21、秘密の会話をしました
ラシェルがイレーネと親子の時間を過ごしている頃、セレナは部屋で仕事をしていた。とはいえ今夜はペンが重い。
「旦那様、今頃イレーネ様と楽しんでいるのかな」
一緒に訪ねることも考えたけれど、親子の時間を邪魔したくない。せっかくラシェルが信頼して弱音を吐いてくれたのだから、できる限りのことをしてあげたかった。もっと早くに気付けていたらと悔やみもする。
けれどここには自分一人なので本音も零し放題だ。
「ここにも旦那様と話せなくて寂しい人がいますよ~」
イレーネと過ごす時間は楽しいけれど、その分ラシェルとの時間は減っている。そうなって初めて彼と話す時間の大切さを思い知らされた。
そんな自分に驚き、寂しさを感じているうちに、またしても手が止まってしまう。
「やっぱり集中できない! 散歩でもしてこよう」
ペンを置き、凝り固まった身体をほぐして部屋の外に出る。特に目的地は決まっていないけれど、歩くだけでも気分は変わる。深夜にモニカを起こすのは申し訳ないので一人きりの冒険だ。
「夜の探検って、何歳になってもわくわくするのよね」
前世では広大な王城を、今世ではレスタータ家の屋敷を探索済みだ。
どこへ行こうか迷っていると、窓辺に予想外の先客を見つける。
「イレーネ様?」
「セレナか。随分と夜更かしだな」
原稿のことは言えないので、目が覚めてしまったと曖昧に誤魔化して側に寄る。
「イレーネ様こそ、旦那様と楽しんでいたはずでは」
「母を残して寝る薄情な息子など知らん。続きはお前が付き合うか?」
顔色を変えずに誘うイレーネは酒に強い。ここにいるのは酔い醒ましということだろう。ラシェルも弱くはないが、彼女に勝てる相手は少ない。
「お誘いは嬉しいですが、私はまだ仕事がありますので」
「そういうことなら残念だが仕方あるまい。次は私のために予定をあけておいてくれ」
「もちろんです」
「私は明日領地に帰ることにした。長く世話になったが、ともに過ごせて楽しかったぞ」
「私もです!」
訪れるのが突然なら帰るのも突然だ。しかし前世で慣れているセレナは受け入れるのも早かった。別れは寂しいけれど、こうしてまた逢うことが叶ったのだから、次を望むのなら自分から行動すればいい。
「ぜひまたいらしてくださいね」
「勿論だ。息子の嫁とここまで気が合うとは思わなったからな。こんなに楽しいのなら、もっと早く訪ねていれば良かった。世話になった礼は何がいい?」
「私はもう、イレーネ様からたくさんいただいていますよ?」
一緒に出かけた際にはたくさんの服をプレゼントされた。レストランでは美味しい食事を。山や森に出かければ自然の美しさを。色々な場所に連れて行ってもらった思い出に溢れている。
(それに、もう一度逢えただけで幸せです)
セレスティーナだった頃と同じにはならないけれど、セレナとしてイレーネと過ごせた時間は新しい思い出となった。
「お前はどこかセレスティーナに似ている」
心の中にいた名前を挙げられて驚く。セレナにとっては自分の事だが、イレーネにとっても彼女の存在がまだ傍に在るようで嬉しい。
「ああ、お前の世代では伝わらないか。セレスティーナ・ルクレーヌは、かつてこの国の第一王女だったが、お前はあの子に似ている。そうやって無欲なところもそっくりだ」
お酒のせいだろうか。月明かりに照らされる横顔は優しく、饒舌なイレーネは嬉しそうに語り続ける。
「いや、比べるようなことを言って悪かったな」
「いえ!」
「尚更何か礼をしなければ私の気が収まらん」
真剣に悩み始めたイレーネにもう一度必要ないと伝えるが、やはり納得できないようだ。
「よし! ならば息子のとっておきの情報をくれてやろう。これは内緒なのだが」
「それはまずいのでは」
明らかに本人の許可を取っていない気がする。夜なので焦りながらも小声で止めようとすれば、イレーネはあっさり語り始めてしまった。
「息子の初恋はセレスティーナだ」
思いがけないところに再び名前が登場し、驚いて声が出なかった。
(そうだったんだ……)
じわじわと身体に情報が広がっていくと、それがラシェルにとっての良い思い出であることを願う。
もうあの頃には戻れないし、セレナにとって初恋という言葉は前世のせいで苦いものとしか思えなくなっていたけれど、久しぶりに恋と言う感情を微笑ましく思うことができた。
「息子は私を真似て育ったせいで冷血公爵などと呼ばれるようになってしまったが、妖精姫に恋心を抱くような可愛いところもあると、お前には知っていてほしかった」
満足したイレーネは、明日は早いと言って部屋に戻ってしまう。秘密の会話は切り上げられてしまったが、あとに残されたセレナはしばらく窓辺から動けなかった。
翌朝、遅くまで起きていたはずのイレーネはいつもと変わらず隙の無い凛々しさで朝食の席に座る。
寝不足を感じさせるのは遅くまで酒に付き合わされたラシェルだけで、旅立ちには相応しい気候だ。
「世話になったな」
「本当に」
言葉を被せるように疲れた表情でラシェルが答える。セレナとしては楽しい義母の滞在だったが、息子にとっては色々と思うこともあるのだろう。そっと見守ることにする。
「夫婦仲よく過ごせよ」
「言われるまでもないが」
似た口調の二人が会話していると、改めて親子なのだと感じる。ずっと見ていたくなるような微笑ましさだ。
「たまには領地にも顔を出すように。ではまたな」
セレナは姿勢を正して馬車に乗り込むイレーネを見送る。
無言を貫きながらも、ラシェルは馬車が見えなくなるまで隣にいてくれた。
「行ってしまいましたね」
「寂しいか?」
「寂しくないと言えば嘘になりますけど、寂しいのは私だけではありませんから」
そうですよねと言うように、隣のラシェルを振り返る。彼も自分と同じ、あるいはそれ以上に寂しいはずだ。慰めようと気丈に振る舞ってみたが、表情は同意と言うより不満そうである。
「その件について一ついいだろうか。俺はこの数日、セレナと一緒に過ごせなくて寂しかった」
じっと見つめられると、抗議されているように感じる。まるで逃がさないと言うように手を繋がれ、その場から動けない。
「え、あの、それって……」
セレナは盛大な勘違いをしていたことに気付かされた。
「俺もセレナと一緒に過ごしたかった。話したいと望んだのも、会うことができず寂しかったのも君だ。君はどうだろうか」
真っ直ぐに見つめられ、繋がれていた手に力が入る。ラシェルから伝わる熱も、自分の体温も上がっている気がした。
「わ、たしも、寂しかったです」
顔を見ながら告げることはできなかったけれど、ラシェルが正直に伝えてくれたので、自分も素直になることができた。
満足そうなラシェルの手を握り返し、並んで屋敷へ戻る。足取りが穏やかになるのは、お互いにこの時間が長く続くことを願っているからだろうか。
「旦那様。私、いつかロットグレイ領に行ってみたいです」
「その時は俺に案内させてくれ」
当然のように一緒に行くと考えてくれるラシェルに感謝を伝える。
それほ小さな約束だったけれど、契約から始まった関係に未来があると言ってもらえたようで嬉しかった。
けれど楽しみの前にはやらなければならないことも多い。気持を切り替えて仕事と向き合うセレナに、モニカが飲み物を差し入れてくれる。
「先代がお帰りになられて静かになりましたね」
「そうね。でも寂しがっている暇はないわよ」
セレナにはリタ・グレイシアとしての大仕事が待っている。
「『王女の婚姻』の舞台化に向けて動き出さないとね」
デビュー作の舞台化は、有能侍女ことモニカがとってきた大仕事だ。




