第41話 帝王シグマール
帝王の行軍
漆黒の軍旗が朝の風に揺れ、太鼓の轟きが大地を揺らした。
二十万の軍勢が整然と進み、その中心にただ一騎、漆黒の軍馬に跨る男がいた。
黄金の冠を戴くことなく、ただ黒衣と鎧に身を包んだその姿は、むしろ王を超えた“影の化身”のようだった。
それが、ヴァルハルド帝国の帝王――シグマール。
彼が一歩進むたびに兵はひざまずき、彼が視線を投げるだけで将軍は声を失う。
ただ立っているだけで戦場を支配する存在。
兵も民も、彼を「帝」と呼ぶより「絶対」と呼ぶ方がふさわしかった。
震える大地
国境に築かれた砦の城壁から、その姿を見た兵士が声を詰まらせた。
「……あれが、帝王……」
誰かが震える声で言う。
「軍勢は確かに大きい……だが、軍そのものよりも、あの男の存在が……」
兵の背筋を凍らせたのは数ではなく、圧そのものだった。
まるで視線だけで大地を縛られているような錯覚。
その場にいるだけで全ての希望を押し潰すかのような重圧。
最強夫婦の登壇
アレンは剣を握り、クラリスと並んで城壁に立った。
彼の背筋は固く伸びていたが、その胸の奥で脈打つ鼓動は、シグマールを前にしてなお恐れを隠せなかった。
「……クラリス」
「ええ、分かってる。これはもう、“人”ではないわ」
クラリスの紅の瞳も、ほんのわずか震えていた。
だが彼女はその震えを隠さず、強く言った。
「でも、私たちが恐れを抱くなら、兵も民もすべて崩れる。――だからこそ立ちましょう、アレン」
アレンは深く息を吸い込み、彼女の手を強く握り返した。
「そうだな。俺たちは夫婦だ。二人で立つ。それが“最強”だ」
帝王の言葉
シグマールは馬を進め、砦との距離を詰める。
そして声を放った。
「追放者の国よ。王と妃よ。よくぞここまで持ちこたえた」
その声は、まるで大地の奥から響いてくるように重く、全兵の心臓を鷲掴みにする。
彼の声に抗おうとするだけで、体の芯が震えた。
「だが、希望は脆い。火にかざせば消える灯火。
お前たちが築いた国も、ただの蜃気楼にすぎぬ」
兵士たちの顔が恐怖に染まり始める。
その空気を切り裂くように、クラリスが声を張った。
「違う! 私たちは蜃気楼じゃない! 追放され、断罪され、それでも立ち上がった!
私たちの灯火は、誰にも消せない!」
だがシグマールは薄く笑うだけだった。
「ならば証明してみせよ。この帝王シグマールを前にしてなお、光を掲げられるか」
王の盾と妃の炎
アレンが剣を掲げた。
「俺は盾となり、この国を守る!」
クラリスが杖を振り上げる。
「私は炎となり、この国を導く!」
二人の声は戦場全体に響き渡り、兵士たちの胸に火を灯した。
「王と王妃が立っている!」
「俺たちも戦える!」
その熱がシグマールの冷たい圧力をかろうじて押し返した。
帝王の試し
シグマールはわずかに首を傾げた。
「なるほど……。だが、希望とは所詮、刹那の炎。
ならば試そう。どこまで燃え続けられるか」
その瞬間、彼の手から漆黒の槍が生まれた。
闇を凝縮したようなそれは、ただ掲げられただけで空が曇り、風が止まった。
兵士たちが叫ぶ。
「……空気が……凍る……!」
シグマールが槍を砦に向かって投げ放つ。
黒き閃光が一直線に走り、砦の石壁を貫いた。
轟音とともに砦の一角が崩れ、土煙が舞い上がる。
「ひ、一撃で……砦が……!」
「これが帝王……!」
絶望の声が広がる。
だが、その土煙の中からアレンが現れた。
砦の残骸を背にし、剣でかろうじて槍を受け止めていた。
「まだ……折れてない!」
クラリスが紅蓮の炎で残骸を押し戻し、兵たちを守った。
「立ちなさい! 帝王に恐れを抱くな!」
国全体の覚醒
兵士の目に光が戻った。
「王が盾となり! 王妃が炎を掲げている!」
「俺たちも戦う!」
民衆が槍を取り、兵士が矢を番え、砦全体が呼応するように声を上げた。
「最強夫婦に続け!」
その声は大地を揺るがし、シグマールの圧に抗う力となった。
帝王の微笑
シグマールはその光景を見てもなお笑みを崩さなかった。
「……ほう。ここまで抗うか。確かに“希望”だ」
しかし、その瞳の奥には冷酷な輝きが宿っていた。
「だが、希望は燃え尽きるからこそ希望なのだ。永遠ではない」
彼は軍馬を返し、背後の二十万の軍勢に声を投げた。
「行け。大陸を二つに裂く戦を始めよ」
その一声で、二十万の軍勢が動き出した。
大地を覆う黒き波が、砦に、王都に、国そのものに迫る。
最強夫婦の誓い
アレンとクラリスは砦の上で並び立ち、剣と杖を掲げた。
「クラリス!」
「アレン!」
二人の声が重なり、互いの瞳に揺るぎない光が宿る。
「俺たちは折れない! 何度でも立ち上がる!」
「この国は誰にも奪わせない!」
その誓いは兵士たちの胸に火を灯し、民衆の叫びと重なった。
希望の光と、帝国の影。
大陸を裂く戦いが、ついに幕を開けた。




