エアーサロンパス
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僕は家で小説を書く物書きだ。今から五年前の二〇〇六年に某出版社主催の新人賞を獲ってデビューした。出版社から原稿の依頼が来ていて結構忙しい。ずっと一日中パソコンのキーを叩き続けている。デスクにはコーヒーメーカーから注いだコーヒーのカップを置いて、マシーンに向かいながら仕事していた。今までどれだけの作品を書いてきただろう……?雑誌に掲載した読みきりの短編から、連載中の長編、それに単行本や文庫本などになった分も含めるとかなり多い。二十代中盤の若手作家だ。しかもある程度、作品がヒットしている。いずれ時が来れば、直木賞の候補になりそうなぐらい多作なのだった。
ずっと座って仕事をしているので坐骨が痛い。いわゆる坐骨神経痛というやつである。最近、近くのドラッグストアで一本が千円台の安いエアーサロンパスを買ってきた。そして痛みが来たときは欠かさず降っている。かなり効くのだった。確かに貼るサロンパスも効果はあるだろう。だけどエアーサロンパスは直接、坐骨神経痛や筋肉の痛み、コリなどに効いてくれる。キーを叩く合間でも時折立ち上がって降っていた。メントールの匂いがするのだが、これは別に関係ない。単にちょっと鼻に来るだけで後は大丈夫だった。
僕も以前整骨院に行ったことがある。整体師の先生から診てもらった。でも坐骨神経痛は根本的な治療法がないと言われた。一応診察代を支払い、湿布ももらってきた。作家の僕にとって坐骨神経痛は職業病なのである。彼女の眞知も言っていた。「孝志は使いすぎよ」と。僕もなるだけ体を休めながら、出版社から来る仕事はそつなくこなす。確かに作家業というのは淡々としている。一定の勤務時間があるわけじゃないし、出来高制なので常に原稿に向かって書く分だけ、金は入ってくるのだ。
エアーサロンパスを降り、坐骨近辺の痛みを一時的に取り去る。根本的な治療にはならないのだが、別にいいのだった。無駄な病院代を取られるより、痛みを抑えるために一本買っておけば期限が切れるまでずっと使えるからである。それに二十代でも病気といえばそれまでだった。座椅子に座り、パソコンのディスプレイを見続けているのでとても疲れる。仕事の合間にはストレッチなどをしたりして体を休めていた。これでもだいぶ違う。僕は創作活動を続けていた。
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その年の八月半ば過ぎに眞知がマンションに遊びに来た。出迎えると、彼女が、
「メントールの匂いがする」
と言う。やはり嗅覚にも敏感なのだろう。眞知は一発でエアーサロンパスの香りを見抜いた。でも別に嫌な顔をすることはない。彼女は僕が作家であることを知っていたので、坐骨神経痛の症状が出始めたな、とでも思っているのだろう。マシーンの電源をいったん落として、ベッドの上に寝転がる。連日執筆で疲れていた。きついのだが、夏場は作家にとって稼ぎ時だ。夏休みなので文芸雑誌なども発行部数が多い。夏季休暇中に読書を楽しむ人が多いのだから、それ相当の需要があった。
しばらくの間、寄り添う。疲れが溜まっていたのだが、眞知も普段OLで、いつもはフルタイムで仕事をしている。残業もこなしているらしく、帰宅するのが午後七時を回ることはざららしい。そういったことは察した上で付き合っていた。元々知り合ったのが、僕のデビュー後第一作のサイン会の会場で、だった。当時は相当書いていた。ずっと缶詰のような状態で、だ。やはり作家としても、単体でやっていける人は限られている。僕自身、それは痛感していた。先輩作家などでも、大学の先生やカルチャースクールの講師など作家業以外のことで生計を立てている人が多いのだから……。僕はたまたま印税や原稿料がある程度たくさん入ってくるので、それで生活していたのだが……。
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その夜、部屋に遊びに来た眞知と一緒にベッドで横たわり、寝物語をしていた。彼女は僕のことを理解してくれている。作家という仕事が大変なことも、坐骨神経痛という職業病のことも。ベッドサイドのテーブルには自分用に淹れたブラックのコーヒーのカップと、眞知に淹れてあげたアイスティーのそれが置いてある。脱水症状にならないよう注意していた。この季節はそういったことが危ないのだから……。
自然と折り重なり合う。執筆で疲れていた体も寝せればだいぶ楽になるのだ。時折トイレに立つ。部屋を始め、トイレなどの掃除は常にしていた。トイレ掃除は専用のシートで便器を拭い、捨てるだけで出来る。簡単だから毎日欠かさずしていた。眞知も僕のマンションが無駄に広いことを知っていたので、いつも言っていた。「家賃バカにならないんじゃない?」と。確かに言われてみればその通りだ。田舎町の物件なのに月五万以上の家賃を支払っている。ホントならこんな部屋に住まなくても、1Kでも構わないのだった。だけど住む家が広い方が何かと落ち着く。そう思っていた。
一通り性行為をした後、混浴した。シャンプーとリンスをした後、ボディーソープを塗ったタオルで体を洗い合う。互いの肌に浮いていた汗や脂が取れる。普段からシャワーだけなので慣れていた。湯船を使うのは秋冬だけである。夏場はシャワーの温度を低めに設定し、ぬるま湯状態で浴びていた。裸の眞知は実に美しく僕も見惚れている。入浴を済ませたら、缶ビールを飲むつもりでいた。三百五十ミリリットル入りのレギュラー缶だ。五百ミリリットルのロング缶は買ってない。僕も彼女もレギュラー缶で満足していた。ビールは冷たくて喉越しがいい。僕は椅子に座っている状態じゃなかったので、坐骨神経痛のことはすっかり忘れていた。ゆっくりとベッド上で腕同士を絡め合い、休む。いつもは互いに離れた場所で仕事をしているからだ。彼女もOLで主に雑用が担当のようだから、疲れているだろう。そういったことを気遣っていた。
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ベッドから起き上がり、また少し腰が痛くなったので、デスクの向かって左脇に置いていたエアーサロンパスの缶を手に取り、降る。シューッという音がして鎮痛成分の入った冷たい気体が腰に掛かった。降り終わり、缶を置くと、またベッドに戻る。やはり職業病だ。座りっぱなしで坐骨に負担が掛かるのだろう。昔から硬い椅子が苦手だったのはやけに覚えているのだが……。
だけどベッドに潜り込むと、眞知が抱き寄せてくれる。相思相愛なのだった。互いに抱き合うことに対し、全く抵抗がない。むしろ自然なのだった。ここで抵抗を感じていたようじゃ、恋愛関係は成立しないのである。腕を絡ませ合い、お互いの体温を感じ取った。ゆっくりと夜の時間が過ぎ去っていく。彼女のシャンプーやリンスの残り香と、僕の降っていたエアーサロンパスの匂いが混じり合い……。
ずっと抱き合い続けた。何も遠慮は要らないと思って、だ。サイドテーブル上のペットボトルはほぼ空になっていた。風呂上りに大量に飲んでいたのだし……。夏も終わりに近いのだが、やけに喉が渇く。やはり肌から絶えず水分が蒸発するからだろう。だけどそんな季節も通り過ぎる。あっけなく。そして涼しい季節がまた訪れるのだ。僕のような物書きにとって何かと芸術活動が活発になるシーズンが……。確かにエアーサロンパスを定期的に降っていても腰はまだ痛むのだけれど……。
(了)




