2.料理人、男を助ける
俺は急いでエンジンを止めて、謎の空飛ぶトカゲが過ぎ去るのを待つ。
聞いたことのないおたけびを上げながら、翼を羽ばたかせている。
まるで恐竜がいた時代にタイムスリップしたと言われた方が納得するだろう。
「とりあえず帰るには……」
その間にスマホで現在地を確認するが、電源は付いているものの圏外らしい。
山の中だからか、それともどこか別の世界に来たのかはわからない。
空を見上げて何もいなくなったタイミングで、エンジンをつけて、来た道を引き返していく。
「ナビも壊れてるし、何が起きてるんだ!」
ナビは真っ黒で何も見えない。
画面を切り替えたら、変な表記も出てきた。
【ステータス】
キッチンカー Lv.1 ポイント:3
ナビゲーション
自動修復
キッチンカー拡張
調理器具拡張
電力拡張ユニット
冷蔵/冷凍拡張ユニット
給水タンク拡張
排泄拡張
ディスプレイ
♢次のレベルアップ条件:1日売上 10,000円到達
現在地を押すと元の真っ暗なナビ画面に戻った。
ただ、真っ暗な場所をひたすら矢印が動いている。
「こんな道あったか……?」
ある程度は舗装された道だったのに、今は石ころや木の根があちこちにあり、キッチンカーが上下に揺さぶられる。
来た道を戻っているだけなのに、木が動いている気がするし、二足立ちで歩いている動物がいて、俺は疲れているのだろうか。
社畜生活で遂に頭までおかしくなったのか?
「せっかく転職したのに、始まる前に失敗する――」
突然、目の前に男が出てきた。
「うわああああ!」
すぐにブレーキを踏むがその場で男は倒れた。
「大丈夫ですか!?」
急いでキッチンカーを降りて確認すると、男は血だらけで倒れていた。
ただ、キッチンカーにぶつかった形跡はない。
「うっ……」
声をかけても項垂れているだけで返答はない。
ヘッドライトしか灯りはないが、腹部には何かに引っ掻かれたような傷がある。
「近くにクマでもいるのか!?」
周囲を警戒するが、それといって気配もないし、音が聞こえるのはキッチンカーのエンジン音だけだ。
エンジン音を警戒して身を隠しているのかもしれない。
その間に俺は男を担いでキッチンカーの助手席へ運んでいく。
しっかりと汚れないようにタオルを敷くのも忘れない。
「まずは命の確保だな」
残業や理不尽も耐えたけど、目の前の〝死にそうな奴〟を放ってはおけない。
山を降りた先で助けてくれる人を探す方が、今俺ができる最善の選択だ。
もう救急車や自衛隊を頼ることはできない。
隣で倒れている男を見たら、それは一目瞭然だ。
だって――。
「剣を腰に付けている人って日本にはいないよな……」
腰には剣を付けていたし、髪色が銀髪でコスプレイヤーと言った方がしっくりくるだろう。
さっき見た空飛ぶ謎のトカゲや動く木、二足立ちして歩く動物がいることを考えると、どこか別の世界に来たと考えた方が、まだ現実的に思えてくる。
それほどまでに、この光景は異常だった。
「……夢、じゃないよな……」
試しに頬をつねってみる。
痛い。つまり、これは現実。
銀髪の男は浅く息をしているし、応急処置の知識なんてないけれど、見捨てるわけにもいかない。
車をしばらく走らせると、川の音が聞こえてきた。
周囲は開けており、車を止めるにも最適な場所だ。
一度車を止めて、男の様子を確認する。
「一度洗い流した方がいいのか……?」
俺は助手席の男を抱きかかえて外に出す。
銀髪が月の光に照らされて、白い肌がやけに儚く見えた。
川の水は澄んでいるように見える。だけど、飲めるかどうかなんてわからない。
蛇口を捻って、仕込み用のタンクから少しだけ水を取り、男の腹の傷をそっと流した。
せめて泥や血で固まった葉は洗い流した方が良いだろう。
「……まだ血が止まってないか」
俺は手袋をつけて、傷口をタオルで強く押さえる。
「くっ……」
さっきよりは深く息をしているが、命が危ないのには変わりない。
「頼む……死ぬなよ……」
医療技術がない俺にはどうすれば良いのかわからない。
ただ、今は止血しないと死んでしまう。
俺はしばらくタオルで押さえていると、急に体がピクリと動いたような気がした。
「大丈夫で――」
「刺客か!」
「痛っ!?」
突然、腕に痛みが走る。
目を向けると、男が腕を強く握っていた。
ただ、それよりも目の前の光景に困惑する。
「力を入れると血が溢れちゃいますよ!」
せっかく止血をしているのに、傷口から再び血が流れ出てきた。
俺はどうすれば良いのかわからず、さらにパニックになってしまう。
「ポーションはないのか……?」
「ポーション……ですか?」
ポーションってなんだろうか?
市販のうどんつゆや鍋つゆに聞くポーションのことを言っているのか?
便利なものとは聞くが、俺ってそんな使い方もあったのか?
ただ、俺がこの状況に混乱しているだけなのか、何を言いたいのか伝わらない。
「調味料はあるけどポーションは買ってないです」
「……」
青く輝く男の瞳と目が合うと、クスッと笑われている気がした。
死にそうな状況なのに、笑う余裕があるのだろうか。
段々とこっちがイライラしてくる。
「胸ポケットにあるやつを出してくれ」
俺は言われた通りに服を脱がそうとするが、血が固まってくっついていた。
このまま脱がせば皮膚も剥がれそうな気がする。
「服を切るぞ!」
すぐにキッチンカーからキッチンハサミを取り出して、服を切っていく。
医療ドラマでも服をハサミで着る場面を見たことがある。
ただ、男は変態を見るような目でじっと俺を見ていた。
「……そんな目で見なくてもいいだろ!」
男の視線は依然として、微妙に呆れたような、半分呆然としたような表情で俺を見つめている。
こっちは助けるのに精一杯なんだぞ!
服を切ると、胸ポケットから小さな小瓶を取り出す。
「それをかけてくれ」
小瓶の蓋を外して、いざ傷口にかけようとしたがお腹の傷の深さに驚いた。
内臓が見えるんじゃないかと思うほど抉られている。
今話せているのが奇跡だろう。
そもそも生きていることに驚きだ。
「いくぞ……」
俺は目を細めて傷口にポーションをかけていく。
ポーションが何かはわからないが、そんなものかけたら絶対に痛いだろう。
「くっ……ぐああああああ!」
案の定、男は歯を食いしばりながら、声をあげる。
あまりの苦痛な叫びに、俺はすぐにかけるのをやめようとしたが、男が腕を握ってそのままかけさせた。
俺にあんな視線を送っていたが、この男の方がとんだドMか変態だろう。
だが、少しずつ傷口は動き出して塞がっていく。
「おい、かさぶたになって……大丈夫か!?」
男の顔を見ると、あまりの痛みに俺の腕を強く握ったまま意識を失っていた。
譲り受けたばかりのキッチンカーでウキウキして出店場所に来ただけなのに、死にそうな男を助けることになるなんて誰も予想しないだろう。
これが〝屋台旅の始まり〟になるなんて、この時の俺はまだ知らなかった。
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