12、有能侍女に支えられています
ここから短編後の時間軸の話になります。
お楽しみいただけますように!
朝、部屋を訪ねるモニカの気配を感じたセレナは飛び起きた。
モニカは寝起きが悪い主人がすでに起床していた驚きを口にしようとしたが、それよりも早く主人に制される。
「おはようモニカ。言いたいことは色々あるかもしれないけど、とにかくまずは私の話を聞いて。昨夜、旦那様がリタ・グレイシアのファンということが判明したの!」
「はい?」
この衝撃を一人で一晩抱えた自分を褒めて欲しい。
あの後、衝動に身をまかせてモニカの部屋に突撃することも考えた。けれど朝が早い侍女を寝不足にはさせられないと我慢した。
身支度を手伝ってくれるモニカの邪魔をしないよう動きながら、セレナは昨夜の衝撃を語る。一晩経っても驚きは薄れず、とにかく誰かに話したくてたまらなかった。
「それでお二人は趣味友達になられたと」
「理解が早くて助かるわ」
差し出される服に言われるまま袖を通す。
鏡の中で目が合ったモニカは表情を輝かせた。
「あの旦那様まで虜にされるとは、さすがリタ・グレイシアです!」
最初は驚きながら話を聞いていたモニカだが、話が進むにつれラシェルの熱意に感服していた。
冷血公爵の通り名を体現するラシェルが、まさか恋愛小説を愛読しているとは思うまい。それもかなり読み込んでいて、サイン会にまで現れるのだから相当だ。
「良かったですね。身近なところにファンがいてくださって」
「ちっとも良くない!」
モニカは嬉しそうだが、セレナにとっては都合が悪すぎる。興奮のあまり失念していたが、夫がファンなんて正体がばれる危険が高すぎる。もちろん作品を愛し、応援してくれるのは嬉しいけれど、それとこれとは別だ。
「そういえば、どうしてセレナ様はリタ・グレイシアであることを秘密にされるのですか? 知っているのは私とレスタータ家の方々と、国王陛下夫妻くらいですよね。仕事で付き合いのある方たちと顔を合わせることはありますが、レスタータ家の令嬢とは名乗りませんし」
「私には正体を隠さなければいけない理由があるのよ」
強い意思を持って、きっぱりと宣言する。
(自分のことを美化して小説にしていると思われたら恥ずかしすぎるでしょう!?)
今回書店で行われたサイン会は庶民向けのもので、まさか貴族は参加しないだろうと油断していたため、ラシェルが現れたことは完全に誤算だった。
しかも都合が悪いことにラシェルとは彼が子供の頃にセレスティーナとして会っている。妖精姫として数々の眼差しを浴びてきたからこそわかるのだ。
(あの時のラシェルはセレスティーナに憧れていた。そんな相手が自分を妖精姫と美化した小説を書いているなんて知られたら幻滅される!)
子供の夢を守らなければとセレナは決意を固くする。
「引き続きロットグレイ家の人たちにばれないよう、協力をお願いね」
「もちろんです! セレナ様の秘密は私が守ります」
有能な侍女からの返事は頼もしい。
(旦那様とリタの本について会話する時は細心の注意を払わないと。そのためにも、まずはモニカと作戦会議ね)
当たり前だが、鏡の中の自分はセレスティーナとは何もかもが違っている。ここにいるのが前世の自分であれば、モニカはもっと華やかで、可愛らしさを引き立てる服を選んだだろう。けれどセレナに似合う服は違っている。
ぼんやりと前世を振り返っていると、いつの間にか鏡台に座らされ、手際よく髪が結われていた。そこでふと思う。
(なんだかいつもより気合いが入っているような?)
たとえば執筆作業がある日は無地のブラウスにスカートといった落ち着いた服を選んでくれる。それなのに現在着せられているのは公爵夫人としての威厳を感じさせる装いだ。屋敷で一日を過ごすにしては派手すぎないだろうか。
髪を整え身支度が終わると、鏡越しにモニカが告げる。
「ではセレナ様。旦那様がお待ちです」
「今なんて?」
「本日は旦那様が一緒に食事をされたいそうです」
「旦那様が!?」
たった今、正体がばれないように警戒しようとした相手である。
するとモニカは気まずそうに口を開いた。
「言おうとしたのですが、セレナ様がいいからまずは私の話を聞くようにと……」
ものすごい剣幕で迫った自覚のあるセレナは口を継ぐんだ。
(ううっ……私が悪かったけど、なんで一緒に食事? いつもは食事もおろそかに仕事に行くのよ。確かに趣味友達にはなったけど、いきなり距離を詰めてくるもの!?)
動揺しながら向かうとラシェルはすでに席に着いていた。朝の挨拶と待たせてしまったことを詫びれば、気にすることはないと言ってくれる。自分が早く目が覚めてしまっただけだと。
そう語る表情がいつもより柔らかく見えたのは気のせいだろうか。自分はまだ彼のことをあまりに知らなすぎて判断に困る。
作りたての朝食はいつもと変わらず美味しいけれど、食事の相手が緊張を伴うため、一口一口が重かった。
こんな時、世の夫婦はいったいどのような会話をしているのだろう。
(リタ・グレイシアともあろう者が男女の会話に悩むなんて!)
悔しさから自然と手にした食器に力がこもる。
するとラシェルはさらりと切り出した。
「体調は?」
健康すぎて身に覚えのないセレナは目を丸くする。
「仕事が忙しかったという理由は聞いたが、顔色が悪かったことは事実だろう。これからは不調があるのなら、隠さずに伝えてほしい」
「ありがとうございます。今後は、できるだけ無理をしなくて済むように気を付けますね」
(原稿は計画的にって、いつも思うのよね)
「その仕事と言うのは、どうしても君がやらなければいけないことなのか?」
(それが私が書くしかないんですよ……)
「一部業務につきましては、どうしても私が担当しなければならないのです」
避けられない事態とはいえ、ラシェルがまた心配そうな顔をする。その不安をできるだけ取り除きたくて言葉を重ねた。
「確かに大変な時もありますが、モニカも手伝ってくれますし大丈夫ですよ」
「そういえば、君は随分熱心に彼女を連れて行きたいと懇願していたな」
恥ずかしい話題を持ち出されて頬が熱くなる。確かに結婚が決まってから、自費で雇うとまで宣言して暴れたことは記憶に新しい。
「モニカは、実家では誰よりも私の世話を焼いてくれました。私はもう、モニカなしでは生きていけない身体なんです」
「なっ!? そう、なのか……?」
(旦那様、動揺してる? もしかして旦那様、モニカの優秀さを知らないの!?)
モニカの給金のためにも、ここはしっかり優秀さを伝えておかなければ。
個人的にセレナが雇うつもりでいたところ、これも契約結婚の一環だとラシェルが雇用を申し出てくれたのだ。公爵家に雇われてからのモニカは、給金が上がったと大喜びだったことを思い出す。
「それほどまでに大切な存在だと?」
重々しく頷くセレナにあてられたラシェルは息を呑む。
「恥ずかしながら私は夜更かしをすることが多く寝起きも悪いのですが、モニカは毎朝必ず望む時間に起こしてくれます。お嬢様は本当に寝起きが悪いと他のメイドたちからは呆れられていたのですが、私を見捨てずにいてくれたのはモニカだけでした」
「は?」
「モニカは私がげん――仕事で食事を忘れそうなった時は、いつも簡単に食べられるものを用意してくれます。どれも片手で食べられるように工夫されていて、徹夜明けに疲労がたまっている時は、秘伝の栄養価が高い飲み物も調合してくれるんです。そして忘れてはならないのがマッサージの腕前で、腕が動かせなくなるほどこった日でも見違えるように身体が軽くなるんですよ!」
「そ、そうか。それは凄いな」
「ですから旦那様には感謝しています。ずっとモニカと一緒にいられて」
正直に言って、モニカと離れることは執筆活動に影響が出るほどだった。そうでなくても友人としてと離れ難く、新しい環境でも彼女が傍にいてくれて心強い。
熱意を語り終えるとラシェルはほっと息を吐く。まるで緊張が解けたようで、どこに緊張する要素があったのかと振り返ってみるもわからない。
それよりもラシェルと普通に会話していることの方が事件だ。
(私、旦那様と普通に会話しているわ。やっぱり旦那様は優しい人。これからは正体がばれない程度に距離を縮められたらいいわね)
たとえ契約結婚だとしても、関係は悪いよりも良い方が毎日楽しいに決まっている。昔の知り合いならなおさらだ。
ラシェルが最後に「俺の最大の敵はモニカか」と呟いた意味はわからなかったけれど、気にしなくていいと言われてしまった。
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