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値踏み

「白露、この者は何だ」

低く、威厳のある声が和室に響いた。


障子の向こうに立っていたのは、白髪を後ろに撫でつけた初老の男だった。その顔には深い皺が刻まれ、鋭い眼光が私を射抜く。白露と同じく和装だが、その佇まいは明らかに彼女より上位の者だと示している。


「宮司様。この方は昨晩、神社の前で——」


「転移者か」


白露の言葉を遮り、男は短く断じた。私を見る目には、白露のような哀れみすらない。ただ、汚物を見るような冷淡さがあった。


「......そうらしい」


私は答える。相手の出方を見るため、あえて短く。


「らしい、ではない。その奇妙な衣服、何も持たぬ肉体、そして空から降ってきたという経緯。間違いなく転移者だ」


宮司と呼ばれた男は、私の全身を無遠慮に検分した。品定めだ。そして、その結果に満足したように鼻を鳴らす。


「無価値だな」


その言葉に、白露が息を呑んだ。しかし私は動じない。事実を述べているだけだ。この世界の物差しで測れば、私は確かに無価値だろう。


「白露。なぜこのような者を神社に入れた」


「宮司様、この方は——」


「転移者だぞ。魔法も使えぬ、ただの人間だ。我々がこの者を保護したとなれば、余計な噂が立つ。神社の格が落ちる」


格。なるほど、この男の価値観が透けて見えた。


私は黙ったまま、宮司の言動を観察する。言葉遣いは丁寧だが、白露への態度には明らかな上下関係が見える。彼女を「使う側」の人間だ。そして、「神社の格」という言葉。社会的地位を重んじる。つまり、世間体を気にする。


これは使える。


「今すぐ出て行ってもらおう。あてがあるならそこへ。なければ......そうだな、野垂れ死んでも構わん」


野垂れ死に。物騒な言葉を淡々と吐く。だが、その目には殺意も悪意もない。ただ、本当に私を「虫けら」程度にしか見ていないだけだ。


私は状況を整理する。


選択肢は少ない。この世界での通貨も持たず、土地勘もない。この季節の夜を素の肉体で屋外で過ごせば、本当に死ぬ可能性がある。白露は助け船を出そうとしているが、宮司には逆らえないらしい。となれば——


「......お願いします」


私は床に手をついた。


「何を」


「ここに置いてください」


深々と頭を下げる。額が畳に触れる。いわゆる土下座という姿勢だ。


沈黙が降りた。


「一皇さん......!」


白露が驚いた声を上げる。おそらく、私があまりにも淡々と屈服したことに衝撃を受けているのだろう。


だが、私には何の感慨もない。


プライド? そんなものは腹の足しにもならない。社会的動物としての人間が、集団内での序列を気にするために発達させた、進化心理学的に説明のつく感情に過ぎない。私はそんな非合理的な代物に縛られるつもりはない。


土下座にかかるコストはゼロ。膝を折り、頭を下げるだけ。それで住居が手に入るなら、これほど効率の良い投資はない。


「......ほう」


意外そうな声が降ってきた。


「転移者というのは皆、そのように誇りがないものなのか? それともお前だけが特別に卑しいのか?」


侮辱的な言葉。だが、その声には微かな興味が混じっている。私はそれを聞き逃さなかった。


「誇りでは住む場所は手に入りません」


畳に向かって、私は淡々と答える。


「私は最弱の転移者です。魔法も使えない、力もない。そんな人間が誇りを振りかざしたところで、野垂れ死ぬだけだ。私は野垂れ死にたくない。だから頭を下げている。それだけです」


また沈黙。


私は額を畳につけたまま、意識だけを宮司に向ける。土下座というのは不便だ。相手の表情が見えない。だが、足音と呼吸で大まかな状態は推測できる。


足音は動かない。呼吸は深く、ゆっくりだ。考えている。


何をか。


答えは単純だ。この男は「格」を重んじる。つまり、他者からどう見られるかを過剰に意識する人間だ。そんな人間が、転移者を追い返したという噂が立てば、慈悲のない神社として評判を落とす可能性も考慮しているはずだ。


同時に、転移者を匿ったという事実も困る。何のメリットもないのに手を差し伸べるのは、弱みを見せたことになる。


つまり今、この男の頭の中では天秤が揺れている。追い出すデメリットと、匿うデメリット。


「......神社の雑用ができるか」


宮司の声。


私は顔を上げる。


「何でもやる」


「口だけならば誰でもそう言う」


「では証明します。何をすればいい」


宮司の目が細まった。値踏みするような、冷たい光。だが、それは先ほどまでの「虫けら」を見る目とは少しだけ違う。


「......面白い男だな。転移者には珍しく、頭は回るようだ」


それは褒め言葉ではない。むしろ、警戒が混じっている。どうやらこの宮司、見た目通りの老狸らしい。


「白露。この者をしばらく離れに置いておけ。雑用を与えろ。使えなければ追い出す」


「......承知しました、宮司様」


白露が頭を下げる。その声には安堵と、別の何か——困惑?——が混じっているように聞こえた。


宮司は踵を返し、障子に手をかけた。


「名は何という」


「一皇。一つに皇帝の皇と書く」


「ふん。大層な名だ。名前負けとは、このことだな」


侮辱をひとつ残し、宮司は去っていった。


────────────────────────────────────

障子が閉まった瞬間、白露がこちらを振り返った。


「一皇さん......あなたは、その......」


言葉を選んでいる。おそらく「なぜあんなに簡単に土下座できるのか」と聞きたいのだろう。


「言ったはずだ。取り乱しても事態は好転しない。土下座も同じだ。効果があるなら使う。それだけだ」


白露は何かを言いかけ、口をつぐんだ。その瞳には、昨晩とは違う種類の感情が浮かんでいる。哀れみではない。困惑と......かすかな恐怖?


「......離れに案内するわ。ついてきて」


彼女は背を向けて歩き始めた。


私はその後に続きながら、思考を巡らせる。


宮司。あの男について分かったことを整理しよう。


第一に、「格」を重んじる。社会的地位への執着が強い。つまり、噂や評判に敏感だ。これは弱点になり得る。


第二に、計算高い。私を追い出すデメリットと匿うデメリットを天秤にかけた上で、「雑用として使う」という妥協点を選んだ。感情的な人間なら、あの侮辱への怒りで即座に追い出していただろう。つまり、感情より実利を取るタイプ。


第三に、警戒心がある。私が「頭が回る」ことを見抜き、一瞬だけ表情を変えた。これは私を過小評価していない証拠だ。だが、同時に——


「一皇さん」


白露の声で思考が中断される。


「何だ」


「......宮司様のことを、どう思った?」


唐突な質問。だが、その真意は読める。彼女は私がどれほど傷ついたか、あるいは怒っているか、確かめたいのだろう。


私は嘘をつくことにした。


「不快だった。だが、住む場所のためだ。仕方ない」


弱者らしい答え。白露は少しだけ表情を和らげた。やはり、彼女は私を「哀れむ対象」として見たいのだ。その方が彼女の世界観に合致する。


本心を言えば——私は何も感じていない。


宮司の侮辱は事実の羅列に過ぎない。私は確かに無価値だ。誇りもない。それを指摘されたところで、痛くも痒くもない。


むしろ、収穫があった。


あの男は使える。


社会的地位への執着。これは言い換えれば、「見栄」だ。見栄のために行動する人間は、操りやすい。適切な情報を与えれば、望む方向に動かせる。


そして、あの警戒心。私を舐めていない点は厄介だが、裏を返せば、私が「無害」であると証明すればするほど、油断を誘える。今の土下座と卑屈な態度は、その布石だ。


計算高いタイプは、相手も計算高いとは思わない傾向がある。自分だけが賢いと信じたいからだ。


「......ここよ」


白露が足を止めた。


小さな離れだった。母屋からは渡り廊下で繋がっており、一間の畳部屋がひとつだけ。物置に近い簡素さだが、雨露は凌げる。


「ありがとう。十分だ」


私は短く礼を述べた。


白露は少し躊躇った後、小さな声で言った。


「......宮司様は、悪い方ではないの。ただ、神社を守る責任があるから、厳しくなってしまうだけで」


それは弁護か、あるいは彼女自身への言い聞かせか。どちらにせよ、興味深い情報だ。白露と宮司の関係。彼女はこの男に逆らえないが、嫌ってもいない。複雑な感情がある。


「分かった。気にしていないから安心してくれ」


私が言うと、白露はほっとしたように微笑んだ。その笑顔を見ながら、私は思考を続ける。


白露。この少女についても整理しておこう。


慈悲深く、献身的。他者を助けようとする性格。そして、転移者・転生者についての知識を持っている。彼女は私を「弱者」として哀れんでいるが、それは同時に「私は彼女に危害を加えない」と思い込んでいることを意味する。


この信頼——いや、油断——は維持すべきだ。


彼女の知識は必要だ。この世界の仕組み、魔法の原理、社会構造。それらを知らなければ、策を立てることもできない。そして、情報を引き出すなら、彼女が私を「助けるべき存在」と認識している今が最適だ。


「白露」


「何?」


「......この世界のことを、もっと教えてほしい。魔法のこと、社会のこと、何でもいい。自分が置かれている状況を理解したい」


弱者らしい懇願。白露の瞳に、また哀れみの色が浮かぶ。


「ええ、もちろん。時間があるときに話すわ」


「ありがとう。君がいなかったら、俺は本当に野垂れ死んでいたかもしれない」


感謝の言葉。本心か嘘かは自分でも分からない。だが、効果はある。彼女の表情が柔らかくなった。


白露が去り、私は一人になった離れの中で、天井を見上げる。


住居を確保した。情報源も確保した。そして、将来的に使える「駒」の候補もひとつ得た。


宮司。あの男はいずれ、私の道具になる。


今日の土下座は、そのための投資だ。コストゼロで、膨大なリターンを得る。これが私のやり方だ。


この世界は私を最弱と定義した。


ならば、弱者として振る舞おう。誰もが私を侮り、油断し、無視する。そして、彼らが私に気づいた時には.....


私は目を閉じ、明日からの「雑用」について考え始めた。まずは神社の構造を把握する。次に、宮司の日課と交友関係を調べる。そして、この国の権力構造を理解する。


全ては計算のうちに。


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