第45話 包囲の綻び
夜明けの報せ
朝靄の中、鐘楼の上から見下ろす王都は、昨日よりも呼吸が深かった。
市場に仮設の鍋が並び、炊き出しの湯気が細い白を上げる。
路地にはまだ傷跡が残るが、人の声が消えてはいない。
伝令が駆け込む。
「報告! 東の黒柱が折れた影響で、帝国側の補給路に“逆流”が起きています! 荷車の半数が沼地に沈んだ模様!」
兵たちの顔が一斉に上がる。
「やったぞ!」
「帝国も完璧じゃない!」
アレンは頷き、剣の柄を軽く叩いた。
「綻びが出た……今が繋ぎ止める時だ」
帝国の動揺
帝国本陣では、軍鼓の音が一瞬だけ乱れた。
「報告、北東の黒柱が崩壊! 結界の均衡が揺らぎ、外周で“冷気逆流”が発生!」
将兵がざわめく。凍結で味方の馬車が二十台も動けなくなったのだ。
帝王シグマールは動じない。
だが宰相セイルは、静かに瞳を伏せた。
「……見事だ。柱を折っただけでなく、“包囲の息継ぎ”を奪うとは」
将たちの間に、不安が広がりつつある。
「最強夫婦――」その名が、敵の兵の口からも漏れ始めていた。
街の選択
昼、広場に民衆が集まった。
食料の分配をどうするか。限られた麦と塩を、兵に優先するのか、子どもに優先するのか。
重苦しい空気の中、クラリスが壇に立った。
「私は王妃として、兵も民も区別なく守りたい。
でも現実は厳しい。だから、皆で選んでほしい。
“どう生き延びるか”を」
沈黙。だがやがて、老婆が杖を鳴らした。
「兵に食わせろ。戦ってもらわにゃ、わしらが守れん」
「いや、子どもだ! 未来を繋ぐには!」
意見が交わされる。
そのざわめきの中、アレンは剣を地に突き、言った。
「俺は兵を優先する。でも、ただ守るためじゃない。子どもたちが笑える明日を、必ず取り返すと誓うからだ!」
その言葉に、声がまとまっていった。
兵へ食糧を。子どもへ薬を。大人は耐える。
街が一つの意志を形にした瞬間だった。
包囲の裂け目
午後、北門から遠眼鏡で見張っていた兵が叫んだ。
「帝国の陣が動いている! 補給列が乱れている!」
確かに、黒柱が崩れた一帯で荷車が動けず、隊列が二重三重に詰まっていた。
その乱れが、外周の防衛線に亀裂を生んでいる。
ギルバートが槌を担いで笑った。
「行くなら今だろう?」
アレンは頷いた。「小隊規模で突く。深追いはしない」
最強夫婦が率いる遊撃が駆けた。
黒の幕舎をかすめ、荷車を横倒しにし、補給用の樽を切り裂く。
干し肉と穀物が地に溢れ、帝国兵が慌てて拾おうとする。
「追え!」
帝国の怒声が響くが、アレンたちは既に霧の向こうへ消えていた。
背後に残るのは、混乱だけ。
帝国宰相の一手
夕刻、帝国本陣にざわめきが満ちる。
「補給線が荒らされました!」「民の間に動揺が……!」
セイルは口を閉ざしたまま地図を見つめていたが、やがて静かに口を開いた。
「……陛下。戦力の過半を補給防衛に割けば、包囲の圧は弱まります」
「弱めてどうする」
「弱めれば、彼らは“外”を目指す。包囲を破ろうとする。その瞬間を、牙で噛むのです」
シグマールの口元が、微かに笑みに歪んだ。
「なるほど。ならば動かせ」
帝国の陣が一斉に組み替わり始めた。
夜の前触れ
その頃、王都の塔の上。
クラリスは遠眼鏡を下ろし、アレンに言った。
「帝国の布陣が……“わざと”弱まっているわ」
「誘っている、ってことか」
「ええ。私たちが“突破”を選ぶのを待っている」
アレンは剣を腰に収め、夜空を仰いだ。
「包囲が綻んだのは事実だ。だが、その先に罠があるのも事実」
「選ぶのは、明日」クラリスが静かに言った。「希望を持つ人々と共に」
二人は視線を交わし、指を絡めた。
夜風が吹き抜け、遠くで火の粉が舞った。
戦いの次の幕が、確かに近づいていた。




