26、前世の弟に明かしました
自分より大変な事になっている人を前にすると落ち着くらしいが、セレナはまさにその状態を体験していた。
絶大な人気を誇るルクレーヌの王子が落ち込み、謝り倒すのを前にしていると、冷静に考えることができそうだ。
(アレクはとっくに大人になって、きちんと自分の行動に責任を取ろうとしてる。私だけがいつまでも子供扱いをしていたのね)
自分よりも高い身長に馴染みのない声。弟が大人になったことを実感する。
まだ幼いから悲しませたくないと言い訳を重ね、逃げ続けた。もう一度逢えただけで幸せなのに、立派な姉であろうと見栄を張ってしまった。
(お母様は気付いていたのね)
きっと何度も教えてくれていた。それなのにこうして話してみるまで受け入れることができなかった。
もうこれ以上、アレクが自分を責める必要はない。何故ならセレナは幸せで、離縁を望むことはないのだから。
しかしいくら言葉で説明しようとしても、信じてもらうのは難しい。相手が冷血公爵であること、セレナが伯爵令嬢であることから、身分の差が正しい声を歪ませる。おまけにセレナとアレクの間に信頼関係はない。
(なら対等な立場で話しをするしかない。謝りたいことがあるのは私も同じよ!)
セレナは長く目を逸らしていた問題と向き合う覚悟を決める。
「謝罪なら、実は私も殿下に謝らなければいけないことがあります」
「君が、僕に?」
当然、身に憶えのないアレクは不思議そうな顔をする。
「ごめんなさい。幻滅されたくなくて、ずっと伝える勇気がなかった。まだ幼いから傷付けたくない、悲しませたくないと言い訳を重ねて逃げていた。でも、貴方はもう立派に成長していたのよね。結局、私の覚悟が足りなかっただけ」
「えっと、ごめん。何の話?」
いくらセレナが微笑んだとしても、かつてのように妖精姫と称賛されることはないだろう。それでも精一杯、昔のように笑ってみせる。
「伝えたいのなら自分で伝えて。貴女の姉も、リタ・グレイシアもここにいるから」
「ここって……」
どう見ても部屋には二人しかいない。
アレクの困惑が伝わってくるようだ。
「姉さんなんて大嫌い。僕を置いて行くんだから、絶対幸せになってよ」
「それは……!」
アレクが驚くのも無理はない。それはセレスティーナが旅立つ前に弟から告げられた言葉だ。
「別れの日、貴方は誰よりも泣いてくれた。涙を拭おうとした私の手を振り払い、怒った顔をして走り去ったわね。最後はそのまま、喧嘩別れのようになってしまったことを後悔した」
「それは僕もだけど……いや、まさかそんなことが……」
泣きながら走り去る弟に、寂しそうな顔をする姉。きっとアレクも同じ光景を思い出している。
「信じられない気持ちもわかるし、信じてもらえなくてもいいの。それでも、どうしても伝えておきたかった」
戸惑うばかりだったアレクは、真偽を探るようにセレナを観察し始める。しかしどうしたって目の前にいるのは、亡き姉とは異なる姿をした別人だ。
「えっと、今、とても混乱していて。本当に君が、その……セレスティーナ、姉さんなの?」
とても頼りない問いかけだ。期待と不安が入り交じる眼差しを受け、セレナははっきりと答える。
「その問いかけに、私にはそうよと頷くしかないわね」
アレクの瞳が揺れる。耐えるように唇を噛み、それが溢れる前に頭を抱え俯いた。その間も小さく言葉を発していたけれど、上手く聞き取る事ができない。
突然訳のわからないことを言って怒らせたのかもしれない。死んだ姉を語り、親しい口調で話しかけたことを不敬だと罵られるかもしれない。告白した側のセレナも不安に揺れるが、どんな結果になっても受け入れるつもりだ。
「アレク殿下……」
呼びかけるとアレクはすぐに顔を上げる。ただしそこに涙はなかった。
「待って。もしかして、母さんこのこと知ってる!? だから元気に、いや、それなら父さんも!?」
「お母様に見破られて、お父様には私から話させてもらったわ。でも二人を責めないで。黙っていてほしいと頼んだのは私だから」
「どうして黙ってたのさ。それなのに、急に話す気になったのはどうして?」
アレクが不満そうに口を尖らせる。
「この部屋でのことは他言しないと言ってくれたでしょう。言えなかったのは、約束を守れなかったから。私、嫁ぎ先で幸せになれなかったもの」
「それは、姉さんのせいじゃ!」
セレナは否定し首を振る。セレスティーナの最期はみな悲劇だと言うけれど、実際はもっと残酷な裏切りが付き纏う。
あの日、船の中で目にしたことを話すと、アレクの瞳は怒りに燃えた。
「知ったら貴方が悲しむと思った。それに、その、読んだのよね」
「何を?」
「私の本。幻滅したでしょう? 自分を美化して書くような姉……」
「そんなわけないだろ!」
アレクはラシェルに抗議した時のように身を乗り出して力説する。
「姉さんが妖精のように美しいのは本当だし、優しくて民に愛されていたのも本当だし、頭が良くて実はお転婆なところも全部その通りで、僕はずっと素晴らしい話を書いてくれたリタ・グレイシアに感謝したいと……あ、あれ? それも姉さんなんだっけ?」
言いながらアレクは混乱していく。
「アレク、信じてくれるの?」
「正直まだ混乱してるけど、僕も姉さんを信じたい。それに君が姉さんなら、母さんに笑顔が戻ったことも納得できる。本人に自覚はないかもしれないけど、君の事を話す母さんは、本当の娘と過ごしているようだったから。何より、言われてみると『王女の婚姻』は本人にしか書けないって気がしてきた。そっか、姉さんが……」
母のためにと始めた事だけれど、小説を書いていて良かったとセレナは思う。伝えたかったことはアレクにもちゃんと伝わっていた。
「もう一度逢えて嬉しいなぁ。ははっ、泣きたいくらい嬉しいのに、驚きすぎて涙が出ないや。それに、言いたいことがありすぎて困る」
「私もよ」
「でも、そうだな。今一番言いたいのはこれか」
「何?」
それが恨み言でも苛立ちでも受け止める。そう考えていたセレナにとって、アレクからの言葉は予想外のものだった。
「今度こそ幸せになってほしい」
幸せを願う言葉とともに、懐かしい笑顔を向けられる。セレナが世の令嬢たちのように夢中になることはなかったけれど、別の感情で胸が熱くなる。
「ありがとうっ、アレク!」
嬉しくて幸せで、笑っていたいのに涙が止まらない。泣けないと言ったばかりのアレクも、我慢できずに涙を流している。
セレナは泣き出す弟の手を握った。
「大丈夫よ。私はもう幸せだから」
もう一度ルクレーヌに生きることができて。
家族と再会できて。
大好きな小説を書くことができて。
素敵な夫がいて。
生まれ変わって、たくさんの幸せとめぐりあえた。
言葉にならない想いが伝わることを願うと、アレクはその手を握り返してくれる。
「そっか、幸せなんだ。良かった……けど良くない! つまり僕はあの冷血に姉さんを紹介したってこと!?」
アレクはまたしても自ら冒した事の重大さを知る。恩人一家の娘でも後悔が留まらなかったのに、姉だったことを知ってまた落ち込んだ。
再びセレナが慰めようとすれば、軽いノックを経て扉が開く。
「失礼する。ここに妻がいると聞いて」
顔を覗かせたのはラシェルで、室内の光景を目にすると不自然に言葉が途切れた。
誤字を教えていただいた方、ありがとうございます。助かりました。感謝です!




