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4話 幼馴染

 しかし、その残念がる声もすぐ狂喜的な叫び声に変わった。三舟の後に続く一之助の姿を、二年B組の生徒たちが視界に捉えたためである。


「橘川くんだあ!!」


 廊下列の一番前の生徒がそう声を上げると、教室中の窓を割らんとする勢いの高周波が一之助と三舟を襲う。

 慌てて三舟が踵を返し、急いで教室の扉を閉める。ほかのクラスは授業中、完全に防ぐことは出来ないにしろ、多少なりともB組の声が外に漏れないようにするという三舟の気遣いと健気さに、一之助は目を細め父性を感じる。

 しかし三舟が扉を閉めたことによって、そして帝都桜華学園の教室が断熱性能を重視して作られていることもあり、教室内に閉じ込められた音は更に一之助の耳を刺激した。


「......あぁッ!!」


 耳を塞いでいた一之助は、最初に叫んだ生徒の対角線。窓際最後列で頬杖を付きただ笑顔で一之助を見ている女子生徒。堺部(さかべ) 佳世(かよ)を指さし、驚いたような嬉しいような顔をする。

 甲高い女性の叫び声の中では男性の声はかき消されることが多いが、サッカーで鍛えた一之助の声はその瞬間だけ誰の声よりも教室に響き、女子生徒たちは静かになる。

 今がチャンスだ、と言わんばかりに、一之助は背負っていたリュックを下ろし、佳世の元へ笑顔を見せながら駆け寄った。


佳世(かよ)じゃないか! 久しぶり!!」


 ダンッ、と机に両手を付き、ニッコニコの笑顔を佳世だけに見せる一之助。

 周りと生徒たちはそのただならぬ様子に目をギラギラとさせるが、肝心の佳世は頬杖を着いたまま一之助を見つめるだけ。十秒にも満たない時間だったが、無音の中でのそれは一之助にとってとても長く感じられた。


「......あれ?」


 もしかして人違いか? そんな言葉が一之助の頭の中をよぎったところで、佳世が『ぷっ』と小さく吹き出し、やがてポニーテールを揺らしお腹を抑え涙を浮かべながら笑い始めた。


「もー、なんでひと目見てわかっちゃうの? イチくん」


 佳世のイチくんという言葉に、一之助は曇りかけていた顔をパッと明るくさせる。

 一之助をそう呼ぶのは、彼が日本に居た小学生時代に中の良かった。一緒にサッカーをしていた友人たちが、プレー中に名前を呼びにくいからと付けた略称であり愛称。そしてその中での堺部 佳世と言えば、紛れもなく彼の幼馴染であり、イギリスへ渡る前に見送ってくれた一人だからである。

 お互いを名前、そして愛称で呼び合う一之助と佳世。その関係性が気になり、佳世の右隣に座る戸塚(とつか) アイリがボソっと問いかける。


「橘川くんと佳世って、どういう関係?」

「幼馴染」


 見事にシンクロした一之助と佳世の声。教室は二人の言葉の意味を整理し、理解するのに数秒を必要とした。そして処理が終わると、今度は驚き全開の短い『えーっ!?』という声。


「帝桜のアイドルと男子生徒が、幼馴染......!?」

「クッ、神様はどうしてこんなにも残酷で最高なんだ! その設定には勝てない!」


 一部体育館で良からぬ言葉を叫んでいた生徒たち。一之助の耳には彼女たちの声が良く届き『何を言っているんだ』と困惑する。

 そこでこれ以上事態が複雑になっては困る、と三舟が三拍。乾いた音で再び教室は静けさを取り戻し、頷いた三舟は教室に備え付けられた時計を見てから一言。


「皆さん。今から授業を始めるのも半端な時間ですし、改めて橘川くんから、そして橘川くんへの自己紹介の時間にしましょうか。あっ、叫んだら普通に授業しますので」


 三舟の提案に熱を帯びそうになった生徒たちは、最後の一言でグッと堪える。

 のほほんとしているし親しみやすいが、こういう厳しい一面も彼女にはある、ということを知っているB組は素直に従う。一之助はその様子に心のなかで三舟も怒らせちゃいけない先生リストに付け加えた。

 彼女の手招きに従い、一之助は佳世に『じゃっ』と軽く手を上げてから教壇に立つ。チョークを渡された一之助は、三舟の目を見て意図を察し、振り返って黒板に自分の名前を縦書きする。


 全員に見やすいように、と大きめに書かれた橘川 一之助の文字は、長いイギリス生活と不慣れな黒板とチョークという筆記具も相まって左右に揺れたりやや不格好。

 それを背にしながら、一之助は振り返って自己紹介を始めた。


「改めて、イギリスから来た橘川 一之助です。サッカー大好きです、ちゃんと日本語喋れます! よろしくお願いします!」


 短くまとめた自己紹介。佳世は『変わってないなぁ』と笑顔になり、三舟は『黒歴史決定だ』と数十分前の行動に顔を覆いながら、B組生徒一人ひとりに一之助に対して自己紹介をするよう促す。

 最初に叫んだ生徒から始まり、佳世で終わったそれの中には、とても強烈なものもいくつかあった。人の名前を覚えるのは苦手な一之助は、全員の名前と特徴を教壇の下でこっそり手帳に書き記し、今度は質問に答える側に回った。


「佳世さんとはいつから知り合いですか!」

「家が隣どうしだったから、生まれた時から?」

「サッカーいつからやってますか?」

「四歳!」

「攻め!? それとも受け!?」

「え? ミッドフィールダーだから、オフェンスもディフェンスもどっちもやるけど......」


 質問タイムはチャイムが鳴るまでの十五分ほど続いた。

 一限目が終わると短い休みが入る。その間B組の周りには人が集まり、一之助はもはや軟禁状態。

 彼にとって幸いなのは、三舟のはからいで座席が窓際一番後ろ。つまりそれまで一番後ろであった、佳世の後ろになったことだ。休み時間はひたすら佳世と会話して時間を潰した。

 そして訪れた二限目は英語。一之助は英語ならばと自身があったが、日本で学ぶ英語はアメリカ仕様であるため、イギリスとはスペル等が異なることに驚く。

 三限目は数学。帝都桜華学園は文理選択が三年生からであるため、一之助は苦手な数学にやや苦戦しつつもなんとかこなす。

 四限目は歴史。一之助の居たイギリスではもちろん日本史を学ぶことなど無かったため、聞いたことのない言葉に頭を悩ませた。


「......しんど」


 そして四限目の終わりを告げる礼の後。一之助は膝から崩れ落ちるように座席に座り直し、机に突っ伏してそう呟く。

 その声を聞いた佳世は、椅子を回転させ後ろを向き、一之助を慰めた。


「あっはは! お疲れ様。でもまぁすぐ慣れるって」

「勉強もだけど、あっちも以外と堪えるなぁ。全員が女性っていうのがなんとも」


 勉強だけならば、一之助も得意ではないにしろ多少なんとかなる自信があった。しかし想定外だったのは、同世代の異性から向けられる多数の視線。その先に居る一之助が廊下に目を向ければ、二年生だけでなく一年生や三年生まで、興味本位から彼を一目見ようという生徒たちが。

 中には露骨にリボンを緩める生徒も居たが、一之助はそれに気づかず視線を佳世へと戻す。


「何してんだ?」

「何って、お昼食べるに決まってるじゃん。もうお昼休みだよ?」


 可愛らしいピンク色の水筒と、お弁当の入った同色のランチバッグを一之助の机に置いた佳世。彼女に言われて、一之助は左腕に巻いたスマートウォッチに目を向ける。

 コンディション管理のために付けられた最新モデル。佳世は『おー』と小さく拍手し、一緒になって時計を見る。時刻は十二時四十二分。昼休みが始まって二分が経過していた。

 そして一之助は思い出す。自らが昼食を持ってきていないことを。


「やべ」


 一之助がそう呟くと、途端に教室の外が騒がしくなる。

 何が起きたんだ? と一之助と佳世が視線を空いた扉から廊下に向けると、背の高い一人の女子生徒。玲名が人混みをかき分けてB組へとやってきた。


「玲名様ァ!」

「今日も凛々しいです!」

「すまない、通してくれないか」


 騒ぐ女子生徒たちは、玲名の一声で道を開ける。

 その様子を見た一之助は佳世に問いかける。


「栢木って人気なのか?」

「そりゃあ学園のマドンナだし、三大王子様とかいうのの一人だからね。っていうか玲名のこと知ってるんだ」

「ちょっとな」


 説明が面倒だからと適当に言う一之助に、はぐらかされたと感じた佳世はムッとする。

 そこに玲名がやってきて、一之助へと声をかけた。


「すまない橘川、もっと早く学校を案内したかったんだが」

「さっきぶりだな栢木。にしても、人気者なのな」

「いや、それを言ったら前に居る佳世のほうが凄いぞ。もしかして、案内してくれたか?」

「無理無理。だって教室から出れる感じしないでしょ、あれ」


 幼馴染という関係を知らない玲名は、いかにも親しげな雰囲気の出ている一之助と佳世を見て学校案内をしてくれたのかと問いかけた。

 佳世はそれを否定しつつ、一之助の見張り役に学校で一番しっかりしている玲名が任命されたんだなと察し膨らませていた頬を戻した。


「橘川。昼は持ってきているか?」

「普通に盲点だった。持ってきてない」

「それなら学食へ行こう。放課後も設備を案内するよう頼まれているんだが」

「あっ、ちょっと待って玲名」


 佳世は立ち上がると、朝とは逆の形。一之助の机に両手を着いて顔を近づける。

 唐突な行動に玲名は目を見開いて驚くが、一之助は眉一つ動かさず。子供のころの感性のまま佳世の言葉を待った。


「イチくん! ダメ元でお願いするんだけど......うちのサッカー部、見に来てくれない?」

「サッカー部か」

「うん。ロイヤル・レッド以外のチームは地獄に落ちろーって考えなのはわかってるけど、どうしても見てほしい!」

「おい待てよ、オレそんな無差別に地獄落ちろって考え無いぞ」


 佳世の言葉を流そうとした一之助だったが、玲名がドン引きしているのを見て完全に否定はしないが訂正する。

 そして佳世はダメ押しと言わんばかりに、両手を合わせて『お願いお願い!』と合わせた両手で一之助に手刀を食らわせる勢い。

 一之助はのけぞって躱しながら頷いた。


「わかったわかった!」

「ほんと!?」

「もちろん。佳世のチームなら気になるし。それに、まだサッカー続けてくれてたのが嬉しいからな!」

「よっし! それじゃあ放課後は時間もらうからね! 帝桜サッカー部の歴史を聞けば、きっとイチくんももっとやる気になると思う! でしょ玲名!」

「ああ。まぁ、今となってはいくら佳世のような凄い選手が居ても、試合がむぐっ」


 何かを言いかけた玲名。その口を佳世が目にも止まらぬ速さで塞ぐ。

 そのまま流れるような動作で玲名の背後を取り、身長差があるため僅かに背伸びしながらそっと耳打ちした。


「ソレ言っちゃ駄目だよ玲名。サプライズだから」

「......」


 口を塞がれている玲名はジト目を向け、塞いでいる佳世は冷や汗を流しながら目を泳がせる。

 そこに一之助の腹の虫が鳴った。


「栢木様ァ......ご飯......」


 シワシワになった一之助を見て、佳世は玲名を解放する。

 とりあえず、とランチバッグから運動時に飲むゼリーを取り出して一之助の口元へ。一瞬でエネルギーをチャージした一之助は僅かに肌艶を取り戻した。


「悪い。学食に行くぞ橘川」

「待ってました! 佳世も行こうぜ、購買とかあるだろ?」

「え? 私は別にここで待ってるけど?」

「ゼリー返すよ! それに三人で食べるのに教室だと狭いじゃないか」

「うーん、別に気にしなくていいのに。でも、それならお言葉に甘えて」

「私も含まれてるのか......いや、行こうか」


 腹を満たそうと立ち上がった一之助と、ランチバッグと水筒を手に続く佳世。

 玲名は自身もさり気なく一緒に食べることにされて少し考え込むが、見張り役を任されているということもあり承諾。

 学園唯一の男子生徒、学園のアイドル的存在、学園のマドンナ兼王子様が揃ったことで、生徒たちは逆に近づき難さを感じ道を開ける。

 割った人の海から聞こえる黄色い声に、一之助は戸惑い、慣れている佳世は話しかけることで気をそらし、玲名は暴走する生徒が現れないか目を凝らしながら学食へ向かい、昼食を取った。

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