
「――これを読んでみろ。難しいところは、お父さんも手伝ってやる」
それは、ケンタの家の江戸時代の御先祖さまで、『およし』さんという女の人が筆で書いた、手紙だった。
『我が父、真衛門は、確かに泥棒の悪党でした。夜な夜なお金持ちの家に忍び込んでは、金の小判や銀貨の盗みを働いていたのです。
ですが、それには訳が――
その頃の私は、まだひ弱な子どもで、重い病気にかかっていました。
病気を治すには、すごく値の張る薬が必要だと、お医者さまから言われる始末。その高価なことといったら、それはそれは、私たちのような貧乏人には目の飛び出るくらいの代物でした。
そこで、父は貧乏とはいえサムライの身分でありましたけれども、盗人に身をやつし、いくつもの盗みを働いてしまったのです。
私の病気もようやく治りかけて来た、そんな頃でした。
ある晩、父が忍び込んだその家で、とうとう家主の旦那に見つかってしまったのです。おどろいた父は、思わず持っていた刀で、その旦那を手にかけてしまいました。
そしてその晩、父は家に帰るなり、床についていた私に、総てを話しました。自分は泥棒であり、先ほどは人殺しまでしてしまった悪人であることを……。そして、これから番屋に行き、自首するつもりであることも……。
私は、泣きすがり、行かないでくれと訴えました。けれども父の意志は固く、その後ろ姿は、やがて暗い夜道の向こうへとついと消えて行ってしまったのです。
そして、その次の日のことでした。父は、お奉行所に連れて行かれ、お裁きにより、罪人となりました。
島流しの刑になった父は、『それでは罪が軽すぎる。この腕がある限り、また悪さをするかもしれない。いっそのこと、この両腕を切り落としてくれ』と、訴えたのです。
そこまですることはない、と言ったお奉行さまでしたが、父がしつこく願い出たため、ついにはそれが、聞き届けられました。
両腕が切り落とされた、そのときのことでした。あまりの痛さのためだったのでしょう、父はそのまま、気を失ってしまったのです。
それから父は、一度も目覚めることもなく、十日後に亡くなってしまいました。
あれから何年も経ちますが、私の心が痛まなかった日などありません。
最近では、墓場に手のない幽霊がでるなんて妙な噂も聴きました。もしかしてそれは父の成れの果てなのでは――と思い、墓場に出かけてみたのも一度や二度ではありません。
けれど、ついに、そんな幽霊には会えませなんだ……。
我が子、そしてその子孫たちよ――
そういうことですから、父、真衛門の噂を、いつかどこかで耳にすることがあるかもしれません。ですが、我が父は極悪非道人であったなどと、決して思わないで欲しいのです。
それだけが、今の私の、たった一つの願いです』
ところどころつっかえながら、御先祖さまからの手紙を読み切ったケンタ。
その震える肩を、お父さんがそっと抱き寄せた。
「まあ、そんなことだから、ケンタが夢に見たという御先祖さま、本当だったかもしれないよ」
そういうお父さんに、ケンタは「そうだね」と小さくうなづいた。
でも、ケンタは知っていた。
それが、本当とか嘘とかそういうことではなく、事実、つい最近まで自分と一緒の屋根の下に暮らしていた、ということを――
(ありがとう、真衛門じいちゃん。一緒に暮らせて楽しかったよ。記憶がなかったのは、きっと気を失ったまま、死んじゃったからなんだね……。
そして、病気のボクの姿を見て、娘さんの姿と自分の記憶を取り戻した……。
――良かったら、いつでもここに帰って来て。待ってるからさ)
そう思った瞬間だった。
ケンタの背中が、寒さで震えたのだ。
そう、それはいつも、「ユー」がクラスの友達の体をふざけて通り抜けた時に、友達がやっていた、あの動きにそっくりだった。
(も、もしかして?)
ケンタが、ゆっくりと後ろを振りかえる。
そのとき、ケンタが目にしたものは――
<終わり>