4、出版を勧められました
再会を喜びあった後、涙を拭いネヴィアは言った。
「貴女の書いた小説、本当に素晴らしかったわ。主人公が生き生きしているのはもちろん、異国での奮闘、政略結婚から芽生える真実の愛。そして素敵な夫との結婚生活!」
「ありがとうございます。少し恥ずかしいですけど、そこまで言ってもらえると徹夜で書き上げたかいがありました」
実際は海を越えることは叶わなかった。何より婚約者は自分を裏切った最低男だったので、王子のキャラクターやシナリオはセレナが生み出した創作だ。
「ねえ、これを本にしてみない? とても素敵だったから、いつでも読み返せるようにしたいの。セレナの実家はレスタータ家でしょう? 確か印刷業に通じていたわよね」
「父に頼めば可能だと思いますが」
「お金なら私が出すわ。まずは十冊作ってもらえないかしら」
「ちなみにその十冊をどうされるおつもりで?」
「心配しなくても、ちょっと親戚に配るだけよ」
「ちょっと親戚に配るだけ」
可愛らしく言われても誤魔化されてはいけない。ネヴィアの親戚、すなわち王族及び高位貴族である。
「私だけがこんなに素敵な物語を知っているなんてもったいないわ」
「これは王妃様のために書き上げましたので、私は王妃様に読んでもらえただけで満足ですよ」
「あら、私のことはお母様と呼んで。さっきはそう呼んでくれたでしょう」
「ではお母様! 早まってはいけません。私の小説は人様にお披露目できるようなものではないので」
しかしネヴィアは諦めなかった。というより既に決定事項なのか引くつもりがないようだ。
「それでね。私思ったのだけど」
話しを聞いてと訴えるセレナの前で細い指が紙をめくる。
「二人の恋が成就するまでに、もう少し障害があったほうが盛り上がると思わない?」
「え? あ、はい。それはそうですけど」
幸せな物語を届けようと辛い展開は省いたのだが、確かに物語としてはその方が盛り上がるだろう。指摘は的確だ。
「あと、このキャラクターは魅力的ね。もっと登場シーンを増やして、こっちのエピソードと順番を入れ替えた方がいいわ」
「それはいい案ですけど」
「あ、ここの文字は違っているわね」
「申し訳ありませんでした……」
――そして議論は夜まで続いた。
(お母様の指摘が的確すぎて口を挟む暇がなかった!)
昼に訊ねてきたはずが、カーテンの向こうは暗い。
「ふう、こんなものかしら」
清々しい表情でネヴィアが最後のページを手放す。長時間に渡る会議でお互いに疲弊していたが、やり遂げたという感情が大きい。
「直したらまた見せてちょうだい。そうだわ! 挿絵があった方がイメージを掴みやすいわね」
「でもお母様、私絵なんて描けません」
「困ったわね。私も絵は描けないし」
「ですからこの話は無かったことに」
「そうだわ! ハンナに描かせましょう」
聞き覚えのある名は親子で王妃に仕えていた侍女の名だ。母親は引退したと聞かされたが、娘のハンナは今も働いているようで、セレスティーナとして面識があった。セレスティーナにとっては少し年上のお姉さんと言う印象で、慕っていたことを思い出す。
「急に挿絵を描けなんてハンナも困ると思うのですが」
「大丈夫よ。あの子絵が上手いの。それに恋愛小説は好きだからこの作品も気に入ると思うわ。だから、ね? 私には王妃として、この素晴らしい作品を世に広める義務があるわ」
強い決意である。沈んでいた母の瞳に生気が戻ってくれたのは嬉しい。嬉しいが。
セレナは羞恥と母への愛で揺れた。しかし最後には愛する母の存在が勝利する。
「わかりました。お母様の熱意に負けました。帰って父に相談してみます。ただし私が作者だということは内緒にしてくださいね」
「あら、どうして?」
「最初のページを読んでみてください」
頷くネヴィアが修正混じりの一ページ目を読み上げる。そして視線を上げもう一度わからないという顔をした。
「特に問題があるようには感じないけれど」
「大ありですよ! 自分で自分のことを妖精の生まれ変わりだとか、可憐な妖精姫なんて言う人がいますか!? どんな自信家……微笑めば春が訪れるだとか、流した涙は宝石の如くとか、もし私の前世がセレスティーナだと知られるようなことがあれば恥ずかしくて外を歩けませんよ!」
自分で言いながら、すでに羞恥がわいている状況だ。それなのに母はおっとりと微笑むので、こちらの必死さが伝わっていない。
「あら、間違っていないのだからいいじゃない。みんなそう言っているし、私もその表現は的確だと思っているわ。素敵な通り名よね」
「自分以外の人が言えば、ですよね!?」
物語に望まれるのは美しいお姫様の姿。けれど自分で自分の容姿を褒めるのは複雑だ。友人知人、はては前世と今生の家族から自分大好き人間と思われるのは心外である。あれは過去だと割り切ることで、なんとか羞恥を捨て全力で描写できたのだ。
こうしてセレナは正体を隠し、リタ・グレイシアという名で本を書くようになった。
ネヴィアの希望で作られた初版の数冊は宣言通り彼女の親戚に配られ、世間的には王妃が笑顔を取り戻したのはこの小説がきっかけだということになっている。必要以上に目立ちたくなかったセレナにとっては正体を知られずに済み有り難いことだが、大変なのはここからだった。
王妃に笑顔をもたらした小説は貴族の間で瞬く間に噂となり、読みたいという声が殺到したのだ。その声は城だけに留まらず、城下にも届くほどだった。
亡き王女の幻の恋物語は人々の興味を掻き立て、ネヴィアとレスタータ家が動くのは早かった。
「この本、出版しましょう」
「お母様!?」
支援していた傾きかけの出版社はフル稼働、急遽増刷されることになった本は速やかに書店へと納品され即発売。
その日、書店には見たこともない長蛇の列ができた。当然、想定していた印刷分では足りず、またしても増刷が決まったほどである。レスタータ家の事業が潤ったことは、セレナにとって親孝行になったと喜ぶべきことだった。
それからセレナは表向きは王妃の話し相手として城を訪れるようになる。セレナの父は娘が王妃の話し相手になったことを喜び、サロンで楽しいひと時を過ごすのだろうといつも笑顔で送り出してくれる。
しかし実際に行われているのは微笑ましい語らいではなく……
「さあ、次回作の打ち合わせを始めるわよ!」
「次回作ってなんですか!?」
ネヴィアの物語に対する情熱は深く、それはそれは長い打ち合わせの始まりである。
こうして小説家リタ・グレイシアは誕生した。
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