32.料理人、スパイスカレー完売しました!
レシピを商業ギルドに教えたら、営業は落ち着くと普通は思うよな?
「なんでこんなに行列なんだよ……」
「ほらほら、早くカレーを作るんだ!」
「昼飯抜きになるぞ?」
「すみません……」
ゼルフはすぐに謝ってきた。
俺はキッチンカーの中で、黙々とスパイスカレーを作っていた。
商業ギルドにレシピを売ったことが話題になり、興味を示す人が増えた。
それに、「質問があったら教える」と言ったのも良くなかったんだろう。
スパイスカレーを買いに来る人と学びに来る人で町の外に人が溢れていた。
「おー、スパイスの量はそうやって測るのか」
見学に来ていた料理人たちは頷きながら、キッチンカーの様子を見ている。
「むしろ今までどうやって測ってたんだ?」
「こうやって……おりゃあああ!」
男は両手を振りかざし、スパイスを掴む仕草だけでドヤ顔をしていた。
「大体はこんな感じだよな?」
「あぁ、俺もそうだぞ」
「基本どこの店もそんな感じだと思う」
簡単だと思っていたあのレシピも、まさか料理人でも難しいものだとは知らなかった。
そもそも計算ができない人が多い中、お店に出す分の量を調整できないのが問題だ。
三人前のレシピで十人前作ろうとしたら、二倍と少しで調整すれば良いと誰でもわかる。
だが、ここの人たちはなぜか計量せずに、スパイスを手の感覚で入れる。
玉ねぎやトマトは数をきちんと合わせているのに、スパイスだけは何十倍になっているのかもわからない。
いくら同量と言ったけど、さすがにゼルフでもちゃんとスプーンを使いそうだぞ。
「スパイスの役割は味を決めるより、香りと風味の調整なんだ」
「それってどういうことなんだ?」
隣で聞いているゼルフも気になったのだろう。
「俺が前に作ったスパイスチキンはどうだった?」
「少しピリッとしていて美味かったな! 噛んだ瞬間、肉の脂とスパイスが混ざって、口の中が全体が香ばしい匂いが広がっていたな」
聞いていた料理人たちは唾をごくりと呑んだ。
うん、ゼルフって食レポとか意外に向いているのかもしれない。
料理人たちから期待した目を向けられるが作る気はないし、レシピには出さないからな。
「じゃあ、この町に来た時に食べたチキン料理はどうだった?」
「あー、味が混ざって苦味やえぐみがあったな」
ゼルフが言うようにスパイスは入れ過ぎると、それぞれの香りがぶつかって苦味やえぐみが出てしまう。
俺も期待して店に入ったのに、全く美味しくなくてびっくりしたからな。
スパイスは匂いで誘われやすいけど、使い方を間違えるとかなり不味くなる。
「スパイスは減らしても香りが少しするぐらいで済むけど、入れ過ぎたらも元に戻らないからな……」
「じゃあ、多いよりは少なめに作ったほうがいいってことだな。お前らわかったか!」
「「「はい!」」」
まるでゼルフが指導者のように腕を組み、威勢よく胸を張っていた。
そんなゼルフを俺は後ろから蹴る。
「うちの食いしん坊がすまない。ただ、ゼルフが言っているのは事実だ。基本は小さなスプーンで測って、メニューを開発したほうがいいよ」
ちゃんと記録に残すためにも、しっかり分量を決めることが大事になる。
あとはどこまで試して美味しいスパイスカレーを追求するかだな。
これで少しずつ美味しいスパイスカレーが流行るようになるだろう。
むしろ流行らないと困る。
だって、今日がこの町で営業する最後の日になるからな。
「じゃあ、あとはこっちだ」
俺は長蛇の列になった人たちを眺める。
「キッチンカー最終日! ただいまからオープンします!」
「待ってましたー!」
「うおおおおお! 今日はたくさん買っていくぜい!」
聞こえてくる声に俺は嬉しくなる。
まさかここまでキッチンカーが異世界で流行るとは思ってもいなかった。
事前に町を離れることは、お客さんとギルドマスターには伝えていた。
だが、ここまで行列ができるとは思ってもいなかった。
どんどん話が広がって、この行列ができたのかもしれない。
実際に今さっき追加でスパイスカレーを作ることになったからな。
「ハルト、ナンもたくさん焼けたぞ!」
ゼルフも俺の隣でガスコンロを使って、ずっとナンを焼いていた。
今回は全ての調理器具と材料をフル稼働させて、20万ルピを超える売り上げを目標にしている。
これでキッチンカーのレベルアップをさせるつもりだ。
「これから何を楽しみに生きていけばいいんだ……」
「町の料理人がきっと美味いスパイスカレーを作ってくれるから、お気に入りの店を見つけてください!」
俺は来てくれたお客さん一人一人にスパイスカレーを渡していく。
スパイスカレーが気に入って、毎日通っていた人もいる。
少し寂しい気もするが、俺も次の道に進まないといけないからな。
「ありがとうございました!」
俺は心の中で〝またのご来店をお待ちしております〟。
そう付け加えて、深く頭を下げた。
もうこの町に戻ってくるかはわからないからな。
その瞬間、拍手が起きた。
最初は一人、次に二人、やがて列の端から端まで、ざわめきと共に手を叩く音が響き渡る。
笑顔でスパイスカレーを受け取る人、別れを惜しむように名残惜しそうに立ち止まる人。
様々な光景に、胸の奥が少し熱くなった。
「おいハルト、泣くのか?」
「泣いてねぇよ。ただ……ちょっと、目にスパイスが入っただけだ」
ゼルフはナンを焼く手を止めて、真顔でこちらを見た。
「大丈夫か? さすがにスパイスが目に入ったら危ないだろ」
「冗談だぞ?」
「ぐっ……」
ゼルフは思ったよりも真面目で優しいやつだ。
『おいこら、次が待ってるんだぞ!』
「あぁ、ごめんごめん!」
お客さんを誘導していた白玉にも怒られてしまった。
異世界でキッチンカーを続けられたのも、楽しい仲間たちがいるからだ。
その後もお客さんの対応をしていると、いつの間にか行列はなくなっていた。
残りわずかなスパイスカレーを見て、俺は小さく呟く。
「これで本当に最後の一杯か……」
皿に盛りつけ、香りを確かめるように息を吸い込む。
クミンの香ばしさ、コリアンダーの甘み、ターメリックの深い色合い。
何度作ってもこの瞬間だけは飽きない。
コンロの音が止まり、キッチンカーの中が静けさに包まれる。
外では人々の笑い声が混ざり合っていた。
俺は大きく息を吸って、声を張り上げる。
「スパイスカレー、全て完売しました! 今までありがとうございました!」
俺の言葉に拍手が少しずつ広がっていく。
初めてのキッチンカー営業。
この町を選んで本当に良かった。
第一章はここまでになります!
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