公爵令嬢アロンドラ~婚約破棄が終わったら元に戻れるよね?
少し前に書いていたものですが、投稿するって私には気合が要ります。エッセイを投稿したら、勢いで、こちらもと思いました。楽しんでいただけたら嬉しいです。
私はその日、大学の友人たちと山登りをしていた。山登りといっても。低山専門だ。低い山でも思いがけずに眺望が開けるのが楽しいし、それなりに達成感も味わえる。
珍しい高山植物に出会えると嬉しくて、恋焦がれた人と出会うってこんな気持ちなのかと秘かに思っている。
ただ、低い山でも足場の悪い所は結構あるものだ。
私が歩いていたのも凝灰岩が露出している場所で、前日に雨が降ったこともあり滑りやすくなっていた。
軽く見ていたわけではない。集中していたはずだった。だが、小さな石に左足を置いた時にそれがグラついて体勢を崩した。そのせいで右足の方の凝灰岩の一部に身体全体の力をかけてしまった。身体が傾き「あっ」と思った。
それからは良く覚えていない。
気が付いたらキラキラのシャンデリアがいくつも垂れ下がっている豪華なホテルのホールみたいな場所にいた。
ペパーミント色の壁に描かれている繊細な花の絵が美しく、天井には金色の雲の周りに可愛らしい天使達が楽しそうに戯れている。
今しがたの出来事も忘れて思わず見とれてしまった。
いや、だがこれは何なんだ。全く理解が追い付かない。
女性たちは皆、豪華なドレスを纏っている。この世界で流行しているのか、襟ぐりは大きく開き、袖は提灯の様にふんわりしている。
男の人たちの服装は燕尾服に似ている。たぶん正装ってやつだ。
山で滑って、こんな西洋映画のワンシーンみたいなところに入り込むなんてどう考えても変だ。変どころではない。あり得ない現象だ。
ああ、そうか。これはきっと夢なのだ。現実世界で私はたぶん気を失って夢を見ているのに違いない。
この状況の設定は、私がよく読んでいたラノベに影響されたのだろう。
それなら深く考えずに、夢から覚めるまで思い切りこの世界を楽しんだほうがいいよね。夢でストレスを溜める必要もないし。
すると二段ほど上の舞台のようになっているところで、派手な金の房やらボタンやら紐やらの装飾をつけた青年が不機嫌そうに私に向かって何かを言っているのが目に入った。
「聞いていたか?」
「なにを?」
「では、もう一度言う。良く聞け。私はお前との婚約を破棄する」
「はっ? 婚約破棄? 意味が分からない……。私に婚約者がいる? そういう設定の夢なの?」
両手を腰に当ててと首を捻る私に、装飾過多のキンキラな男が勝ち誇ったように気色の悪い笑顔を浮かべた。
「なるほど、婚約破棄は嫌か。それほどまでに私が好きなのか。だが私には心から愛する女性がいる」
好き? 私がこのキンキラ男を? どうせ夢を見るのなら、溺愛系の白馬の王子様が迎えに来てくれるのが良かった。
「つ・ま・り、あなたは私との婚約を破棄したいということでいいのかしら?」
「そういうことだ」
「でもねえ、私はあなたと婚約していた記憶がないし、破棄するにしてもこんなに大勢の人の前で言うことではないと思うけどな。あなたは熱くなると周りが見えなくなるタイプなんだ」
若干軽蔑を込めてそう言うと、彼の傍らにいるピンクの子が驚いた表情で慌てて段を下りて私の傍に寄って来た。
「お姉様、どうか正気に戻ってください」
この娘もたいがい失礼な人ね。何この夢?
「お姉様……ということは、あなたは私の妹? 私には弟しかいないんだけど」
現実の世界にはいつも私にダメ出しをする二歳下の弟がいる。
「あ、ああ、正確にはお姉様の従妹です」
「従妹? あなたのこと、見たことないんだけど……」
なるほど、私はだれかと間違われているのだ。
なぜこうなったかは後で考えるとして、多くの視線を浴びている今は、彼らに話を合わせて突っ走るしかない。どうせ夢だし。
「お姉様ったら、何をおっしゃっているの。以前はあんなに仲良くしていましたのに」
「へぇ、あなたと私の仲が良かったとして、あなたはそのキンキラ男の傍にまるで恋人同士のように密着していて、婚約者だという私が一人でここにいるって何かおかしくない?」
「だって、私と殿下には真実の愛があるのですもの。傍にいるのは当然ですわ」
「真実の愛ね……」
ああ、良くラノベの題材になるやつだ。
『真実の愛』なんて目の前で聞くとなにか嘘っぽい感じがするなぁ。人のことだし、ま、いいか。
だとすれば、そのキンキラ男は婚約者がありながら浮気したってことになるよね。
「じゃ、私はその浮気者に慰謝料を請求できる立場になるのかな? よっしゃ、婚約破棄に同意するわ!」
「慰謝料ってなんだ?」
キンキラ男がそう言った。
もしかして夢の世界には慰謝料が存在しないのか? 夢の世界だけでも金持ちになれるかと期待したのに……。
「えっと、お姉様、なんか雰囲気が変わりましたけれど、お姉様はこれから私を虐めた罪で断罪されるのですよ」
「なぜ私があなたを虐めなくてはならないの? 仲良かったんじゃないの?」
「お姉様は最近、私が殿下と親しいことにイライラなさって……」
「つまり、私がこの男のことが好きで嫉妬に狂ってあなたにつらく当たり始めたと? 天と地がひっくり返ってもあり得ないわ。こんな男、一ミリも好きだとは思わないわね」
「イチミリ? え、僕を好きではない? いつも切なげな表情で僕を見ていたではないか」
「それは、私のお腹が空いていたからじゃないかな。殿下とかいうあなたの髪はケーキのモンブランを思い起こさせるし、その目は……シャインマスカットだわ!」
「な、何を言っているか分からない。本当にお前は公爵令嬢のアロンドラなのか?」
「私が公爵令嬢のアロンドラ?」
そう言われて、私は落ち着いて、自分の服装を確かめた。
ウェストが綺麗に絞られて細い。色はグレー。生地だけは一応タフタとかいう絹織物だと思うが、光沢もあまりないし、スカートも回りの女性たちのような広がりはない。ドレスは長袖のハイネックで手には白い色の手袋を嵌めている。アクセサリーは何も付けていない。
目の前のピンク従妹は、ふんわり袖の流行のドレスで、アクセサリーもオパールのような様々な色に輝く宝石を身につけている。彼女に比べると私はものすごく貧相だ。公爵令嬢という設定なのに?
私はすぐにでも自分の全体像を確認しなければならないと思った。そこで手を挙げて叫んだ。
「誰か大きな鏡を持ってきてくれますか~」
右の扉の前に立っていた人が慌てて扉から出て行った。たぶん鏡を持ってきてくれるのだろう。
目の前の従妹と上にいるキンキラ男が目を見開いて驚いている。
「お姉様って、そんな大きな声が出ましたの? いつもは下を向いて、小さな声でしかしゃべらないのでびっくりしましたわ」
そう言って彼女はキンキラ男の傍に戻ったので、私はちょうど近くにいた女性を手招きして小声で尋ねた。
「あの女。なんていう名前? それと殿下って人の名前は?」
「ジネット・ブルーナ子爵令嬢です。それとこの国の第一王子で王太子でもあるヘリバード殿下です」
「ジネットにヘリバードね。ありがと。もういいよ」
さっき扉から出て行った給仕のような人が、人をかき分けながら大きな鏡を抱えてやって来て、私の前にそれを慎重に置いた。
いやー、びっくりした。
なるほど。これが夢の中の私か。グレージュの髪に濃い緑色の瞳。顔立ちは悪くないが地味な印象を受ける。化粧を工夫すれば美女に化けるかもしれない。年齢は現実の私よりは少し若いようだ。ドレスは地味だが体に添っているのでスタイルの良さが際立つ。羨ましいな。
夢ではなく異世界だったりして。あはは、まさかね。
だが、今、重要なのはこの状況を上手く切り抜けることだ。そうしないと夢が覚めないような気がする。
「それで、従妹とやら。私を断罪するとか言っていたわね? 私が何をしたって言うの?」
私はジネットと言う女の前方に立ち、腕を組み両足に力を入れた。売られた喧嘩は買うわよ。
「え、ええ、お姉様は私と階段ですれ違う際にふらついたと言って私を階段から突き落としたのです。とても怖い思いをしました」
「階段? どこの?」
「公爵家の広間から二階に続く大きな階段です」
「何段から落ちたの?」
「えーと、踊り場からですから十二段くらいかしら」
「それは大変! で、いつの話?」
「ちょうど一週間前です」
「落ちたあなたを私は助けに行かなかったの?」
「お姉様は直ぐにその場を立ち去りました!」
「あらそうなの。全然記憶にないわ。他に誰かいたの?」
「公爵家の侍女長がちょうど階下にいまして、お姉様がわざと私を落としたとそう言ったのです」
「へえ、それであなた怪我しなかったの?」
「少し足を打って歩きにくいのとあとは膝を擦りむきました。打ちどころが悪ければ今頃私は……」
ジネットはハンカチを取り出し、わざとらしく目元に当てた。
「一週間前ならまだ傷跡が残っているわよね。見せてくれる?」
「沢山の人々の前でそんなこと出来るわけはありません!」
「じゃ、医者の診断書は? 医者に診てもらわなかったの?」
……どうも解せない。普段のアロンドラはこんな嘘を受け入れるほどおとなしい人物なのだろうか? とにかく今は全面対決するよりもさらに誇張した話を上書きした方が良さそうだ。
私は態度を変えて、優しい声音で彼女に話しかけた。
「あなたを突き飛ばすなんて、私はそんなことが出来る人間じゃないわ。ただあなたの言うように十二段も落ちたのなら一大事よ。頭の中に傷が出来て、しばらくして頭が酷く痛んで日常生活が送れなくなったり、身体が動かなくなったりすることがあるの。本当の話、その後の調子はどうなの? なぜ侍女長はあなたを医者に連れて行かなかったのかしら?」
「えーと、侍女長も大丈夫だと思ったようで、お医者様には見せていません」
「すぐにでも医者に診てもらった方がいいわ。私が呼んであげるわね」
私は周りを見渡して、また右手を高々と挙げた。
「皆さまの中にお医者様はいらっしゃいますか~?」
ジネットは段を飛び越す勢いで私の下にやって来て、私の手を掴んで下に向けさせた。足を打って痛いんじゃなかったっけ?
「お、お姉様。本当に大丈夫ですから」
「なるほど、証拠の診断書はない。傷も見せない。しかも怪しい目撃者一人しかいない。その目撃者も察するところあなたの味方。どう考えても私を罰することは難しいわよ」
傍観していたキンキラ男が段を下りてきて、ジネットの傍に立ち彼女の腰を引いた。
「証拠なんかなくても、お前は僕の愛しいジネットを危ない目に遭わせたんだ。僕がお前を罰する!」
「疑わしきは罰せずと言う言葉を知らないのですか? 真実の愛を語るなら、これが真実かどうかを見極める知性も持って欲しいわ」
「は?」
この無知な男は本当にこの国の王太子なのだろうか? この国の将来が危ぶまれるわね。まあ夢だし、いいか……。
「えーと、えーと、それから、お姉様は、私の靴に太いかぎ針を入れていたことがあります。靴を履いた時に足の裏から血が出ました」
「それはいつどこで?」
「十日前だったかしら、公爵家の私の部屋で靴を履いた時に……」
「つまり子爵令嬢の従妹が公爵家に私室を持っているということ? どうして?」
「お姉様もご存じのように、私は行儀見習いで公爵家に来ましたから」
「誰かに行儀を習っていたの? また侍女長?」
「彼女は忙しいので……。公爵家をいろいろ見て回っていれば自然に覚えます」
「へー、そうなんだ。その男をただ追いかけていただけなのか」
「そんなことありません。きちんと勉強をしていました」
「では、円の面積の求め方くらいは分かるよね」
ホールの床に描かれているいくつもの円を見てつい言ってしまった。
「それは何でしょう?」
私はガクリと肩を落とした。公式を習っていないのか、勉強に興味がないのか。後者だな。
「まあ、いいわ。それでその針とやらの大きさはどのくらい?」
ジネットは、その針の長さはこれくらいで先端の太さはこれくらいと指で示していたが、それはまるで極々太の毛糸を編むかぎ針のような大きさだ。でもあれは踏んでも刺さらないと思ったけど。
「そんな大きなかぎ針を、私がどうやって手に入れるの?」
「知りませんが、侍女の誰かに頼んだのではないでしょうか」
「そのかぎ針はまだ手元にあるの?」
「たしか侍女長が持って行ったと思います」
相変わらずの侍女長。そう来るなら、さっきと同じように嘘を上書きしてあげるね。
「あなたね、怪我を甘く見てはいけないわよ。その傷跡に細菌が入ったりしたら、ものすごく痛くなって、真っ赤に腫れて熱が出て、結果的に足を切り落とすことになるのよ」
「えっ」
「やはり、医者に見せた方がいいわ! 皆様の中に......」
また手を挙げたのだが、実は手を挙げると、背中にビリっと痛みが走る。何だろう?
夢なのに痛いというのはなんか変だけど、リアリティを追及している夢なのかもしれない。
「お、お姉様、本当にもう治りましたから」
「ねえ従妹のジネット。ラノベからの受け売りではあるけれど、侍女に特殊なものを頼んだりしたらすぐに噂になるし、公爵家の令嬢が珍しい太いかぎ針を買うために誰にも知られずに一人で出かけるなんて無理よ。あなたの部屋の場所も良く知らないのに、あなたの靴のありかまで私がわかるわけがないでしょ。あなたの茶番でなければ犯人は侍女長になるわ」
(おとなしいはずのお姉様がなぜこんなに良くしゃべるの? 良く分からない言葉も出て来るし、いちいち反論するし。ああ、サルマがここにいてくれたら……)
ジネットは何やらブツブツと言っている。
キンキラ男はジネットの味方をするべく彼女の傍に来ていたのだが、その白い顔が徐々に青く変わってきた。
ジネットはそんなキンキラ男を一瞥することもなく、次の策に思いめぐらせているのか上気した顔で下唇を噛んでいる。
どうしても私にありもしない罪を着せて罰を与えたいらしい。
その理由を白日の下にさらさなくては、こんなやり取りが永遠に続くだけだ。
「あ、そうだわ。お姉様は私を突然叩いたりすることが以前から何度かありました」
都合の悪いことは無視し、衝撃的なことを言って皆の関心をこちらにむける。なかなか出来ることではない。ちょっと見習いたいかも。
「私が叩いた? 仲がいいのに? 話が違うじゃない?」
「たまーに、お姉様の機嫌が悪い時があって」
「へーえ」
ジネットの言葉が自分の背中の痛みに関連するのではないかと何となく思った私は、再び鏡の前に行き、先程の女性に声をかけてドレスの後ろのボタンを外して欲しいと頼んだ。
彼女はうろたえて少し後ずさりしたが、私は早くと彼女を促した。
「多くの貴族のいる前で本当に良いのですか?」
「かまわないわ。少し背中が痛いのよ。だから鏡で確かめたいの。何かが分かる気がする」
彼女は今度はしっかりと頷いて、周囲からの目を防ぐような位置に立ち、ゆっくりと背中のボタンを上から外し始めた。
なかなか肝の据わった女性だ。
周りの者が息を呑むのが分かった。一瞬静寂が訪れたが、すぐに「なにをする気だ」とか「アロンドラ公爵令嬢は気が触れたのか」というような多くの声が耳に入った。女性の中には叫び声をあげて目を両手で覆う人もいた。襟は胸近くまで開けても背中は駄目なのか? まあ、スマホで写真を撮られることもないし、SNSに上げられることもないから、まったく問題ない。どうせ夢だし。
ハイネックのドレスを背中の真ん中までボタンを外したが、ドレスが脱げるほどではない。それに下にはコルセットというものを着けている。
こんなもの初めて着けたから、何かテンションが上がるな。
さて、背中を鏡に映してみて驚いた。肩から背中の中央に向かって赤く細い傷が数本浮いていたからだ。なにか鞭のようなもので叩かれたようだ。
ボタンを外した女性も手を口に当てて酷く驚いていた。
周りの人々も、口々に「何だあれは」「どうして公爵令嬢の背中にあんな傷が」と言って騒いでいる。
ジネットがやったのか? そうなら、もうおままごとは終わりだ。徹底抗戦だ!
「叩いたのはあなたね。あなたは私があなたを叩いたと言ったわ。その発想ができるのはあなたが私を叩いたからに違いない!」
すると、ジネットは慌てて首を振った。
「知らないわ。私は何も知らない。お姉様は自分で転んだのよ」
「古い傷から新しいのまであるのよ。そんなに何度も背中から転ぶほど私って間抜けなの? それにこれはただ転んでできた傷ではないと断言できるわ」
夢の中だけど、私はわりと本気で周りに尋ねた。
「皆様の中にお医者様がいらっしゃいましたら……」
ジネットは自分の立場が不利と見て、すぐに私の両手を掴んだ。
「お姉様、待って。それは、きっと侍女長のサルマの仕業に違いないわ」
相棒を売ったな。
さあ、ここで決定的な一言を言わなくてはならない。たとえ推測でも。
私は彼女の手を思い切り振り払った。
「触らないで! 私は以前から、侍女長とあなたに虐待されていた。この貧相なドレスもあなた達が強要した」
「わ、私は何もしていない……」
ジネットの振り絞るような声が会場全体に広がっていく。ついにキンキラ男もジネットの傍から離れて一段上に上がり、抑揚のない声でジネットに尋ねた。
「ジネット、君はアロンドラにいつも虐められていると言ってたよね?」
「ヘリバード様はあんな地味で陰気な婚約者には耐えられない、君の方がずっといい、君と一緒になりたいといつも言ってくれたでしょ?」
「君は可愛いし僕のことを良く理解してくれると思っていた。だからアロンドラとの婚約を解消したかった。アロンドラが何か失敗でもすれば陛下も婚約破棄を認めてくれるとは思ったが、僕は彼女に罰を与えたいとまでは考えていなかった。それなのに君は、アロンドラをこの国から追放するべきだと主張したよね? 君が彼女に虐められていないのなら、そんな風に憎むのはなぜなんだ?」
「アロンドラは地味だけど良く見れば美しい。父親の愛情も金品も何もかも持っているのに、そのことに無頓着だわ。だから私が効率よく使ってあげた方がいいのよ」
彼女がそう思うようになったのは、身近な誰かに影響されたのか? 嫉妬と羨望は誰にでもあるけれど、たいていは自分の中に落としどころを見つけるものだ。
「アロンドラは、王妃教育も済んで王妃様の覚えも良いわ。この国に置いてあなたに心変わりをされても嫌だと思ったの。あなたを独り占めしたいと思うのは悪いことなの?」
「いや、気持ちは嬉しいけど……。それにしても、なぜ侍女長がアロンドラを虐待しなければならないんだ? 君も一緒にアロンドラを傷つけたのか?」
ジネットは何から話すべきか迷っているようだったが、会場の皆が彼女を注視しているのだ。まずは自分への疑いを晴らさなくてはならない。おもむろに口を開いた。
「サルマはアロンドラのお父様が好きなの。でも彼は、亡くなった妻そっくりのアロンドラが家にいるうちは再婚しないとそう言っていたらしいの。だからサルマはアロンドラに早く出て行って貰いたかったみたい。それでもサルマはアロンドラが幸せな結婚をするのは許せなかった。サルマはアロンドラのお母様が自分から公爵様を奪ったって思っていて……。アロンドラが婚約破棄されたら、落ち込む公爵様を慰めれば、夫人の地位につけるかもしれないとも言っていたわ。だから私は見て見ぬふりをしただけよ。何もしていないわ」
「公爵夫妻の熱愛は有名だったって、母上が言っていたぞ。それは侍女長の思い込みじゃないのか?」
「私は良く知らない……」
「君の目的と侍女長の思いが一致したのか」
「すべてあなたと私の真実の愛のためよ。わかるでしょ?」
「そ、そうだよな。君と僕は真実の愛で結ばれているのだから」
キンキラ男は『真実の愛』から逃れるように、ジネットとの間をさらに開けた。だが、ジネットはまた彼の傍に行きその腕に抱き付いた。
「ねえ、さっきこの国と近隣国の招待客の前で婚約破棄を宣言して、お姉様も同意したから、私達はいつでも結婚できるのよ! 私もいよいよ王太子妃になれるのね。これからは何でも思い通りになるから、今、お姉様の追放がなくなっても、後で何処か辺鄙なところに嫁がせればいいわ」
キンキラ男は渋い顔をして、首を横に振った。
「いや、君にそんな権限はないよ。父上と母上がそれを許さないだろう」
「権力を持てば法を変える方法なんていくらでもあるわ」
そこまでの思いを抱いているとは、ある意味凄い。
そういえば私が五歳の頃、『おおきくなったらユア・マジェスティって呼ばれたい』と親に言ったらしい。その頃は私にも野心があったのだ。すっかり忘れてたな。
キンキラ男は、自分の将来に思いを馳せるジネットの腕をさり気なく外した。それを見た私は親切にも彼の近くに行き、アドバイスをしてあげた。
「あなた、このままだと国王夫妻も危ないわよ。私を排除しようと考えたように、権力を握るために彼女は何かを画策するかもしれない」
「ジネットがそんなことするわけが......」
なにやら目が泳いでいる。「婚約破棄する」と宣言した時の勢いはどこに行ったのやら。
さてと、やっとジネットが私を断罪したい理由にたどり着いた。長かった! まあ、ここまで来たからには、ジネットはもう私に絡むことはないだろう。
王太子妃でも何でもなればいい。現実の私には関係ないことだ。でも、この国の将来はどうなるのかな。
夢の中の国を心配することより、今の私のことを考えなくては。
どうしたら夢が覚めるのかな? きっとなにか兆候があるはずだ。それまではここに居るしかないのだろうか?
そこに突然、ホールの正面の大きな扉が開いてダークブラウンの髪のイケオジと、キンキラ男にどこか似ている若い男が駆け込んできた。
イケオジは私を見るなり、慌てて私の方に駆け寄り
「アロンドラ、なぜこのような姿をしている。その背中の傷はなんだ。誰がやった。極刑にしてやる!」
そう言って、彼は上着を脱ぎ、その上着で私を包んで抱きしめた。
どうやらアロンドラの父親のようだ。ということはこの人が公爵ってことか。
「あのー、そんなに力を入れると背中が痛いです」
「すまない。誰がやったのか教えてくれ」
私にはこの人に言って良いものかと少し躊躇した。私の代わりにすぐに答えたのは、ボタンをはずしてくれた女性だ。
「ルーディン公爵家の侍女長だそうです」
公爵はすぐにホールの脇にいる騎士たちを振り返った。
「騎士隊。我が家に行って侍女長のサルマを捕まえてくれ!」
数人の騎士が、さっとホールから出て行った。
「アロンドラ、なぜ今まで黙っていた」
これも推測でしかないが、たぶんアロンドラは脅迫されていたな。
推測で突っ走ってみるか。どうせ夢だから間違っても大したことはないだろう。
思うにアロンドラに弟がいることは確かだ。ジネットが否定しなかった。ただし名前が分からない。弟だけでいいか。
「弟を傷つけると言われて……」
さらにもう一つ付け加えた。彼を信頼できるかどうか確かめたかった。
「お父様にも毒を盛るとそう脅されて......」
「なんてことだ! 私の大事な子供たちを傷つけ脅すなどと絶対に許せん! 他の侍女たちはどうしていたんだ?」
「彼女たちも脅されていたのかと思います」
「アロンドラ、気が付いてやれなくて本当にすまなかった」
「お父様はお忙しくていらしたから」
いやー、適当な言葉が次から次と口から出ることに自分でも驚く。
公爵は私の肩にそっと頭を付けた。彼が子供を愛していることが分かって、私は安堵した。この後に何があっても彼は私の味方になってくれるだろう。
その時、場を読まないキンキラ男が公爵に尋ねた。
「公爵は父上と母上と一緒に隣国のラング王国へ会議のために行っていたのではないのか?」
その問いに答えたのは、なぜか私をとても優しく見つめるキンキラ男に似た若い男だ。髪はマロン色ではなく、ブロンド。顔はこちらの方が一つ一つのパーツがしっかりしている。青い瞳は食べ物というよりは……広重ブルーってところかな。
「兄上の動きがおかしいと思って、私が公爵を呼びに行きました」
「おかしい?」
「ええ、最近は自分の公務をアロンドラ嬢にすべて任せて、そのジネット・ブルーナ子爵令嬢と王宮で逢瀬を重ねていたらしいですね。王宮の者は皆知っています。時折、婚約破棄という言葉も聞こえたそうです。さらに父上と母上がいない時に王太子の権限で舞踏会を開くと言い出しました。兄上たちがアロンドラ嬢に何かするのではないかと考えまして」
「余計なことを。お前はいつもそうだ。僕が何かを成し遂げようとすると邪魔をする」
「何かって、良いことは何ひとつしていないような気がしますが……」
キンキラ男に似た若い男は心底不思議なように頭をひねっている。彼は、どうやらキンキラ男の弟のようだ。弟にも尊敬されない男がどうして王太子になれたのだろか?
ん? もしかしてアロンドラと婚約したから? とすれば、アロンドラとの婚約を破棄したらキンキラ男、もといヘリバードの将来も無くなるよね。王太子になれたのは第一王子ということと自分が優秀だからと思っていたのだろう。
まあ、現実の世界でも自分の能力や立場を過信することは良くあることだ。
私はまた件の女性を手招きして傍に呼び、彼女の耳に手を当ててこっそりと聞いた。
「このイケ...、じゃない、公爵の名前は分かる?」
「ジェフリー・ルーディン閣下です。アロンドラ様の父上です」
「ヘリバードに似ている男の名前は?」
「第二王子のレヴェン殿下です」
「あなたの名前聞いていい?」
「ヴィオラ・コリンズ。男爵家の者です」
「ありがと、ヴィオラ」
私がそう言うとヴィオラはにっこりと笑い、私の背中のボタンを傷に響かないようにそっと留めた。いい娘だ。
ルーディン公爵は近くにいる者たちに、この場で何が起きたか、詳細を聞き出していた。
彼は「なるほどそうか」と言った後で、レヴェンと言う人に耳打ちをした。
頷いたレヴェンは直ぐに王宮の騎士たちに告げた。
「兄上いや、ヘリバード王子とジネットを囲んで逃げないようにしてくれ。騒乱罪の疑いがある」
ジネットは再びヘリバードの右腕を取りその体を密着させて自分は関係ないというように俯いていたが、レヴェンの指示を聴いて慌ててヘリバードの腕を離し、段から降りて逃げようとした。だが、騎士たちにすぐに遮られた。
「私は悪くないわ、罪なんて犯していない! サルマとヘリバード様にそそのかされただけなのよ!」
やっぱりそう来るよね。思い出すなぁ。スピード違反で捕まった時のこと。
『えーっ、ほんの少しのオーバーじゃないですか。私みたいな気の弱い人を捕まえるより、もっと悪質な人を捕まえた方が……』なんて、おまわりさんに言ったよなぁ。
一方、騎士たちに囲まれたヘリバードは自分に非があるとは爪の先ほども思っていないから、その驚いた様子は可哀そうなほどだった。
「いま、騒乱罪と言ったか?」
「お前は、陛下のいない隙を狙ってこのような舞踏会を開き、我が娘に婚約破棄を宣告。王太子の権限を利用して多くの貴族を混乱に陥れた。さらに裏付けもなくジネットの嘘を信じて、罪なきうら若き女性を公衆の面前で愚弄した」
その公爵の言葉がきっかけになったのか、レヴェンが「アロンドラを傷つけるなど、もう兄でも何でもない」と呟き、すぐに騎士たちに命令した。
「陛下が帰るまでは第二王子の私がすべての責任を負う。彼らを別々に監禁してくれ」
ヘリバードが天井を仰いだ。状況が呑み込めない時はあの可愛らしい天使たちを見るに限る。
「嘘だろ……」
「いいか。婚約破棄はお前の希望通りに成立だ! だが、娘を晒し物にされて私はものすごく怒っている。どんな手を使ってもお前を王家から追放する。喜べ、その時はジネットも一緒だ。いやジネットは公爵令嬢虐待の罪で侍女長と一緒に処刑になるか。心に留めよ。これがお前の真実の愛の結末だ」
アロンドラのお父様、格好いいな。
ヘリバードは反論も出来ず、両手を握りしめて今度は下を向いた。床には円しか描かれていないけど……。
ヴィオラが私にそっと話しかけて来た。
「アロンドラ様、私をあなたの侍女にしてくださいませんか?」
「ん? いいけど。あなた貴族の令嬢でしょ?」
「私は三女でして、自分の道は自分で切り開かなくてはいけないのです。今日、この舞踏会に潜り込んだのもアロンドラ様に顔繫ぎをしたいと思ったからです」
「潜り込んだ……。ああ、それで近くにいたのね。いいよ、私もあなたが気に入ったし」
「嬉しいです! ありがとうございます」
「帰ったら、執事長に伝えておくからいつ来てもいいよ」
「はい!」
あれ? 私、執事長なんて言葉をどうして知っているのだろう。爵位のこともなぜか分かる。
考えてみれば、この夢の中で話している言葉は日本語ではない。それなのに私は難なく周りの人たちと会話をし、内容を理解している。それは夢だから?
「ねえ、ヴィオラ。私はアロンドラで間違いない?」
「そうですね。いろいろなことを忘れていらっしゃるようでそこが少し気になりますが、外観はアロンドラ様に間違いないですよ」
「ふ~ん」
「まあ、貴族の間では優秀ではあるけれども、あまり自己主張しない大人しい方だと言われていまして。評判はあてになりませんね」
なるほど。本物のアロンドラは自己主張しない地味な人だから、この夢での出番がないのか……。
そんな風に考え込んでいると、レヴェンが私の前に来て跪き、私の右手の先をそっと握った。
「アロンドラ、どうか私と結婚して欲しい。小さい頃からずっと君が好きだった。二人で幸せな家庭を築こう」
展開が早いな。
この人のこと全然知らないし、本物のアロンドラがどう思うか……。
あっ、そうだ! こういう時の常套句があったよね。アロンドラさんよ、これで許して。
「そうですね。まずはお友達からでいいかしら」
「もちろんだ」
それを見ていたルーディン公爵が、皆に向かって事の終わりを告げた。
「皆には迷惑をかけた。今日の舞踏会はこれにて終了とする。後日、新たな形で場を設けたいと思っている」
公爵は私に左腕を差し出した。ああ、エスコートね。
すると、レヴィンも私に右腕を差し出した。
二人にエスコートされる形で、会場を扉まで歩いていると招待客の中から声が聞こえた。
「さすがにアロンドラ様は公爵令嬢だな。所作が綺麗だ」
私はアロンドラじゃないよ。中身は山登りが好きなただの大学生。
名前は……。 えーと、名前は…………。
……心配しなくても、これから屋敷に帰ってお風呂に入ってぐっすり寝たら、明日の朝にはすべて元通りになるに決まっている。
現実の世界の私は体のどこかを打って、気絶しているだけなのだから。
そうだよね……。
良くある婚約破棄に巻き込まれた山ガールのお話です。現実の世界に戻らないと知った時にどうなるのか少し心配ですが、持ち前の逞しさで乗り切るでしょう。それにしてもアロンドラとヴィオラ、この二人が揃うと無敵のような気がします。
読んでくださってありがとうございます。ただ、感想に返信をしようとすると、なんて書けばいいのかと考え込んでしまうことが多く、気が付けば旬(?)を逃してしまっています。せっかく書いてくださっているのに申し訳ありません。体調も少し上向いてきましたので、これからはまじめに取り組みます。




