28、初恋を振り返りました
ラシェルと二人、穏やかな時間に身を置く。
木の葉の間から注ぐ日差しは柔らかく、見慣れた景色に影を残す。光と闇が交じる様子は特別な空間へと誘うようだ。
「不思議だな。二度と逢えない事を理解していながら、この場に立つと再びあの方に逢えるのではないかと期待してしまう」
眩しそうにラシェルが目を細める。彼が懐かしそうにしていた本当の意味を知り、セレナは寂しさを覚えた。
確かに人の気配がしない庭園の奥深くは、人ではない何か――妖精が現れてもおかしくはない、不思議な空気がある。
(旦那様も、セレスティーナに逢いたいですか?)
答えのわかりきった問いかけをする勇気はない。
妖精姫がこの世から消え、惜しまれる声をセレナとして十八年間聞き続けてきた。ラシェルもその一人だったというだけの話だ。
彼らに寄り添いたいと思う気持ちはあるけれど、ここにいるのは言い出すことのできない臆病者。セレナではなく、セレスティーナを求められたらと思うと怖かった。
今もラシェルが隣にいてくれて良かったと言う自分と、彼もセレスティーナの方が喜ぶのではないかと疑う後ろ向きな自分がいる。
「俺はセレスティーナ様を慕っていたと、母に指摘されたことがある」
唐突な告白を受け、セレナはより申し訳ない気持ちになった。
(すみません旦那様! それ、それすでに聞いちゃってます!)
許可なく暴露されてしまったラシェルに同情する。
「何故だろうな。君には話しておきたいと思った」
(それってまさか、本人だからって意味じゃないですよね!?)
探りを入れられているようで落ち着かない。リタ・グレイシアとしてならこの手の話題は大歓迎だが、本人となれば遠慮したいところだ。
「君も、誰かを想ったことがあるのだろうか」
躊躇いながらもはっきりとした問いかけに頭を悩ませる。
今世、セレナは恋を諦めていた。そのためこの手の話題で思い出すのは前世の記憶となり反応が鈍くなる。
ところが沈黙を肯定と判断したラシェルは狼狽え始めた。
「まさか想う相手がいたのか!? 俺は君の気持ちを確認もせず、強引に結婚を迫ったのか!?」
出会ったばかりの頃は気にすることのなかった他人でも、セレナを知った現在ではラシェルに重くのしかかる。
「ち、違うんです! 私は、旦那様のように懐かしいと思えるような、良い思い出ではありませんでしたから……」
「そう、だったのか。辛いことを思い出さてすまない」
ラシェルが傷つくことはないのに、彼の方が辛そうだ。そんな風に寄り添ってくれる人になら、抱えていたものを打ち明けられそうな気がした。
「あの、よければ聞いていただけますか?」
「だが、君にとっては辛い話だろう」
「旦那様に聞いてほしいんです。そうでないと私の罪悪感がとんでもないことに」
「罪悪感?」
「なんでもないです!」
(母親にばらされた挙げ句、本人に筒抜けなんて、旦那様に申し訳なさすぎる!)
罪滅ぼしにはならないけれど、せめて同じものを差し出したいと思う。とはいえセレナは恋をしていないので、前世の話になってしまうけれど。
覚悟を決めると、セレスティーナへの想いを語ったラシェルの気持ちが少しだけわかる気がした。何かが変わるわけではないけれど、忘れられない想いに区切りを付けたくなることもあるだろう。
「優しい人だと思ったんです」
声も笑顔も、物語に書かれる王子様のようだった。
なんでもないことのように話したかったけれど、笑おうとして失敗する。ラシェルの手をすり抜け、視線から逃れるように木陰へと足を進めた。
「私のことを好きだと言ってくれました。必要としてくれて、この人と結婚したら幸せになれると思いました。でも本当は、彼は私のことなんて見ていなかった」
「どういうことだ?」
「あの人が見ていたのは私の地位だけ。優しい言葉も、望まれたのも全部嘘。最後には裏切られて、というのも図々しいですね。私が勝手に期待していただけなのに。幸せな結婚に夢を見て、彼のことを何もわかっていなかった」
夢のような庭園で何を語っているのだろう。もっと明るい話ができたら良かったのに止まらない。
「彼は私以外にも愛を囁き、犯罪にも手を染めていた。たくさんの人を騙しながら、それを自慢するような人。そんな人を妄信していた自分が嫌になります」
言ってしまった。思えばずっと、誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
けれどこんな話を打ち明けることもできず、心の奥にしまい込んでいた。事情を知る前世の両親にも心配をかけたくないと、婚約者への想いを打ち明けた事はない。
「愚かな男だ」
耳に届いた呟きに驚いて振り返る。
感情の読めない口調だが、冷めた瞳は怒りを押し殺しているようにも見える。
「君を裏切り、傷つけた男が許せない。だが同時に、君と結婚することができたことを感謝しそうになるから困る」
反応に困っているとラシェルは表情を改めた。諦めたような笑みは深く優しく変化する。その頃にはもう、身の竦む冷たさは消えていた。
「君と結婚できて幸せだと言っている」
「……私で、良かったですか?」
セレスティーナではなくて?
のどまで出かけた言葉を呑み込む。拗ねた態度も、八つ当たりのような感情も情けない。そんなセレナの憂いをたった一言が覆す。
「君が良い」
暗くなっていた目の前が開ける。舞い上がるように心が軽くなるのだから単純だ。
「あっ、ありがとうございます」
感謝を告げる声は震えていた。しかもありきたりな言葉だ。それでもリタ・グレイシアかと詰りたくなる。ペンを取ればいくらでも台詞が飛び出すのに、本当に伝えたい想いは上手く言葉になってくれない。
誰かに必要とされるのはきっと、こういうことを言うのだ。気を抜くと涙も溢れてきそうで、唇を噛んで我慢した。
「君も、少しは幸せでいてくれるだろうか。そうであるのなら」
「幸せです!」
最後まで言葉を待つ余裕がないくらい、直ぐに伝えたいと心が急く。力いっぱい伝えるとラシェルは目を丸くしたが、嬉しそうに受け入れてくれた。
いきなり求婚されたかと思えば契約結婚の提案に驚かされた。
あまりの好条件に即答し、ロットグレイ家での生活は不安を感じることのない快適さ。おかげで大好きな小説を書き続けることができている。
家族や使用人は温かく見守ってくれる。
前世で縁のあった人たちと再び言葉を交わすことができた。
そして何より、ラシェルがいてくれる。夫となった人は世間では冷血公爵と呼ばれているけれど、とても心の優しい人だった。
「私、旦那様と結婚できて幸せです!」
とびきり甘く、それでいて不適。自信に満ち溢れていると言うのだろうか。ラシェルの眼差しは温かい。
「なら、その男に会うことがあれば言ってやれ。君は必要とされ、望まれている。幸せな結婚をしたと自慢するといい。俺は君が常にそう思えるよう尽くそう」
差し伸べられた手は眩しい。暗いと思っていた場所には光が指し、風の音がやけに大きく聞こえる。
その瞬間、唐突に自覚してしまった。
(そっか。私はこの人が好きなんだ)
今世の恋は、前世の恋とは随分違っているようだ。始まり方も何一つ同じではなかったけれど、少しずつ想いが育まれていたことを知る。触れると胸が満たされ、随分と温かいような気がした。
「旦那様。私と結婚してくれてありがとうございます」
「それは俺の台詞だが」
「旦那様ばかり狡いですよ。私にも言わせてください」
追いかけて来たラシェルが手を取り、日差しの下に連れ戻される。
親子のように繋いでいた手は、今度は恋人たちのようにしっかりと結ばれた。繋がりが簡単には解けないよう、セレナも握り返す。
(帰ろう。私を必要としてくれたこの人と一緒に)
今生を生きるのならラシェルの傍がいい。隣で同じものを見て過ごすのなら、一緒に笑いあえる方が素敵だ。他愛のない時間も、特別な日も、彼とたくさんの思い出を作ろう。
(最初はやっぱり『王女の婚姻』の舞台よね)
約一月後には『王女の婚姻』が初演を迎える。
誘ってくれたラシェルに感謝しながら、彼の喜ぶ顔を側で見られることが楽しみでならなかった。
しかしセレナが危惧していた事件が起きたのは公演当日のことである。
次回、舞台初日。
不穏なラストですがこの物語はハッピーエンドです!
少し書き溜めにお時間いただきますが、早く二人を進展させたいので頑張りますね!
ここまでのお付きあい、ありがとうございました。
まだ終わりませんので、引き続きお楽しみいただけましたら幸いです。




