味を知った妖精
裏路地は、都市の喧騒から切り離された別世界のようだった。
石畳はひび割れ、建物の壁には苔が這い、昼でも薄暗い。
人通りは少なく、迷い込むのは道に不慣れな者か、意図して静けさを求める者だけ。
アイは、古びた店の前に立っていた。
扉は重く、蝶番は軋み、看板もない。
だが――なぜか、ここだと思えた。
「……ここなら」
声に出して呟いた、その時。
「ねえ、アイ」
耳元で、軽やかな声がした。
振り返るまでもない。
数日前から、ずっとそこにいる。
ふわふわと宙を漂う、小さな存在。
透き通る羽を持つ妖精――ピイ。
「こんなところで、何をするつもり?」
「料理屋をやる」
即答だった。
ピイは目を丸くする。
「へえ。料理屋?」
「そうだ」
「こんな目立たない場所で?」
「こんなところだからいいのさ」
アイは扉に手を置きながら言った。
「俺は目立ちたくないんだよ」
それは、願望ではなく、決意だった。
田舎で家族の身に起きたこと。
料理で人が変わり、欲を持ち、命を落としたこと。
この世界では、自分の料理は強すぎる。
「ひっそりとやりたいんだよ」
「本当に必要としてる人だけがくればいい」
ピイは、しばらく黙ってアイを見つめていた。
「……でも、それ無理じゃない?」
「だろうな」
アイも分かっている。
料理屋を開けば、人は集まる。
ましてや自分の特典を使った料理なら尚更、
どんなに隠れても、味は隠せない。
「いい方法がないんだよな…」
ピイは、くすりと笑った。
「ふーん……」
そして、くるりと宙で回る。
「協力してあげてもいいけど、まずは料理見せてよ!」
「……は?」
「料理」
妖精が料理を食べるなど、聞いたことがない。
だがピイは、当然のように言った。
「あなたの匂い、ずっと気になってるの」
「その原因、ちゃんと確かめたい」
「こんな所で料理屋やるんだから、それが原因なんでしょ?」
少し考えた後、アイは頷いた。
「少しだけだぞ」
このまま拒否しても無理そうなので、簡単なものを作ることにする。
この世界でも手に入りやすい食材。
だが、調理は地球基準の物を使う。
簡単な調理道具は持ってきているため、すぐにできる料理を作る。
湯気と共に立ち上る香りが、裏路地に広がる。
ピイは、ぴたりと動きを止めた。
「……なに、この匂い」
ピイのサイズに合わせた器を両手で抱え、一口。
――次の瞬間。
「……っ!!」
羽が、ばさりと大きく震えた。
「え……? なに……?」
二口目。
三口目。
「……あ……」
声が、うまく出ない。
「こんなの……今まで食べたことない……」
「どんなものより……美味しい……」
妖精の感覚は、人間よりもずっと鋭い。
世界の“流れ”や“調和”を感じ取る存在だ。
だからこそ――
「……これは確かに危険……」
そう呟いた直後。
「……でも……」
ピイは、笑った。
「……美味しい……」
器を抱えたまま、アイを見上げる。
「ねえ、アイ」
「なんだ」
「私、決めたわ」
妖精は、はっきりと言った。
「あなたに、着いていく」
「……え……なんで?」
「こんな美味しい料理を作る存在が、一人でいるのは駄目だから」
即答だった。
「放っておいたら、絶対ろくなことにならない」
「貴族とかに知られたら、それこそ一生飼い殺しよ」
「それは否定できないな、だからひっそりとやりたいと思ってるからな」
アイは苦笑した。
「でもな、俺は――」
「目立ちたくない、でしょ?」
ピイは、分かっていた。
「安心して」
小さな手を胸に当て、誇らしげに言う。
「それ、私が解決するから」
「……どうやって」
ピイは、くるりと宙を舞う。
「妖精魔法」
「人間の魔法とは、ちょっと違う」
「人間と違って私たちは特別な魔法が使えるの」
指を鳴らすような仕草。
「絶対に大勢がくるようにはならない」
「けど、その時必要な人だけが“気づく”」
「……そんなことが?」
「できるわ」
自信満々に言い切る。
「この店はね、こうなるの」
ピイは語る。
「お腹を本当に空かせた人」
「生きるのに疲れた人」
「ちゃんと“味”を必要としてる人」
「なにより、秘密を守れる人」
「そういう人だけが、ここに辿り着く」
アイは、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと息を吐く。
「……そこまでしてくれるなら……」
「ひとまずやってみるか!」
ピイは、満足そうに笑った。
「うん! じゃあ決まりね!」
「これからよろしくね!アイ!」
妖精と、料理人。
誰にも気づかれないはずの裏路地で、
世界の常識を壊す店が営業を始めた。




