2話 B組おもしろ天然教師とA組元ギャル教師
職員室は二階にあるため、二人は階段を駆け上がり、なるべく迅速に。しかし大きな音を立てないような足運びで移動する。
一之助と玲名が職員室に到着すると、ちょうどその中からベージュのブラウスにグレーのパンツというオフィスカジュアルスタイルをしたショートカットの女性が出てきた。
彼女を見つけると、玲名は近くで足を止める。少し遅れて一之助が玲名の隣に立つと、職員室から出てきた女性に玲名が呼びかけた。
「三舟先生」
「栢木さん、おはようございます」
「おはようございます」
三舟先生と玲名に呼ばれた女性はが玲名に挨拶をすると、玲名がそれに返答した後に一之助のことをじっと見つめる。
上から下へ、そして下から上へと一之助のことを見た三舟は、玲名の横を通り過ぎてゆっくりと一之助の前までやってきた。
「......な、ないすとぅーみちゅー?」
「え、はじめまして」
「っ! 栢木さん!」
貼り付けたようなぎこちのない笑顔に、ぎこちのない英語らしい何か。
三舟のそれに一之助が返事をすれば、三舟はやけに嬉しそうな顔で振り返り玲名を見つめる。
その行動に困った玲名がどう反応しろと......と迷っていると、彼女が言葉を絞り出すよりも先に三舟が口を開いた。
「苦節二十数年......私、ようやく英語がわかるようになったかもしれません!」
「はい?」
「はい?」
三舟の発言に、玲名、一之助の順番で聞き返すような気の抜けた声を出す。
英語がわかるようになったかもしれない。玲名に対しそう嬉しそうに話す三舟だが、肝心の玲名は目の前で喜ぶ教師が何を言っているのかよく理解できていないようで。ついには理解することを放棄し、三舟の肩越しに一之助に向かって『お前なんとかしろよ』と言うような目線を向けてくる。
「え、ええと。三舟先生?」
思わぬキラーパスを受けて、一之助はとりあえずと三舟に声をかける。
ブンッ! と風を切りながら振り返る三舟。彼女の髪の毛が玲名のように長ければ、おそらく髪による強烈なビンタ受けていたであろう勢い。その勢いと三舟のキラキラ輝く瞳に気圧されながらも、一之助は両手を体の前にだして落ち着くようジェスチャーをしながら言う。
「今日からここに転入してきた、橘川 一之助です。よろしくお願いします」
「いいぇす! マイネームいず......」
日本語の時はとても綺麗な発声だが、英語を話そうとすると舌っ足らずになる三舟。そんな彼女が自信満々に何かを言おうとしたところで、朝のホームルーム開始を告げる本鈴が鳴る。と同時に、職員室からもう一人、三舟と同じようなオフィスカジュアルスタイルにお団子ヘアの女性が出てきた。
「あれ、栢木ちゃん居るじゃん」
何かを考えるように唇を尖らせていた女性は、玲名の姿を見るとフランクに彼女の名前を呼ぶ。
そしてそのあと、やけに興奮した様子の三舟と立ち尽くす一之助へ視線を移した。
「彼が例の共学化想定の転入生?」
「はい。申し訳ありません、澤田先生。もう朝礼が」
「いいよいいよ、気にしないで。もともと橘川くんだっけ? にギリギリで登校してもらうようにお願いしてたんだし。で、あれどういう状況なわけ?」
澤田は一之助と三舟を指さして玲名に問いかける。玲名が『実は』と切り出そうとしたところ、三舟が嬉しそうな顔で澤田に報告する。
「先輩! 私、ようやく英語がわかるようになったんです!」
「ちょっと舟ちゃん。ここで先輩は駄目だって、嬉しいのはわかるけどさ。ていうか、なんでまたそんなことを」
「橘川くんの言っていることが、日本語のように感じられたんです! 英語がわかる人は自然に脳内で日本語に変換されると聞いていたので、ついに私もその領域に......!」
「え、まじ? そういえば学園長が言ってたけど橘川くんってイギリスからだっけ。舟ちゃんにはアメリカよりも本場イギリスの英語のほうがマッチしてたのかな、にしたって色々すっ飛ばしすぎな気がするけど」
学生時代から先輩と後輩としての付き合いである澤田と三舟。三舟が先輩である澤田に対して、身振り手振りで精一杯嬉しさを伝えると、澤田も驚いたような顔でその原因を考え始める。
その間、一之助は玲名とアイコンタクトを取り、澤田先生なら大丈夫とお墨付きを貰ったため彼女に声をかける。
「あの」
「ん?」
「橘川 一之助です。オレ、さっきからずっと日本語で喋ってたんですけど......」
「おー、確かに日本語だね。え、どゆこと?」
一之助の言葉に、澤田は軽く混乱し一之助と玲名とで目線を行ったり来たりさせる。
先程飲み込んだ『実は』から玲名が切り出し、状況を説明した。一之助がずっと日本語で話しているのに、三舟が英語を話していると勘違いし理解できたと喜んでいることを。
全てを玲名が語り終わると同時に、廊下に澤田の笑い声がこだました。
「あっははははは! なにそれ! 舟ちゃん可愛すぎでしょ!」
「に、日本語を話してたんですか!? すみません! てっきり私、橘川くんは英語しか喋れないものだと......」
「いや、早くに弁明しなかったオレが悪いというかなんというか」
「はーおもろ、多分今学期イチのおもしろだこれ。んん、橘川くんは悪くないって。てかもう時間だし、そろそろ行かないと学年主任に怒られちゃう。橘川くんはとりあえず、荷物そのへんに置いといて」
職員室の扉を再び開け、すぐの通路を指差す澤田。一之助は指示された通りの場所に背負っていたリュックを置く。
その時に一之助が職員室を見渡してみると、澤田が最後だったのか既に誰一人として居なかった。
「A組とB組は今は学年主任が仕切ってくれてるし、体育館に向かいがてら自己紹介でもしよっか」
一之助がリュックを置いて職員室を出ると、澤田がそう提案しながら歩き出す。
澤田と三舟が並び、その後ろに玲名と一之助が並ぶ形で廊下を歩き、まずは言い出しっぺから、と澤田が口を開く。
「私はA組担任、澤田 彩。担当教科は英語だから、橘川くんにはむしろ教えてもらうことがあるかもしんないね。栢木ちゃんもうちのクラスだから、なんかあったらついでにでも声かけてちょ」
「はい、よろしくお願いします!」
「先程はお騒がせしました、私がB組で橘川くんの担任を務める三舟 ゆりです。担当は国語全般ですが、困ったことがあればなんでも相談してください」
「こちらこそ、一年間よろしくお願いします!」
無難に自己紹介を済ませた澤田と三舟。しばらくの間無言が続くと、玲名が一之助に耳打ちをする。
「橘川。今度はそっちの番だぞ」
「あ、そっか」
一之助と玲名のやり取りを聞き、澤田と三舟は振り返らずに笑顔を見せる。
僅かに顔を動かして目線を合わせた二人の教師からは、安堵の色が見えた。
「来るのが遅かったから心配してたけど、仲良さそうで何より」
「クラスが違っても栢木さんに任せて正解でしたね」
「自分も自己紹介いいですか」
コソコソと話しているところに一之助の声を聞き、澤田と三舟はどうぞどうぞと促す。
一度咳払いをした一之助は、この後クラスに行った時にするであろう自己紹介を想定し考えるがままに続けた。
「橘川 一之助です。十歳からつい一昨日までイギリスのロンドンに住んでましたが、日本語忘れてないので喋れます。四歳からサッカーやってます!」
「聞いた聞いた、橘川くんってサッカー凄いんでしょ? テレビにも出てるみたいじゃん」
「ご存じないと思いますが、帝都桜華学園のサッカー部はかつて女子ハイスクールカップ優勝経験もあるんですよ」
女子ハイスクールカップとは、高校の女子サッカー部日本一を決める大会。
イギリスなどと比べ女子プロサッカークラブの歴史が浅く、女子のユースチーム等が盛んではない日本では、実質的に女子ハイスクールカップ優勝校がアンダー18カテゴリの頂点チームとされることが多い。
そんな権威ある大会での優勝経験があるといえば、普通ならサッカー強豪校という印象を持つが。元々小学校卒業後はプロの下部組織入団を考えていた一之助にとっては、何その大会と頭の上に疑問符が着いていた。
「でも、だいぶ昔の話ですし今は部員も少ないんですけどね。B組には部長の堺部さんが居るので、橘川くんにアドバイスを求められた時は答えてくれると嬉しいです」
「堺部......」
三舟の発した名前に、かつてともにサッカーをした幼馴染を思い出す一之助。
自身がイギリスに渡る時、泣きながら見送ってくれた少女。奇しくも同じ苗字をしているが、県境ならともかく東京の中心近くの帝都桜華学園まで神奈川から通おうとする女子高生は居ないだろうと、一之助は別人であると考える。
それでも気になり、三舟に堺部の下の名前を聞こうとしたところで体育館に到着した。
「私と栢木ちゃんは普通にこっから入るけど、舟ちゃんと橘川くんは裏口からね」
「はい、せんぱ......んん。澤田先生。それじゃあ橘川くん、行きましょうか」
「わかりました。ありがとうございました澤田先生、栢木も」
「気にするな」
そこでそれぞれA組の教師と生徒、B組の教師と生徒のペアになり分かれる。一之助と三舟はぐるっと体育館の外廊下を周り、正面口とは反対の、体育館全体を一望できる放送室に続く階段を登る。
そっと三舟が扉を開けて体育館の中に入る二人。一之助は外廊下の長さから体育館の広さを想像していたが、それよりも広々とした体育館はサッカーも出来そうなサイズ。そしてその割には少なめの全校生徒が整列しているのを、放送室の窓から覗き見る。
「本当に女子校じゃん......」
全校生徒約千二百人。人数としては多い部類に入るが、それでも学校設備の規模からしたら少ないと言わざるを得ない。
その生徒全員のみならず、教師陣までもが全員女性であることに、一之助はステージに続く階段を降りながら頭を抱える。まばらに居るスカートではなくズボンの生徒を発見した一之助は一瞬顔を明るくするも、どう見たって顔も体つきも女子そのものであるため再び沈んだ。
「そして。皆様に重大な発表があります」
体育館のステージの上では、二学年の学年主任と教頭を兼任する初老の女性、水野が中央に設置された演題に両手を置き、マイクを通して呼びかけをしていた。
チラリ、と視線を袖幕に向けた水野。三舟とアイコンタクトを取り、続いて一之助を見て小さく頷いた。
「橘川くん。簡単な自己紹介だけで大丈夫だから、頑張ってね」
「......はい」
三舟からの応援と今の状況から、ステージ中央で話している水野が次に発するであろうことばを察した一之助は遠い目で答える。
クラス内での自己紹介を想定していたのに、まさか大々的に全校生徒の前ですることになるとは、と不安要素を与えることがないようにと姿勢をただし息を吐く一之助。彼の想定通り、水野が少し大きめの声で言った。
「本日より、共学化を想定し一人の男子生徒が皆様とともに、ここ帝都桜華学園で学ぶことになります」
驚きが渦巻く体育館で、唯一の男子生徒となる一之助が足を踏み出した。




