第2話 辺境の村にて
王都を離れて三日。
昼は砂塵舞う荒野を越え、夜は冷たい風の吹き荒ぶ森を進んだ。追放された下級騎士アレンと、断罪された侯爵令嬢クラリス。二人を乗せた馬車がたどり着いたのは、地図にも載らぬ辺境の小村だった。
――村と呼ぶには、あまりに荒れ果てていた。
木造の家々は軒並み傾き、屋根瓦は剥がれ落ちている。畑は荒れ、雑草と石に覆われていた。水を汲みに来たはずの子供たちはやせ細り、怯えた目でこちらを見て逃げていく。老人たちは虚ろな目で焚き火に当たり、もはや生気を感じられなかった。
「……ここが、私たちの新しい拠点になる場所?」
クラリスがドレスの裾を泥に汚しながら吐息をもらした。侯爵家の令嬢として豪奢な屋敷に育った彼女にとって、ここはあまりにも荒んで見えるだろう。
アレンは村の中央に立ち、周囲を見渡す。
腐った柵、壊れかけた小さな防壁。兵糧も備蓄もなく、ただ“見捨てられた土地”。だが彼の表情はむしろ落ち着いていた。
「悪くない」
「悪くない? この廃墟じみた土地が?」
クラリスが眉をひそめる。
アレンは淡々と答えた。
「土はまだ痩せちゃいない。水源も近い。森が背後にあるから狩猟にも使える。防壁は崩れてるが、修繕すれば城塞の代わりになる。……王都から忘れられた辺境だからこそ、誰にも邪魔されずに力を蓄えられる」
クラリスはしばし口を閉ざし、やがて小さく笑った。
その笑みには、かつて社交界で数多の陰謀を読み解いてきた眼差しがあった。
「なるほど。追放者と断罪者には、最高の舞台というわけね」
「その通りだ」
そのとき――森の奥から、低い唸り声が響いた。
狼だ。
飢えた群れが闇を裂いて現れ、牙をむき出しにして近づいてくる。十を超える影。やせ衰えた村を“餌場”としか見ていない獣たち。
「歓迎の挨拶にしては、ずいぶん物騒ね」
クラリスが冷ややかに言う。
「こいつらを退ければ、この村は俺たちのものだ」
アレンは剣を抜き放った。
狼が一斉に飛びかかる。
アレンは前に出て、鋼を振るった。銀閃が夜を裂き、一匹の狼が悲鳴を上げて倒れ込む。
続けざまに二撃、三撃。力強くも無駄のない剣筋が獣を次々と薙ぎ払っていく。
「くっ……!」
背後から回り込もうとする一匹に、クラリスが冷静な声を飛ばした。
「右後ろ!」
「応っ!」
アレンが反転し、剣で牙を受け止め、狼を地面へ叩き伏せる。
その光景を、村人たちは固唾をのんで見守っていた。
「追放された役立たず」と呼ばれたはずの騎士が、たった一人で群れを相手取り、圧倒している姿を。
最後の一匹を斬り伏せたとき、あたりは静寂に包まれた。
血の匂いと共に、夜風が吹き抜けていく。
アレンが剣を収めると、クラリスが近寄ってきた。
「やっぱり……あなたは“役立たず”なんかじゃなかったのね」
彼女の声は驚きと確信を帯びていた。
アレンは苦笑し、逆に返す。
「それはあんたもだ。『悪役令嬢』なんて烙印は、あまりにも似合わない」
クラリスの目がわずかに潤んだが、すぐに毅然とした笑みに変わる。
沈黙を破ったのは、震える声だった。
「――助けてください!」
最初に叫んだのは、まだ幼い少年だった。
「この村を、どうか……どうか救って!」
その声に、他の村人たちも口々に言い始める。
「畑が荒れて、もう食べ物が……」
「盗賊や魔物に怯える毎日で……」
「このままじゃ村が滅びてしまう……!」
その切実な嘆きに、アレンとクラリスは互いに視線を交わす。
彼らもまた、居場所を失った追放者だ。だからこそ、この村人たちの痛みが分かる。
「……分かった」
アレンは少年の肩に手を置き、静かに頷いた。
「この村を、俺たちが守る」
クラリスは長い金髪を夜風に揺らし、誇り高く宣言する。
「ええ。ここから始めましょう。私たちの逆襲を」
荒れ果てた辺境の地。
誰も期待しない村で、二人は誓いを交わした。
追放された騎士と、断罪された令嬢。
その手を取り合った瞬間から――最強夫婦の伝説は、確かに芽吹いた。