24、報告に行きました
稽古場から帰ろうとしたセレナたちは、団長によって密かに引き止められる。見苦しいところを見せてしまい申し訳なかったと頭を下げられ、改めて事情を語られた。
このところエレインは奔放な振る舞いが目立つようになり、悩みの種となっている。しかし劇団の看板役者であり、実力があるため誰も逆らうことができない。おまけに貴族のシルヴィオに気に入られ、益々手がつけられなくなっているそうだ。
セレスティーナ役は新人に任せる案も出ていたが、シルヴィオがエレインを推薦したことで結果が決まり、劇団の空気はより険悪になってしまった。
(私はエレインに演じてもらえて嬉しいけど、そうでない人たちもいるのね)
多くの団員がエレインに不満を持っていることは稽古を通して伝わった。それでも堂々としているエレインを尊敬したほどだ。
しかし団長は期待していたとも言う。エレインがファンであるリタ・グレイシアの作品を演じることで何かが変わるのではないかと。
昔のエレインは真面目で努力家だったと語る団長にセレナは同意する。しかし結果は見ての通りだ。
(でもエレインは、セレスティーナを演じることを喜んでくれた)
あの笑顔に偽りはなかったと思いたい。リタ・グレイシアと会った感動も、サインを渡した時の喜びも、無邪気な子供のようだった。
セレナはエレインなら素晴らしいセレスティーナを演じられると信じている。きっと他の団員たちも、本心では同じ気持ちのはずだ。
(エレインが演じた瞬間、確かに空気が変わったもの!)
自分で言うのも可笑しいけれど、セレスティーナが存在しているようだった。エレインの持つ高慢さが消え、愛される妖精姫がそこにいた。
(多くの人の期待を背負った舞台よ。成功させるためにも、私にできることがあるのなら全力で力になりたい)
「難しい顔。稽古の方は大変みたいね」
「あ……」
顔を上げると、目の前には前世の母であるネヴィアがいた。娘を気遣う眼差しは優しく、無性に安心して力が抜ける。
現在セレナは久しぶりの休みを使って城を訪れていた。仕事に追われたり、ラシェルと親密になったり、イレーネをもてなしたりと慌ただしく過ごしていたため、前回の訪問から随分と時間が経ってしまった。
ネヴィアに指摘されたセレナは表情を改める。先程まで舞台の話をしていたせいか、自然と暗い気持ちになっていたようだ。母と会えて嬉しいはずなのに情けない。
「お疲れ様。話しは聴かせてもらったけれど、舞台というのは私たちが想像するより大変なのね」
頬に手を当てたネヴィアは困ったように眉を寄せる。部屋には二人きりなので自ら紅茶を淹れてセレナを労った。
優しい香りがセレナの疲れを癒してくれる。
「そうですね。公演は一月後ですが、想像以上にやらなければいけないことがたくさんありました。脚本だけのつもりでいましたが、稽古を見学しているうちに、何故か演技指導にも抜擢されまして」
「貴女、昔から舞台が好きだったものね。それになんと言っても、本物ですもの」
「セレスティーナ時代の経験が、こんなところで役に立つとは思いませんでした」
誇らしい気持ちで胸を張ると、自然と笑顔を浮かべることができた。
「良かった。稽古のことは大変そうだけれど、セレナが楽しそうで。それほどエレインの演技は素晴らしいのね。私も楽しみだわ」
「そうなんです! 演じている時の彼女には驚かされてばかりで!」
初日に観劇予定のネヴィアにネタバレはできないが、セレナは言える範囲でエレインの素晴らしさを力説した。
繊細な演技は見る者を虜にする。役者としてのエレインは、セレナが知る頃と何も変わっていなかった。きっとそこにはたくさんの努力があったはずだ。
「良い顔になったわね。作者が暗い顔をしていたら、みんな楽しめないわよ」
「ありがとうございます、お母様。お話できて良かったです」
ネヴィアに励まされたセレナは、また明日から頑張ろうと前向きな気持ちになれた。
「それにしても、最近ロベール男爵の話をよく耳にするけれど、ここでも聴くことになるとは思わなかったわ」
「どういった方ですか?」
セレスティーナだった頃、関わりのあった貴族のことは全て憶えている。けれどロベール男爵と言うのは聞かない名だ。
「私も直接会ったことはないけれど、若くして事業を成功させ、男爵位を得たそうよ。確か歳はセレナと同じ十八ね」
「本当にお若いですね!?」
十八年で人気小説家に登りつめたセレナと、十八年で男爵位を得たシルヴィオ。それが並大抵の努力ではないことはセレナにもわかるため、勝手に年上だと判断してしまった。
「あの若さで将来有望なものだから、社交界でも注目されているのよ。よく自宅でパーティーを開いていて、顔も広いそうね。これは陛下から聴いた話だけれど、陛下は彼の事を野心家とおっしゃっていたわ」
優雅な振る舞いをするシルヴィオはとてもそのようには見えなかったけれど、父の人を見る目は確かだとセレナは思っている。
(気を付けた方がいい相手ということね)
また稽古場や劇場で会うこともあるだろうと気を引き締めた。
「そうだ! 当日は久しぶりに一緒に観劇できるかしら? ああでも、当日も忙しくなりそう?」
「それが、実は旦那様にも誘われていて」
朝の襲撃事件の際、取り乱しながらもラシェルは「必ずチケットを手に入れてみせる。もちろん君の分もだ!」と力強く約束してくれている。
結果として誘いを断る形になってしまったが、断られたネヴィアはとても嬉しそうだ。
「あらあら、私ったら気が利かなかったわね。それは夫婦で楽しむべきだわ、絶対に。少し会わないうちに本当にラシェルとの仲が進展したのね!」
「私も驚いているところです」
見ているものが違うとか、共通点があると思えないなどと言っていた頃が懐かしい。会話に困るどろか、語り出すとラシェルの熱量は凄まじく、セレナも聴き入ってしまうため、モニカが就寝時間を伝えに来てくれたことは数え切れない。よく話が尽きませんねと感心されるほどだ。
ネヴィアにとっては二人とも可愛い身内であるため、関係が良好で微笑ましいのだろう。しかし会話を楽しんでいると、王妃として急な来客の対応に追われてしまう。本当は夜まで話し合う予定で一日開けていたけれど、仕方がないことだ。
(あ! お母様に渡す予定だった増刷分の『王女の婚姻』を渡し忘れたわね)
ネヴィアと別れたセレナは本を手に歩き慣れた廊下を進む。とはいえあの頃のように道を譲られる立場ではないので、あくまでひっそりとだ。
しかしそんな慎ましく歩いていたセレナを遠慮の無い声で呼び止める者が現れた。
「セレナ・レスタータ!」
まず驚いてから、懐かしい感覚だと思う。ラシェルにもこうして大声で呼び止められたことが始まりだった。
(それで。誰よ、忙しい私を引き留めたのは!)
帰れば原稿が待っている。しかし振り返ったセレナは怒りを失った。
「急に呼び止めてごめん。けど、どうしても君と話がしたくて! 今、時間ある!?」
そう言われてしまえばラシェル同様、セレナには逆らえない相手であった。
「アレク殿下……」
睨み付けるように振り返った先には前世の弟が待っていた。




