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隠遁騎士は知っている~斯くて敗れた男が手に入れたのは、最強の魔を断つ究極の剣~

作者: あわき尊継
掲載日:2025/10/27

 白樺の森を抜け、砂利を踏んで小川を辿ればその廃城はあった。

 かつては水門としての能もあったのだろう橋壁は土砂に埋もれていて、渓谷一帯を見回していただろう見張り台は見る影もない。

 そこらを掘り返せば城壁くらいは見付かるのかもしれないが、今見えているのは掘っ立て小屋にも等しい(うまや)が一つと、地面から生えているようにしか見えない騎士館が一つのみ。


「……やっぱり、誰も居ないんじゃない?」

 怯えた様子で栗毛の少女が口を開いた。

 しかし、応じるもう一人の少女はじっと厩を見詰めていて、腰元の剣に(しっか)りと指を掛けている。

「いいえ。やはり誰かが住んでいるみたいです、グレイシア様。厩に馬は入っていませんが、屋根が最近()きなおされた形跡があります」


 そもそも、繰り返された洪水によって悉くが土砂に埋まっている中で、厩だけがぽつんと建っていること事態がおかしいのだ。

 あれだけ新しく建てられたと考える方が納得出来る。

 そう納得して、騎士たる少女が歩を進めようとした。


「私が先行します。あそこに住み着いているのが噂の幽鬼か、あるいは」

「いやっ、私が言い出したんだしさ!! い、一緒に行くよ……、っ、リーシェだって怖いだろうからねっ」


 一人で行くよ、とは言えずに服の裾を掴むのだが、剣を手にした少女リーシェは信頼の瞳を以ってグレイシアへ頷きを見せる。


「了解しました。では、いざという時は――――っ、っっ!!」

「えっ、なになになに!?」


 急に剣を抜き放ち、背後を振り返った少女にグレイシアは慌てる。

 とにもかくにもリーシェの背中へしがみ付き、身を縮めながら同じく背後を見るのだが。


「美しい剣だな」


 突き付けられた剣の切っ先へ自ら顔を寄せる、幽鬼の如き男が居た。

 黄昏時の闇を煮詰めて作ったような外套(ローブ)を纏い、鏡のように磨き上げられた刃を摘まんで光に晒す。

 昼間だというのに頭巾(フード)のおかげで顔には影が掛かっていて、反射した光が目元を強く照らし出した途端、男はにやりと笑ってみせた。


「ひ、ひぃっ!?」


 あまりの不吉さに栗毛の少女、グレイシアは震え上がるのだが、男はなんら構わず剣を見詰め、持ち主であるリーシェへ言葉を投げた。


「美しい、が、こんなものは観賞用に過ぎない」

「……父より受け継いだ、王より賜りし剣です」

「由来など関係あるものか。拵えに文句を言うつもりもない。単純に研ぎ過ぎだ」


 父と王への侮辱であると言っても口調は変わらず、けれど内容にリーシェは首を傾げる。


「よく研いでいることの、何が問題ですか」

「研ぎが繊細過ぎる。よほど良い砥石を手に入れたのだろうが、無暗に鋭ければ斬れるというものでもない。この剣では木偶を斬れても垢や脂汗の滲んだ人の肌すら滑って斬り損ねる。刃とは、斬るべき対象に合わせて適度にこぼれていることが重要だ」


 言葉を証明するように男が刃に指先を滑らせ、軽く跳ね上げさせる。

 が、その肌が僅かに斬れて、赤い血が滲み出していた。


 ふんすと鼻を鳴らすリーシェ、半ばまで瞼を落とした男。

 両者のやりとりを何ら理解出来ないままただ怯えているグレイシアが、とりあえず沈黙に耐え切れず口走った。


「き、斬れてるぅ、ひいっ!?」


 言葉の途中で目を向けられ、素早く背中に隠れる栗毛の少女。

 剣持つ少女は変わらず膨れているので、仕方なしといった様子で男は言った。


「そういうこともある」


    ※   ※   ※


 崩れた二階の窓から騎士棟へと入っていった男が、背負っていた籠を机に置く。

 中身は山菜、茸や香草の類だ。

 食料を集めていた、という当たり前過ぎる姿に違和感を覚えてしまうほどに、やはり男には不吉さが漂っている。


 ただ、机の脇へ寄せられた食器は二人分。


「もう一人、居るんですね」

「そうだが、戻っていないようだな」


 暖炉へ屈みこんで灰の中から埋め火を取り出し、白樺の皮を被せてやれば、瞬く間に火が戻って薪へと燃え移っていった。

 水瓶から銅製のポットへ水を掬い取り、火の脇へ置いて、ようやく男は二人へ向き直った。


「座らんのか」

「え、あはい」

「結構です」

「え、あはい」


 男が促し、リーシェが断る。

 翻弄されるのはグレイシア。


 しかして未だ室内は春前の寒さを残しているが、男は外套を脱いで椅子に掛けた。

 

 断る少女らに構わず腰を落とし、己の騎士剣をその脇へ据える。

 そのまま、無言だった。

 やや火の勢いが安定してきた暖炉からは熱と灯かりが広がっているものの、地中に埋まっているからか底冷えする部屋の中、男はじっと机を見詰めて沈黙している。


「え、ええとぉ……」


 勇気を振り絞ってグレイシアが声を発してみたら、男と、相方のリーシェまで同時に彼女を見てきて口を引き結んだ。


 外で出会い、一応は来いと言われてこの状況、尋ねてきたのは自分達であるのに、どうすればいいのか分からずに固まってしまっていた。

 しかしこのままではいけないと、腹に力を入れて口を開く。


「わたしたちっ、森向こうに住んでいるんですけど!」

「そうか」

「はい!」


 それで、と続けようとした所で男が立ち上がり、また言葉が中断される。

 何をするのかとリーシェが警戒を強めるが、どうやら早くもポットの水が湧いたらしい。

 よくよく見れば、銅製の表面に彫り込まれた紋様があり、リーシェが興味深そうに尋ねる。


「紋様術ですか。熱を受ける補助の為だけに」

「そうだ。帝都の青白い顔をした連中が聞けば激怒しそうなものだがな」

「元より民間伝承……魔女から伝授されて広まった技術ですから、そういった使い方こそが本来の在り方でしょう」

「珍しいな、帝国の人間ではないか」


 思わぬ指摘にグレイシアはリーシェを見る。

 剣を握ったままの彼女は、戸惑いながらも頷いてみせる。


 そうして陶器のポットを出し、茶葉を用意する男を見ながら、暖炉の薪が小さく爆ぜるのを聞きつつ会話は続く。


「私達は、元々はもっと西側に居た人間です」

「西か。ならば魔軍に滅ぼされた、いずこかの国の騎士の家系か」

「私は、はい、そうです。母と共に疎開を繰り返し、半年前にこの地方へやって来ました」


 リーシェは一度グレイシアを見るが、栗毛の少女は口を引き結んで首を振るのみ。

 連れてこられた猫の如く、その身を縮めて警戒心を強めている。

 どうやら男が動いている間は、警戒して自由にできないらしい。


「一介の騎士が王から剣を賜るなど、そうあることではない。お父上か、父祖がさぞ奮起為されたことだろう」

「はい……」

「死んだか」

「はい」


 遺された剣を握り締め、淡々と応じるリーシェを一瞥した後、男は二つしかないカップへ高い位置から茶を注ぎ、差し出してきた。

 なんとなく、当たり前の事実として認識はしていたのだが、先ほどから何をしているのかと思いきや、どうにも二人を持て成してくれているらしい。


「座らず飲みたければ飲めばいい」


 言って男はまた席に座り、視線を外して俯いた。

 出されたカップは二つ。

 元よりここにはそれだけの用意しかないのだろう。

 故に彼の前には無く、グレイシアとリーシェの二人分のみ。


 やや悩みこそした様子だったが、まずはとリーシェが座り、グレイシアが続いた。


 そうして二人、共に美しい所作でカップを手に取り、口元へ寄せてハッとした。

 とても爽やかで澄んだ香り。

 記憶には無い。

 けれど一般的な、紅茶の類では無かった。

 何かの香草を煎じ、あるいは乾燥させて出来た薬草茶(ハーブティー)

 意外にも綺麗なカップの中で、鮮やかな赤茶色の茶には一枚の花弁が浮かんでいた。そのおかげで香りに鮮烈さが生まれ、見目としても美しさを感じられるものになっているのだ。


「いただきます」

「あぁ、飲め」


 にやりと笑ってこちらを見る、不吉さを漂わせた男が言うと毒でも盛られているのではないかと疑ってしまうのだが、リーシェは構わず口を付けて、それから後にほぅっと息をついた。

 感じ入るように目を瞑る様は、余韻を楽しんでいるようにも見えて。


「グレイシア様、毒はないようです」


 それから明け透けに言われ、見ていたグレイシアも恐る恐る口を付けてみた。

 何が楽しいのか、呪いでも掛けて来そうな表情で見てくる男に『見ないでよっ』とは思いつつ、香りと共に口の中へ薬草茶を含んだ途端、


「――――ぁ」


 思えば、茶など愉しんだのはいつぶりだろうかとグレイシアは考えた。

 リーシェ同様に故郷を失い、疎開に継ぐ疎開。

 現地では煙たがられ、諍いなども少なくなかった。

 路銀を得る為に父や祖父から持たされた、誕生日に与えて貰った装飾品なども悉く手放した。

 涙に暮れて、ごめんなさいと言葉を出せば、しばらく涙は止まらなくなって。

 そんなグレイシア以上に参っていたのは母だった。

 産まれてこの方苦労など知らなかった母はいつもイライラしていて、メイド達にも当たり散らす毎日。

 当然、そんな状況でメイド達が仕え続けてくれる筈もなく、一人消え、また一人消え……最終的に母は現地の富豪に囲われて。

 グレイシアの存在は邪魔だったのだろう。

 貴方も居辛いでしょうからと、路銀を渡され放逐された。

 付けてくれた傭兵は粗野な者達で、国を離れた途端にグレイシアを襲おうとした為、隠し持っていた短剣で指を切り落として逃げてやった。

 そのまま偶然、同じく疎開中のリーシェ達と出会わなければ野垂れ死にだったことだろう。


 リーシェやその母は実に親切で居心地は良かったものの、茶を飲みたい、なんて贅沢を言い出すことは出来ず。


「どうだ」

「…………はい。とても、優しいお味でした」


 男に問われ、ようやく感想を口にした。

 気付けばあれほど強かった緊張が緩んでいる。

 薬草茶の効能だろう。

 それに、淡々とこなしているようにも見えて、彼の腕前は中々のものだ。

 葉こそ違えど、高級品だから良いものだと、母を囲った富豪の元で飲まされていたものなど侮辱にも等しい淹れ方だったというのに。


「それで、何用だ」


 招き入れ、茶を振る舞い、それから。


 そう。

 祖国を失い、疎開を続ける内に忘れ掛けていた、歓迎という言葉をグレイシアは思い出す。

 贅沢であるとは承知している。

 その程度実感できないような日々では無かった。

 けれど彼女にとって、望郷と共に思い出す日々に於いては当たり前で、今やもう手に入ることのない遠い出来事となった行為。

 不思議と目に涙が浮かんできて、慌ててカップを置いて目元に手をやった。

 拭う為の手巾(ハンカチ)すら、路銀の為に手放してしまっていたのだ。

 大好きだった父が、十歳の誕生日に買ってくれた絹の手巾。それを売り払った時の、悔しさと生きるんだという決意を胸に、彼女は顔をあげた。


「まずは、ここまでの歓迎に感謝を述べさせていただきます。おかげで少しだけ、故郷の風を感じられました。私はグレイシア=ヴェルナルド=ホーゲンシュタイン。こちらはリーシェ=ロワジェイルです」


「ザルート=アーヴィングだ」


 ザルート、その名前を反芻し、やはり聞いた事のない名であるとグレイシアは思った。

 けれど胸に沸いた感謝と敬意はもう消えない。

 たった一杯のお茶。

 それでもずっと抱えていたグレイシアの苦しさを和らげてくれた、その事実は本人でも思っている以上に重かった。


 男は、ザルートは遠く何かを見据えるような、薄暗い瞳でこちらを待っている。


 彼の腰元にもある、リーシェが持っていたものよりも遥かに武骨で、実用的なのだろう騎士剣へ目をやって。


「今、私達が身を寄せている村の近くに賊が現れたのです。西方より疎開してきた者達が多く、女子供ばかり。隣村が襲われたという話もあります」


 隣でリーシェが悔しそうに歯を噛んだ。

 騎士の家系である彼女は、最初一人でも賊を討ち果たすと言って、飛び出そうとしていたのだ。


 それをどうにか止めて、藁にも縋る想いで噂の幽鬼を訪ねてみた。


 白樺の森の向こう、砂利を踏んで小川を遡った、廃城に住まう幽鬼。


 村の者達が何度か見たと言って、怖がってこちらには来るべきじゃないと警告してくれたのだが、腰にリーシェのものに似た剣を下げていたと聞いて、その可能性に賭けてきた。

 座して待っていたとして、いずれ賊が自分達の村をも襲うだろう。

 また逃げて、いつかどこかで安住できる地が見付かるのを求めるか、あるいは受け入れてくれた村を枕に討ち死にするか。

 捕らわれて賊の玩具にされることだけは、避けたかったが。


 しかして幽鬼は魔物ならぬ人だった。


 漂う陰鬱さと怪しさはあるが、やって来た者に茶を振る舞い、歓迎を示すことの出来る人物だ。

 二人を子どもと見て侮る様子もない。

 ならばこそ、自分達もまた誠心誠意、向き合うことにした。


「ザルート=アーヴィング様。貴方はいずこかの騎士であるとお見受けします。どうか、賊の討伐に際し、私達に力を貸していただけないでしょうか」


 暖炉の中で薪が爆ぜ、男は腰元の騎士剣を、その柄尻を握り込んだ。


「…………良いだろう」


 立ち上がる際、何かを確認するみたいにザルートが左手を握り込んだが、さっさと出て行ってしまった背中を追い掛けることに気が逸れて、それ以上考えるのは止めにした。


    ※   ※   ※


 小川を下り、白樺の森を抜け、渓谷を横目に山を登っていくとその村はある。

 里と言ってしまっても良い規模で、右を見ても左を見ても険しい山に囲まれていて、畑を作るには適さない、水の綺麗さだけが頼りの土地だった。


 人が敢えて山地に住む理由など知れている。

 戦争か、あるいは差別か。温かで平らな土地には居られず逃げ込んで、ひっそりと息を潜めて生きる為。

 グレイシアやリーシェといった他国からの流れ者を受け入れたというのも、追われる者の辛さを知っていたからだろう。


 しかしてその一角に、辿り着いた時には火の手が上がっていた。


 山道を行く最中、煙は見えていたのだが、まさかという思いで丘を越え見下ろした先で、


「賊か」

「っ、母様!!」


 王より賜った剣を抜き放ち、リーシェが一目散に坂を下っていく。

 来た道とは別の、隣村へと続く林道の入り口には男達が数名屯しており、捕らわれたと思しき女達が首輪を付けられ並んでいた。

 男は居ない。

 皆、首を()がれて死んでいる。


 おそらく捕らわれている一人がリーシェの母だったのだろう、無防備に突っ込んでいく彼女とは逆に、足が竦んでしまったグレイシアを、ザルートが振り返って見ている。


「っ、た、たすけてください!!」

「あちらは問題無さそうだ。それよりも、見張りは任せて入り込んだ者共を排除すべきだな」

「リーシェがっ」


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――――!!!!」


 声をあげて突っ込んでいく騎士家系の少女が、気付いて槍を手にした賊の一突きを切っ先でいなし、踏み込んでの一斬。

 力任せ、勢い任せではあったものの、相手の腕を斬り飛ばす腕前は見事。

 そのまま敵へと突っ込むかに思えたが、冷静に敵集団を迂回し、浮いているもう一人を両断、奪った弓矢で密集する敵を更に射抜いた。


 驚いたのはグレイシアだ。


 疎開を続ける最中、リーシェが熱心に鍛錬していたのは知っていたものの、同年代という欲目もあって、あんなにも強いとは考えもしなかった。

 更に一人、(けしか)けられた小男を斬り捨て、彼女は踏み込んでいく。


 あれならばザルートを頼る必要は無かったのでは。

 そんなことさえ思い始めていたグレイシアだが、村の方から()()()()()()()、思わずリーシェの名を叫んでしまった。


「いよおおおおおおおおおおおおおっっっっ、中々イキの良いのが居るじゃねえかあよおお!!」


 彼女は生きている。

 素晴らしい機敏さで回避してみせると、周囲を取り囲む敵を警戒しながらもやってきた新手へ切っ先を向けた。


 新手、それは異様な男だった。


 下半身が牛か何かのように肥大化している。

 地面を踏む蹄も、無造作に垂れ下がる尾も、彼が真っ当な人間ではないことを教えてくれていた。

 しかし上半身は痩せぎすの男で、平たい鼻先を指先で掻きながら周囲の匂いを嗅いで丘の上を見上げてきた。

 手にした巨大な斧を肩に担ぎ上げ。


「馬鹿が一人と丘上にもう一人。けどツラぁいい感じだ。ぶっへへへへへ、今日は朝までたぁ~っぷりとオタノシミが出来そうだぜ」


 え、と思ってグレイシアは隣を見た。

 いつの間にか。

 傍らに立っていた筈のザルートが居なくなっている。

 何故と思う暇もなく、恐るべき跳躍力で詰め寄って来た()()が、平たい鼻をグレイシアの首元へ寄せてきた。

 臭い息が広がる。

 咽返るような獣臭に頭がくらくらした。

「ひっ……!!」

 挙句舌を這わされ、全身に鳥肌が立つ。

 それこそを豚男は楽しむみたいに顔をニヤ付かせ、けれど眉を寄せた。


「もう一人分匂いが残ってるな。どこへ行った」


 グレイシアは声も出せずに首を振る。

 分からない。

 逃げたのかもしれない。

 こんな、人間なのに人間とも呼べないような化け物を目にしたのであれば、誰だって逃げ出す。


 そうは思いながらも裏切られたような失望感が彼女を苛んだ。

 感謝もした。

 信頼しようとも考えた。

 けれど、()()、これまでと同じように失敗して、失っていくのだろうと。


 最初から逃げていれば良かったのだ。


 何も持たなければ、己だけを生かしていれば、こんなことにはならなかった。


 それでも。


「まあいい。コレは……けっ、男の匂いだ!! 村ぁ離れて野郎に跨ってきやがったかあ? 俺ぁ生娘わんわん泣かせるのが好きなんだがねえ、ビッチに用はねえぜ。まあでも、あっちの方はまだイケるかあ?」


 眼下、丘の下でまだリーシェが戦っている。

 強い。

 彼女ならばとも思うが、そこでまた誰かに頼ろうとする自分を恥じた。


「よぉしテメエらよく聞け!! 特にそこの女剣士!! ほぉれよ」


 首を掴まれ、差し出される。

 抵抗は出来なかった。

 腹を殴られ胃液が吹き出す。

 口の中に酸味と、飲んで間もない薬草茶の味が僅かに混じる。

 故郷を思い出した事など既に遠く、覆い被さってくる現実にただ翻弄されるばかり。


「大人しく捕まればこの女は生かしておいてやる!! 安心しろ。俺ぁ女には優しいんだ。それによォ、一晩中だって楽しませてやるぜえ? 並の男なんかじゃ味わえねェ、魔導兵サマ自慢のイチモツでよお、っははははははは!!!!」


 それでも、ようやく、ではあった。

 逃げ続けて。

 避け続けて。

 顔を伏せ、見ないふりをしてきた、これまでの全てを思って。

 今また降りかかって来た不幸を、理不尽を、改めて真っ向ま見据えて。


 グレイシアは初めて、怒りを剥き出した。


「戦いなさいっ、リーシェ!! 貴方が一番守るべきなのはお母様の筈!! 家を再興するんでしょっ!! こんな所で躓いてないでッ、その剣で一人でも多くの人を救いなさい!!!!」


 投げ飛ばされた。

 受け身も取れず転がった所へ、男の蹴りが入る。

 口の中に血が混じった。


「うるせえよビッチ。あーもうダリぃって。テメエみてえなクソビッチ、人質以外になンか使い道あんのかよ。おいテメエらさっさと捕まえろ!! そっちの女は傷付けんじゃねえぞ!! 上手くやったらこのビッチくれえくれてやるからよお!!」


 野太い歓声が上がり、剣戟の響きが山間に木霊した。

 もう、どうなっているのかも分からないが、グレイシアはどうにか息を整え、手を付いて、立ち上がろうとする。

 それを豚男が踏みつけにして見下してきた。


「っ、~~!!」

「イラ付くねぇ、その反抗的な目。お前らはただ絶望してろ。喰われるしか能の無ぇ餌の分際で、敵意なんぞ向けてんじゃねえよ」


 無造作に向けられた言葉を受けて、思わず硬直してしまった。

 それは、男が女に向ける粘ついた欲望などとはまるで違う、人が絶対に人へ向けることのないものだったからだ。


「…………たべる?」


「おうよ、そのとおりよ。なンだテメエ、ビッチの癖に知らねえのかよ。魔導兵ってのは人間と魔族を混ぜた魔軍の先兵よ。魔族ってのは強いが繁殖力に乏しくてよ。広がった戦線を支えるにゃあ無理がある。だから捕らえてきた人間とテメエらの下っ端を合成して、俺らを作った。いいぜェ、クソみてえに汚物の中を這いずってた俺が、今や思う存分ニンゲン共を蹂躙できるんだからなァ」


 豚男はジロリとグレイシアを見て。


「女はいい。犯して、孕ませて、次々と産ませて、出てきたガキを魔導兵にして戦線へ送り込むのが昨今流行の戦い方って奴でなあ。俺ぁグルメなんで、処女しか喰わねえ。まあ、そっちはそっちで楽しんだ後だけど、俺しか知らねえ女ってんなら愛着も湧くだろう? だからよ、お前みてえなビッチには興味ねえんだ」


 それはそれとして、と足先で彼女の身体を撫でて、下卑た顔を浮かべる。

 が、睨み返した途端に舌打ちをし、腹を蹴られた。


「あーもう駄目だなあアイツら。てんで相手になってねえ」


 本当に興味が無かったのだろう、男はあっさりとグレイシアを放置して、今も戦い続けているリーシェの元へ跳んだ。

 血を吐き捨て、どうにか身を起こしてその様子を見たグレイシアだったが、直後の光景に言葉を失った。


 敵の、雑兵とも呼べる男達を次々と討ち取っていたリーシェ。

 けれど豚男が巨大な斧を一振りした途端、どす黒い汚物の様な(オーラ)が立ち上り、彼女をあっさりと吹き飛ばした。

 その気は粘液のように粘ついていて、樹に叩きつけられたリーシェをそのまま磔にしてしまい、手を離れた剣は森の中へと消えていった。

 たった、一手で。


 打つ手を失った。


 リーシェが捕まり、男は消えて、残っているグレイシアも地に伏していた。

 それでも、と。

 土を掴んで、地面を押して、痛んだお腹を堪えながら立ち上がっていく。

 口の端には血が滲んでいる。


「くそ……くそっ、くそっ…………、っ立ってよ、もう……!!!!」


 今は、身体を起こす事さえ遠く。

 咳き込んで姿勢を崩し、また立ち上がろうと腕を伸ばした時。


 背中に、触れる者が居た。


「すまない。時間が掛かった」


 ザルートだ。

 いつの間にか居なくなっていた男が、いつの間にか戻ってきている。


「あ、アナタ……、いえ」

「あぁ」


 彼は言っていた。

 ここは任せて、村の中に入り込んだ者達を排除すべきだと。


 事実悲劇はここだけで繰り広げられているのではない。

 村を守るのなら。

 そして何よりも、自らの意思で戦うと決めた、グレイシアとリーシェならばと、この場を任せていたに過ぎない。


 けれど限界だった。

 必死に抗ってみたけれど、てんで戦えず、この有り様だ。


「ごめん、なさい。アナタ、の、力を……、っ。貸して、下さい……!!」


 男は、ザルートは傍らで(しっか)りとその言葉を聞き届けた。

 そうして黄昏時の闇を煮詰めて作ったような外套を脱ぎ、グレイシアに掛けてくれる。


 低く、昏く、けれどどこか安心する声で。


「よく戦った。後は任せろ」


 騎士剣を抜いて、戦場へ向かった。


    ※   ※   ※


 磔にされたリーシェだが、彼女はそれでも活路を見出そうと抗い続けていた。

 グレイシアが戦い抜けと言った。

 母がまだ生きている。

 たった一人残った、大切な家族。


 けれど剣を失い、樹に磔とされて身動き一つ取れなかった。


「ぶっへへへへへぇ、ようやく捕まえたぜぇ剣士ちゃんよお」


 しかも、身体を覆うこの妙な(オーラ)が全身をヒリ付かせてくるのだ。

 平たい鼻を持つ、下半身が牛のようで、上半身が痩せた人間になっている男。

 彼、と呼ぶべきかも分からない謎の生き物は、舌なめずりをしながら磔となったリーシェの身体を視姦する。


 何故か、身体が熱くなって呼吸が整わない。


「どうだい俺様の特性、孕み袋の呪いさァ!! 触れてるとどんどんと感覚が敏感になって、ちょっとした刺激だけで半時だって達し続けるようになる。優しいだろォ? 女にだって楽しんで欲しいって思ってるんだよ俺様ァよお。まァ!! 膜をぶち抜いた時の痛みでトンじまうこともあるんだけどなア、ぶっへへへへへへへへ!!!!」


 そうして首元へ顔を寄せてきた男だったが、直後に態度が豹変した。


「テメエもかよ!! ぶえっ、ぶえっ!! 男の匂いなんぞ付けやがって!! どいつもコイツもクソビッチばっかりじゃねえかよ!!!! あーっもうキレた!! このしょぼい村は全部潰す!! 俺様をイラ付かせた罪で村民は全員死刑!! こんなトコ制圧しても統治するのもメンドくせえんだ!! 最初から無かったことにした方がマシだマシ!!!!」


「そりゃねえっすよブーさん!! 俺らにもおこぼれくれるって言ったのにさあ!!」

「ここの制圧って任務なんでしょー? ブーさんだって姐御に叱られちゃうしーっ!!」


「テメエらヤリてえだけだろうが!!」


 集まって来た手下達が文句を言うと、唾を飛び散らせながら怒鳴り返す。

 が、それで一度息を落とすと男は幾分冷静になったらしい。


「しょーがねー、今回は部下の慰安旅行だ。テメエらで好きに楽しんでろ。純情な処女信仰者である俺様は、クソビッチのせいで傷心だ。ヤることヤったら帰って報告すっぞ」


「いえーい!! さっすがブーさん話が分かるぅ!!」

「今日は酒池肉林!! 女も子どもも喰い放題だぜえ!!」


「称賛が足りねえ!! もっとだもっとォ!!」


「ブーさん! ブーさん!! ブーさん!!!」

「そぉいそぉい!!」

「ブーさん! ブーさん!! ブーさん!!! ブブブ!!!!」

「そぉいそぉいそぉーい!?」


「いえーーーーい!!!!」


 何が嬉しいのか全く理解出来なかったが。

 大盛り上がりで喜んで、歓声をあげる男達と、平たい鼻の男。


 彼らが腕を振り上げた途端にそれは起きた。


「…………あン?」


 鉄の響きを一つ置き、屯していた男達の首が()()()()()()

 そうとしか思えないような早業。


 泥を塗られ、光沢を失った騎士剣が日差しの中で振り抜かれ、ザルート=アーヴィングによって悉く首を刎ねられたのだ。


「ぁアアアアアアアアアアアアアアアアアア!? なンだテメエはあ!!!!」


「クズに名乗る名はない」


 その中でただ一人、初檄を受けて大きく吹き飛ばされたものの、生きて立っていた男が叫びをあげた。


「そォじゃねえだろ!! それだ!! その匂いだ!! さっきからプンプンプンプン俺の目ぇ付けた女に色目使いやがってすけべ野郎が!!!! これが寝取られか!? 処女信仰者のこの俺様をこれ以上傷付けてナニしようってんだよおお!!」


 ザルートが無言でリーシェを見てきた。

 理解の出来ない生き物を前に、誰かから意見を求めるようなその視線に、けれど彼女も首を振る。


「抱いたんだろ!? どォだった!! ぶち抜いた後の最初の一言は!? 痛みに震える身を抑えつけてッ、目尻に浮かんだ涙を舐めったんだろう!? 最初の血に濡れたイチモツを自分の舌で舐め取らせた時ァ最高だったろう!?」


「そ、そんなことしてません!?」


 思わず叫んだリーシェだが、この間もずっと男の、孕み……なんとかの呪いによって身体は火照り、肌がどんどんと敏感になっている。

 しかも樹へ磔にしてくる(オーラ)は薄く張り付くようで、身体の線が浮き上がってしまうのも事実。


 変な話を聞かされた直後だからか、視線を向けてくるザルートに自分がどう映っているかが気になって、身を捩る。

 ついでに顔が熱くなってきた。


「ぶへっ、ぶへへへへっ、そ、そそそ、そうなのかあ!? 俺様ァつい新しい扉を開きそうになったが、まだ敬虔な処女信仰者として生きていけるのかあ!?」


 もう相手をするのも嫌だった。

 真っ赤になって顔を背けていると、何故か近寄って来たザルートに目を泳がせ、その手が掲げられた所で瞼を閉じる。

 ぐっと、堪えて。

 だから拘束していたモノが切り捨てられ、自由になったというのに姿勢を崩し、リーシェはザルートの胸元へ飛び込むようになってしまった。


「のおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっっう!!!! 最高ォ……!!!!」


 良く分からない生き物はさておき、敏感になったリーシェもまた大変だった。

 匂い。

 先ほどからあの良く分からない生き物が言っているように、確かに感じるザルートの匂い。

 嫌な感じはしなかった。

 衣服には、意外にもお日様の匂いがあって、その裏から仄かに感じる、彼の匂いを吸い込んで、ますます身体が言うことを聞かなくなりそうで、恥ずかしくてその胸元へ顔を埋めた。


「み、見ないで下さい……」

「外套はあちらに置いてきたんだがな」


 触れることは無く、そっと身を離したザルートが上着を脱いだ。

 重さと固さのある、革の服。

 それはそれでまた匂いは濃くなるのだが、最早肌着一枚だけとなった彼の、その裏に見えた大きな傷跡にリーシェは息を呑んだ。


 心臓を貫く、大きな傷跡。

 そこから左肩に掛けての斬り傷は、尋常な戦いで得たものとは思えなかった。


「それは……」

「昔、少しな」


 山奥に隠遁していた騎士。

 その理由についてまでは考えなかった。

 ただ力があり、助けて貰えるのならと、グレイシアの提案を呑んだ。


「ぁ、だめ」


 そうだ。

 その腕、最早剣は握れない。


 彼は全ての動きを右手で行っていた。

 茶を淹れる時も、椅子を引く時も。

 殆どの者は右利きだから、グレイシアは然程気にしなかったが。

 リーシェは騎士となるべく教育を受けている。

 彼の立ち振る舞いの、微妙なズレには気付いていた。

 ザルートは左利きだ。

 利き手が使えなくなり、傷痍軍人として後方へ下がり、生きていたのだと。

 助太刀など本来望むべきではない、既に戦い抜いた者であったのに。


「だめです。っ、私が」


 腕を伸ばしたが、足元から崩れそうになってふら付いてしまう。

 それをザルートがやんわりと支え、ゆっくりと座らせてくれた。

 磔にされていた樹に背中を預け、導かれるまま大きく吐息。


 身体の敏感さも忘れるような、とても慎重で、優しい所作で。

 故にこそ想いは強くなった。


「休んでいろ」

「ですけど」

「問題無い、あの手の化け物相手は慣れている」


 慣れている? と再びリーシェは疑問を作った。

 そんな言葉が出てくる筈はない。

 彼女とてグレイシアと共に村で幽鬼の噂話を聞き集めたのだ。

 目撃証言が出たのは五年以上前。

 そして、つい最近この地方まで逃げてきたリーシェ達は、あんな人と魔族が入り混じったような者は知らなかった。

 戦いを避け、ただ逃げるばかりだったというのも事実ではあるが。


「……………………」


 最早言葉無く心配そうに見つめるリーシェを見て、ザルートもまた困ったように唸った。

 結果、何も言わずに頭へポンと手をやって立ち上がり、彼女に背を向けた。


 身体が火照っている事実など忘れ去り、ぼんやりとそれを見詰めるリーシェ。


 鈍く光る騎士剣を手に、男は行く。


 それを、じっと見続けていた。


    ※   ※   ※


「待たせたな」


「なに。俺様もちょっとテメエの信仰を拓いてた所だ」


 向かい合う男と男。

 方や下半身を牛のように変質させ、人間では持ち上げることさえ不可能だろう巨大な斧を手にしているミノタウロス。

 方や胸元から左肩まで凄まじい傷痕を持つ、不吉さを感じさせる瞳の人間。


 ザルートが手にしているのは騎士剣。

 拵えは簡素だが、造りは丁寧で頑丈。


 いずこかに仕官して、戦っていたが、傷を負って退役したのだろうことは察せられた。


「そうか」

「あぁ」


 互いに正義は主張しなかった。

 ただ、相手が邪魔で、消えてくれればいいなと、それだけの感情だ。


 故にこそ簡素に向かい合い、殺し合いは始まった。


 まず動き出したのはザルートだが、利き手ならぬ右手で剣を握る彼へ、豚男ブーゼルガは戦斧を振るって襲い掛かった。

 間合いは斧が勝る。

 破壊力も、機動性も、反応までも。

 人間では不可能なほどの運動性能を獲得させる、魔族との融合は、それこそ彼らの扱う魔法にさえも手を届かせた。


 人もまた長い歴史の中で紋様術などを発展させ、精霊や神々の力を借りる技術を確立してきたが、各国それぞれが厳重に秘匿し、一般にはあまり知られていない。

 秘密を守る為ならば魔女狩りすら行った。

 そうして人間同士で争い合い、消耗し。

 横から食い破って来た魔軍によって、あらゆる国が呑み込まれていった。


「そォらよお!!」


 急加速、急制動、馬力任せの突進の後、ブーゼルガの繰り出した薙ぎ払いは見事ザルートを捉えた。

 手にしている武器がどれほど頑丈であろうと、男がどれほどの腕前であろうと、単純な重さと威力をぶつけられれば人は飛ぶ。

 初手で自身がされたことの礼だとミノタウロスの戦斧が騎士剣を打ち付ける。


 が。


「っっっっ――――づあア!!」


 真っ向からその打撃に打ち付けたザルードの剣戟が戦斧を弾き返した。


「ぁア!? なンだテメエお仲間かよッ」

「一緒にするな」


 戯言と流して男は駆ける。

 左へ、斬り返して右へ、手にしていた騎士剣を掲げ、ブーゼルガの視線がそちらへ流れた途端に身を伏せた。

 掲げたのは騎士剣ではなかった。

 それを納めていた鞘。

 消えれば、動けば、目は自然と追いかける。

 人間ならばというよりも生物としての習性だ。

 けれど浮かして宙に()()()()鞘はそれと認識し、判断するまでの数秒を稼ぎ出すことに成功した。


 低く踏み込み、切っ先が地を這うような軌道を抜けて跳ね上がる。


 ギィィン!! と、鈍い音が響き渡る。


 隙は付いた、誘導もした、それでも魔導兵の強化された感覚は反応した。

 戦斧の柄で攻撃を受け、身を下げながらの斬り払い。

 担ぎ上げるような動きで下がっていくブーゼルガをザルートは追えなかった。


 ただ、忌々し気に騎士剣を握る腕を睨み付けるのみ。


 吹き抜ける寒風の中、するりと構えを取る。


 泥によって光沢を失った騎士剣が陽光を帯びて鈍く輝く。


 踏み込みの間は、また一瞬で。

 けれど脅威の反応で対処して見せたブーゼルガによって、彼の身は再び吹き飛ばされる。


 それから、またの構え。


 憤ったのは敵側だ。


「無駄だっつってんだろうが半端モンがあ!! 俺様はフェイリス様に仕える六刃将が一人ブーゼルガ様だぞ!! 歯向かうならもっと侵食受けてから掛かってこいや!!」


「そういうお前は七割程度か」


「八割だア!! もう人間だった部分なんざ二割くれえしか残ってねえ。完全に染まっちゃあ意味はねえが、大抵はここまで来る前に発狂しちまう。器が違えんだよテメエとはなあ!!」


「そうか」


 言って、また斬り込み。

 また、生還する。


 そう、生還だ。


 三度に渡って斬り込んで、吹っ飛ばされているにも関わらず、ザルートは一度として傷を受けていない。

 今回に居たっては余裕の着地と、騎士剣を眺める余裕まである。

 その意味をどこまで理解したかは不明だが、ブーゼルガは鬱陶しい虫を見るような目で蔑んでくる。


「人間は魔族には勝てねえ。その魔族の欠点である数の少なさは俺様達が補う。もう詰んでんだよテメエらは。大人しく牧場で飼われて肉になっとけ」


「…………このくらいか」


「あン?」


 呟きは自己確認の為。

 ザルートは三度斬り込んで、騎士剣をブーゼルガの戦斧へ打ち付けてきた。

 当然、刃はこぼれる。

 たったそれだけという単純な話でも無かったが。


「どうした。さっさと構えろ。お前を斬るにはこの程度がちょうどいい。俺も久方ぶりの戦いでようやく頭が冴えてきた所だ」


「この程度だァ!? ニンゲン程度がちょーし扱いてんじゃねえぞオラあああ!!」


「行くぞ」


 ザルートの足元から気が湧き上がる。

 黒く、深く、濃厚な、闇の帳の向こうから覗く……邪竜の瞳の如き昏さで以って。


 最初はふわりと歩を進め。

 やがて沈み込み。


 地平線の向こうへ消えていく太陽を眺めているような、弛緩した時間の中で。


 ふ――――と、男の姿が消えた。


「ぁ、が、あ……あが、ぶ、ぁ」


 手にしていた戦斧ごと両断されたミノタウロスの男が割れていく。

 その向こうで膝を付いていたザルートが、荒い呼吸を整えようと歯を食いしばり、流れ落ちる汗にも構わず身を起こすが。


「ぁぁぁぁぁぁぁぁ、ア――――っぶねえなテメエッ!!」


 割れた身体を無理矢理くっ付けて、ブーゼルガが戦斧の柄を振りかぶる。

 そう。

 両断されて尚も、魔導兵は終わらない。

 抜群の再生力と生命力。

 そも尋常な生命ではない。

 それを討ち果たそうとするのならば、一手だけでは届かない。


 神速の踏み込みで両断してみせたザルートだが、先の攻撃で相当な無理をした為か、右腕の筋は断裂し、間接は限界を超えて破砕した。

 尋常ならざる攻撃の代償は大きい。

 のみならず、残る彼の傷痕が今も全身を苛んでいることを考えれば尚の事、反動で受ける痛みや苦しみは常人の何倍にもなる。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……!!」


 それでも尚、騎士剣を握り込み、立ち向かう。

 見上げた先でブーゼルガもまた息を落としていた。


「心底ムカ付くが、見事だ。俺様ァ生娘しか喰わねえ主義だが、心底強いと思った奴は別でな。新しい扉を開けた礼も兼ねて、このブーゼルガ様の血肉になれることを誇りながら死んでいけ」


 折れた柄までは戻らないのか、忌々し気に武器を握り締め、叩きつける。


 誰も間に合わなかった。

 必死に立ち上がったリーシェも、坂を駆け下りてくるグレイシアも、誰も。


 たった一人を除いては。


    ※   ※   ※


 一人の女がザルートの前に立った。

 唐突に、それと気付けた者が居ない程に、素早い動きで。


「なにやってんスか、師匠」


 静かに。

 慈しむように。

 諦めるように。

 悲しむように。

 絶望するように。


 時が止まってしまったかのようにも感じる美貌の女が、後ろ手にブーゼルガの戦斧を白羽取りにし、突き返す。

 それだけでミノタウロスの男はたたらを踏んで後退った。


「居ないから慌てて来てみれば、こんなところで騎士様ごっこなんて、なんの為に隠遁してるのか、忘れちゃったんスか?」


「助力を、請われてな」


「あー、そこの二人っスね。分かるっスよぉ、どっちも師匠の好みドンピシャっスからね。健気で、真っ直ぐで、正義とか希望とかが大好きそうな、お仲間っスもんねぇ」


「すまないな」


 女はため息を落とし、腰元の剣から手を離した。

 武骨そうなザルートの騎士剣とは真逆で、王から賜ったというリーシェのそれとも比較にならないほど、装飾的で、記号的な剣。

 それを抜くことはせず、彼女は身を引いて二人を眺める位置に立つ。


「どうせ始めたんなら最後までやり通せばいいんじゃないっスか。昔の勘を少しでも取り戻せるのなら、こんな雑魚相手に無様晒してる意味もあるでしょうし。けど、影踏みはやりすぎでしょ」


「行けると思ったんだがな」


「ただの剣術ならいざ知らず、人間の限界を超えた業を、昔の感覚のままやろうとするからっス。利き腕じゃないんで、身体ボロボロなんで、一から鍛え中なんでー」


 それでも、と女は心配そうな顔をして、言う。


「もう一度、辿り着くって決めたんスよね?」

「そうだ」

「その為に何年も、ずぅっと、耐えてきたでしょ」

「あぁ。台無しにしてすまないな」

「いいっスよお。私の方が師匠より強いとか、全然全く嬉しくないんで。幾らでも付き合うっス」


 しかして間を終えて、二人の男が再び向き合った。

 ザルートの息は未だ整い切らず、身体は悲鳴をあげていたが。

 対するブーゼルガは肉体が概ね結合し、短くなった戦斧を構えた。


「…………事情は知らねえが、殺し合いで手ぇ抜く気はねえぜ」

「それで良い。俺を殺せたら好きに喰え」


「意義ありっス。師匠殺したらそこのブタ野郎は永遠の五寸刻みで生きてること後悔させてやるっス」


「難儀だな」

「血の気の多い女は俺様も好みじゃねえ」


 ぶつくさ言いつつ二人は構えを取った。

 雑談も、殺し合いも、日常の一場面に過ぎない。

 食って、寝て、殺して、殺されて、また食って、寝て。

 そういう生き方をしてきた者にとって、今から殺す相手と馬鹿話をすることはそうおかしなことでもない。


 それでも尚、決着はやってくる。


    ※   ※   ※


 ザルートの危機を感じ、駆け付けたグレイシアは、同じく駆けてきたリーシェと合流してその様子を見ていた。

 彼が、ザルートが一緒に暮らしていたもう一人。

 それが彼女なのだろう。


 圧倒的な暴力を撒き散らしていた豚男の攻撃を、見るでもない摘まんで止めた、あの実力。


 それでも彼女は道を譲って、ザルートに立ち向かわせた。


 未だ、立ち向かうことを覚えたばかりの少女二人、遥か遠くの景色すら頭に浮かんでこないまま、その一斬を目に焼き付けた。


 沈み込む太陽が完全に姿を隠す瞬間のように。


 ふっと意識から消え失せ、相手の背後に立つ絶技。


 影踏みと、簡素に呼ばれていたのを聞いた。


 先ほどは袈裟斬りに。

 そして今回は、綺麗に脳天を割ってみせた。


 どれだけ人間を辞めてみせても、決して失うことの出来なかった部分。

 人として、考え、感じ、欲する根源としての脳。

 魂が何処に宿るかは不明だが、ひたすら血肉を魔族に侵され抜いたブーゼルガが最後まで許容出来なかった自分自身を断ち切られたことで、今度こそ本当に魔導兵は死んでいった。


 それは、その業は、もしかしたらザルートを師匠と呼ぶ女から見れば大したことのない、過去の劣化版だったのかもしれないが。


『刃とは、斬るべき対象に合わせて適度にこぼれていることが重要だ』


 心臓を貫かれ、利き腕の肩を砕かれ、今また無茶な攻撃によって負傷を抱えたザルートではあったが。


 少女らは、希望を好むが故に。


 失い、こぼれている今だからこそ。

 かつて彼が斬り損ねた何かを、今度こそ断つことが出来るのではないかと。


 そう、想った。






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