黒髪の女の客
話は、決闘から一月以上前にさかのぼる。
城下街ロクサーヌ、榊通り。
[刀剣研ぎ屋・榊]
と。
その通りの中央に、京四郎が開いた店があった。
彼は刀研ぎ師である。
刃のつく武器全般を研ぐ。
店には錆止めの油や研ぎ粉などの雑品も置いてあり、魔法効果が付与された武器のメンテナンスも請け負っている。報酬と使い手によっては剣術の指南もする。
店の愛用者曰く、榊で砥がれた刀は鋼鉄すら斬れるという。
研ぎ料は法外に高く、客には王族、貴族も多い。
さらに裏ではヤクザの頭領として大小さまざまな悪事に関わっているという。
地下にある金蔵には金塊がうなっているともっぱらの噂だ。
家族は義理の娘が二人おり、妻は六年前に失った。
家には住み込みのメイド、奉公人、それに強盗対策の用心棒、合わせて十余人が暮らしており、生活に不自由はしていない。
昼過ぎになって――
店に、若い女が訪れた。
「や」
店にいた老番頭が帳簿から視線を上げた。
「いらっしゃいませ。どのようなご用でしょうか?」
「初めまして」
女は軽く頭を下げる。貴族のように優雅な物腰であった。
「テレーズと申します」
女の年齢は十六、七ほどであろう。
艶やかな後ろ髪は肩甲骨に届くくらいに長く、すらりとまっすぐと伸びている。前髪は眉の上で一文字に揃えられていた。鴉の羽を濡らしたような、いや、それ以上に黒い髪の色。瞳の色も黒く、細い眉はきりりと整っていた。
本仕様の染めを施された、藍色の和服がよく似合っていた。
ただ、彼女の銀色の指輪だけが浮いていた。十本の指、全てにはめているのは装飾過多にすぎる。
「榊先生はいらっしゃいますか?」
「少々お待ちを」
番頭が下がり、
「いらっしゃいませ、お客様」
メイド服を着た店の少女が女に挨拶をした。
声に棘がある。
使用人なのであろう。金色の長い後ろ髪をシニヨンにまとめ、ホワイトブリムをつけている。
歳は、店に来た女よりさらに若い。十四か五か。
「こんにちは」
軽く会釈し、テレーズは微笑む。
「可愛い制服ですね」
ほめ言葉へ、少女はしかめた顔で返した。
「かけてお待ちを。店先に立たれたままだと邪魔ですから」
店に少し入った一角に、商談用に作られたテーブルがある。少女は椅子を引いた。
「ありがとうございます」
テレーズが座る。
その真向かいに、少女が座った。コーヒーの一杯も出さずに。
「それで貴方は」
少女は棘のある声で、
「兄さんとはどういうご関係で?」
尋ねた。
傲岸な態度であった。年上の客を相手に、しかも下働きのメイドがとれるような振る舞いではない。
「榊先生の妹さんですか?」
「シャルロット・サカキと申します」
「ああ、お噂はかねがね」
テレーズが微笑した。
勝気に釣りあがったシャルロットの眼光が、さらに鋭くなった。
「うわさ?」
「自慢の娘だと。とても筋がいいとも」
「む……」
シャルロットは微妙な顔をした。
六年前、彼女の母親が京四郎と再婚し、彼女は歳の離れた妹と共に京四郎の養女となった。
母が結婚する前から、京四郎と少女は何度か遊んだことがあり、初対面の頃、シャルロットは京四郎のことを“おじさん”と呼んだ。
すかさず京四郎は、“お兄さんと呼べ”と訂正させた。
そしてその呼び方のまま、今に至っている。
「榊先生には二年ほど前から剣術を教えていただいております。職業はサマルカンドで雑貨品の販売を」
「あ」
「?」
「もしかして、魔法道具店の?」
抗生物質やビタミン剤などの医薬品、それにテルミット溶接に使うアルミニウム粉末などを手がける店が隣町のサマルカンドにあると、京四郎から聞かされたことがあった。研ぎ師見習いであるシャルロットも、何度か仕入れた面検油(金属の痕を目立たせる為の油。探傷剤)を使ったことがある。
「はい。先生にもご贔屓にしていただいております」
笑顔を崩さぬまま、テレーズ。
「こんな綺麗な人だなんて……」
と、シャルロットは小声で呟く。
「それで、ご用件は何でしょう?」
「すみませんが内密の用件ですので」
「うちは刀研ぎの店ですけど」
「承っております」
「仕事中なので、デートとか逢引とかのくだらない用事なら帰っていただきたいのですが」
「ああ……。いえ、そういう事では」
「あの人の妹として忠告しておきますけど、兄を狙うのはやめたほうがいいです。暇があったら遊郭に遊びに行くし、街を歩いたらたまに命を狙われるし、女癖が悪いですし、しょっちゅう無断外泊をしますし、女癖が悪いですし、ガラの悪い連中とつきあいがありますし、女癖が悪いですし」
「たいがいにしろ」
張りのある男の声がした。メイド姿の少女が振り返る。
テレーズが立ち上がり、頭を下げた。
「突然押しかけて申し訳ありません」
「ああ」
男はテレーズを一瞥し、軽くうなずいた。
黒い髪に黒い瞳、長身の引き締まった体躯。
作業を中断してすぐに来たのであろう、作務衣を纏っている。
その男の外観はあまり老けておらず、どう見ても三十そこそこにしか見えない。
金髪藍瞳の少女シャルロットと比べ、一見で血のつながりがないと分かる外見であった。
男はつかつかと、少女に歩み寄り、手刀で頭を叩いた。
「この粗忽者が」
「ったー。コブができたじゃない、コブが!」
うめき、少女はカチューシャで揃えた頭を抑え、恨めしげに男を見上げた。
「初対面の人間に親の悪口を吹き込むとはどういう了見だ」
「いたいけな人がジゴロの毒牙にかけられる前に助けてあげてるだけよ」
「テレーズは俺の親友の娘だ。そういうつもりは毛頭ない」
言い切る男。彼の言葉に、テレーズは特段の反応をしなかった。
「ふうん?」
「本当ですよ」
笑顔を引っ込め、真面目くさった顔で言うテレーズ。
「そういうことだ。まともに接客できんのなら作務衣に着替えて奥で刀を研いでろ」
「はいはい。失礼しました」
少女はふて腐れた態度で言い、男にじろりと睨まれて首をすくめた。
「真面目にやるわよ。私はここでお仕事の続きをしますから」
「ついでに茶を出してくれ」
「はいはい」
「先生、すみませんが」
「うん?」
「内密の用事ですので、ここでは……」
「分かった。外着に着替えてくるんで少し待ってくれ。アルエンド、しばらく店を頼む」
「かしこまりました」
「兄さん、夕ご飯までには戻ってきてよ」
京四郎はテレーズに目配せし、テレーズがうなずいた。
「魚料理が食いたいな」
「いいけど、遅かったら猫の餌にするからね」