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夜の街は昼間と大差ない明るさを放っていた。優歩は初めて知る夜の街の姿に目を丸くして驚いた。
夜の街など今まで訪れたこともない。家から出ることも嫌でほとんど引きこもりのような状態だが、何となく魔が差して、優歩は夜の街に繰り出していた。
止める人など今までだっていなかったが、どちらか一方の親でも帰宅した後に自分が帰宅すると鉢合わせする可能性があったため外出は控えていた。昼間は当然、出るなんて考えられない。
夜にしか出ない店に目移りしながら歩いていると、喧騒に紛れて澄んだ歌声が優歩の耳をくすぐった。優歩は視線をそちらに向け、路上で座りながらギターを弾いて歌っている青年を見つけた。
此処にもストリートミュージシャンなんていたんだ……。
思わず青年の傍まで近寄って立ち止まり、優歩は青年からやや離れた場所でその歌声に耳を傾ける。青年は眼鏡をかけているためよく見えないが、目を閉じて歌っており、優歩が近づいたことには気づいていない様子だった。
もう少し近くで聴いてみたい。
そろりそろりと近づき、優歩は青年がギターの弦を弾くところがよく見えるところでしゃがみ込んだ。
青年の大きな手がギターの弦に大切そうに触れて音を紡ぐ。その音に乗って、青年の良く通る声が優歩の耳に届いた。周りの喧騒を遠くに押しやり、青年の歌声が優しく歌う。
美しい声に、切ないギターの旋律、歌詞はよく判らないが青年の気持ちが込められた歌に、いつの間にか優歩は涙を流していた。
青年が歌い終え、閉じていた目をゆっくりと開けた。そして泣いている優歩を見て眼鏡の奥の目を丸くした。
「ど、どうかした? 俺、知らないうちに楽器ぶつけた? 当たった? 痛い?」
わたわたしている青年と目が合い、声をかけられて優歩も驚いた。優歩は何も言えず、かぶりを振ると慌ててその場を立ち去った。
* * *
翌日の夜、優歩はまた昨夜と同じ場所へ訪れていた。どうしてまた来たのか、優歩にも解らない。青年がいれば良いと思いながら、いたらどうするのかと自分に問いながら、答えが出ないまま同じ場所へ来た。
其処には昨夜と同じ青年がいた。また歌っている。
優歩はまた青年の手がよく見える場所でしゃがみ込み、歌に耳を傾けた。曲の構成といった難しいことは優歩には解らない。だが、切ない歌であることは優歩にもよく解ったし、青年が心を込めて歌っていることも、よく解った。
その歌は、今まで優歩が聴いていたものとは違った。優歩が聴いていたのはどれも同じようなノリの、どれも同じようなものばかりだった。中には好きな曲もあったのだと思うが、ほとんど人から勧められて聴いていたものだ。だからこそ、聞き飽きたのだろう。
しかし、この青年が歌う歌は何度聴いても飽きは来ない、そう思える歌だった。
「あ、きみ、昨日の……」
歌い終わった青年がしゃがみ込んでいる優歩に気付き、声をかけてきた。優歩は考え事をしていたことと、耳の奥でまだ青年の歌が鳴っていたこともあり、曲が終わったことに気付いていなかったため話しかけられて驚き、青年を見つめた。
「今日も来てくれたんだ、ありがとう」
そう言った青年の瞳が眼鏡の奥で微笑んだ。真っ直ぐにそんな微笑みを向けられたことがない優歩は思わず目をそらし、うつむいて首を振る。
「そんな……あたしはただ聴いてるだけで……」
「聴いてくれる人がいるって嬉しいよ。俺は、ちらっとでも良いから聴いてもらいたいんだ。俺が、作った歌を」
その笑顔が自信に満ちていて、優歩は逆に惨めな気持ちになった。前を向いている青年と、立ち止まったままうつむいて進めない自分の姿が、浮き彫りになったように感じたからかもしれない。
「明日も……来て良いですか」
それでも気づけば優歩は青年にそう訪ねていた。青年は、うん、と頷いてからありがとうと言った。穏やかな微笑みを優歩に向けたまま。
「嬉しいよ。俺の歌、聴いてくれるんだ?」
優歩はこくりと頷く。とても僅かでとても微かなものだったが、青年は解ってくれたようだった。待ってるよ、と青年が言った。
「……はい」