23、波乱の顔合わせでした
出迎えてくれた劇団の団長は、四十歳ほどの男性だ。厳しく真面目そうな雰囲気を感じたけれど、話してみると対応は終始笑顔で進められる。
「この度は急な公演の申し入れをご快諾いただき、心から感謝いたします。劇場支配人も、有り難いことだと泣いて喜んでいましたよ」
「私としても思い入れのある劇場ですから、舞台のお手伝いができて嬉しいです」
「この公演は、必ず歴史に残るものになるでしょう。私も脚本を拝見させていただきましたが、実に素晴らしかった。団員一同、歴史的瞬間に立ち会えることを誇りに思いますよ」
セレナは団長と握手を交わし、彼の案内で稽古場へと誘われる。
稽古場には三十名ほどの人が集まっていたが、それでも広々と感じる。壁は一面鏡張りになっているので、そのせいだろうか。
団員たちはみな集中して台本と向き合っていたが、来客の存在に気付くとすぐに顔を上げ集まってくれた。
「ようこそリタ!」
「お会いできて光栄です!」
「デビュー作からのファンです!」
あらゆる方面から歓迎の言葉を向けられ反応が追いつかない。困っていると団長が指揮を執り、セレナを囲むように円ができあがる。
「脚本を担当させていただきました。リタ・グレイシアです。よろしくお願いします」
次いでモニカの事も紹介させてもらう。きっと彼女を頼る場面もあるだろう。揃って頭を下げると拍手が起き、歓迎してもらえたようでほっとする。
それから順番に挨拶をする流れになり、最初に手を上げてくれたのはセレスティーナの婚約者を演じる役者だ。二十代ほどの青年で、本物の王子と言われても信じてしまいそうな気品がある。
役者たちの紹介が一巡りすると、裏方として舞台に関わる人たちだ。演出に衣装、メイクや照明と、ここにいる全員の力が集まって一つの作品が完成する。セレナは一人に一人に拍手を送りながら、よろしくお願いしますと感謝を伝えた。
部屋にいた全員の紹介を終え、熱心な団員たちにより稽古が再開されようとする。セレナも見学することになったが、まだ自己紹介を終えるには早い。何故なら主演のエレインを見かけていないし、話題にも上らない。
「ところで、セレスティーナ役のエレインさんはどちらに」
セレナが訊ねた瞬間、はっきりと場の空気が凍った。不自然な動きをする人、視線を彷徨わせる人、気まずそうな顔をする人と様々だが、総じて良い反応ではないことが窺える。
セレナの傍にいた団長は逃げられないと覚悟を決めたようだ。
「エレインは、少し体調が悪いようで、到着が遅れております」
「エレインさんは大丈夫なんですか!?」
「あ、いえ、そこまでは心配ないというか。あいつは多分……」
「遅れてすみませ~ん!」
団長が言葉を濁していると、勢いよく稽古場の扉が開く。みなの注目を浴びる中、乱入した女性は遠慮なく足を進めた。
見た目はセレナと同じ位の年齢だ。クリーム色の髪に穏やかな空を思わせる瞳は、ただ歩いているだけなのに見惚れてしまう。
おまけに胸元には見せつけるように大きなピンクダイヤの首飾り。イヤリングや指輪にも希少な宝石が惜しげもなく使われていて、彼女の美貌を引き立てる。
硬いヒールの音が稽古場に響く。みな稽古のために簡易な装をしているのせいで、より派手さが際立った。
(綺麗な人……)
セレナは迫力に声を掛けるのを躊躇うが、団員たちは臆することなく意見する。
「エレイン! あんたまた遅刻してどういうつもり!」
(え……)
その名を耳にしたセレナは固まった。
エレインと呼ばれた女性はうんざりといった表情で答える。
「大きな声を出さないで、うるさいわね。せっかく気持ちよく飲んでたのに、余韻が消えるでしょう」
「また二日酔い? いい加減にしないと仕事なくなるわよ」
「あたしが人気者だからって嫉妬は良くないわ」
「はあ? 誰があんたなんか! あんたなんてロベール男爵のお気に入りだからセレスティーナ役に選ばれただけでしょう!」
「お気に入りにもなれない子は可哀想ね~」
「なんですって!?」
煽られた女性はまだ噛みついていたが、もはや聞こえていないと言うように顔を背けてしまった。
セレナの周辺では、「また始まった」「困ったものだ」というような囁きがあとを絶たないので、団員たちは慣れているのだろう。困惑しているのは部外者のセレナとモニカだけで、他は呆れている様子にも見える。
落ち着く気配のない稽古場を見かねた団長が、なおも噛みつこうとする女性を嗜める。そして原因であるエレインには厳しい目を向けた。
「エレイン。今日は先生がいらっしゃるから遅れるなと、あれほど言っただろう!」
「え!? リタ、もう来てるの?!」
穏やかな雰囲気の団長が声を荒げるも効果はない。それどころか彼の怒りは届いていないようだ。
叱られることに慣れているのか、気にしていないのかはセレナに判断できないが、注意がまったく心に響いていないことだけはわかる。しかし笑顔で稽古場を見回す様子は、つい許してしまいそうになる愛らしさがあった。
「貴女がリタ!?」
「は、はい」
視線が重なったので思わず返事をすると、一直線にセレナの元へやって来る。背や体格はほとんど同じだが、大きく見えるのは迫力のせいだろうか。
「会えて嬉しい! あたしエレイン・バークスです」
(つまりこの人が私の大好きだった子役のエレイン・バークスで、遅刻してきて、二日酔いは日常で……)
幼いエレインの面影が、音を立てて崩れていく。自分だけが衝撃を受けているのかと思いモニカを捜せば、同じくらい衝撃を受けているようだったので仲間意識が芽生えた。
向けられた無邪気な微笑みも、乱入時の案件を知っているので素直に喜ぶことができなくなっている。
「私、リタの書く話が大好きです! 『王女の婚姻』も、この前発売された最新刊も、全部読みました!」
「ありがとうございます」
エレインの変わり身と勢いに押されながら言葉を絞り出す。手を差し出されたので応じると、よほど感動しているのか振り回される勢いで握手された。
「きゃ~! リタと握手しちゃった! あ、あとでサインもらえますか!?」
「私で良ければ……」
「やった! 実はあたし、セレスティーナ様にお会いしたことがあるんです。セレスティーナ様、将来は私が国一番の役者になると言ってくださって、世界一可愛いと言ってくれて! だから舞台の話を聞いた時、もうぜったいあたしがやるしかないって思いました。セレスティーナを演じることができて幸せです!」
「よろしくお願いします」
(言った。確かに貴女のこれからの活躍に期待していますとか、可愛らしいお嬢さんねとも言った。言ったけど!)
かなり拡大的に前向きな解釈である。
未だ握られた手ごと振り回されていると、エレインの後ろから諌めるように穏やかな声が響いた。
「こら、エレイン。先生が困っているだろう」
黒いスーツ姿で現れた青年も、この稽古場では随分と異質のように感じる。
団員達には従わないエレインが素直になっていることにも驚かされた。可愛らしく「ごめんなさい」と言ってセレナを解放すると、彼の傍に寄り腕を絡める。随分と近い距離だ。
「だって、リタに会えて本当に嬉しくて!」
「お騒がせてして申し訳ありません。私はシルヴィオ・ロベールと申します。この素晴らしい劇団に魅せられ、援助をさせていただいている者です。本日はリタ・グレイシア先生がいらっしゃると伺い、特別に顔合わせへの同行を許可いただきました。公演の成功を願う者として、私のこともお見知りおきいただけますと幸いです」
シルヴィオは握手ではなくセレナの手を取り甲に口付ける。貴族の間ではよくある挨拶だけれど、シルヴィオも様になっている。
不思議とラシェルの時のように緊張することはなかった。
(何も問題が起きないといいけど)
その後はエレインも合流して稽古が始まったけれど、セレナの頭の中は不安でいっぱいだった。
公演が無事に終わりますようにと願わずにはいられない。




