理想と現実の狭間で
人生の物語をつくろう
第一章 光る本との出会い
時間を本屋でつぶすために入った鎧塚海斗は、
光るような輝きを放つ一冊の本を見つけた。
しかし、実際に本が光っているわけではなかった。
それは、彼がその時に何か特別なものを感じたため、
そう見えたのかもしれない。
その本は、ジョセフ・マーフィー博士が執筆した
『マーフィーの成功法則』でした。
この本は、潜在意識の法則を非常に分かりやすく書いてあり、
読みやすい内容だった。
彼の人生や仕事に行き詰まりを感じていた。
この本はその壁を乗り越えるための
ヒントを提供してくれるものだった。
「物語を作るのはあなたです。
自分の人生を好きなように、結末まで作り上げなさい」
という言葉が印象的で鎧塚海斗の心を揺さぶった。
彼は即座にその本を購入し、
何度も繰り返し読み込んだ。
そして、その本に書かれていたことを実行しようと決心した。
自分の人生を見つめ直し、
自分の人生を好きなように、結末までの物語を書き始めた。
最初に書いたのは、会社に辞表を出すことだった。
そこから、鎧塚海斗の新しい物語が始まった。
第二章 鎧塚海斗
鎧塚海斗は、中学3年生の時の担任から、
「オール10の成績をつけたのは君だけだ」と言われ、
特に体育の能力が高いと評価された。
そのため、体育の教師になることを目指し、
体育大学を受験するつもりだった。
しかし、彼の家の経済状況が余裕がなく、
父親から大学に行くお金はないと言われ、
心の奥で悔しい気持ちを抱えながらも、
夢を諦めざるを得なかった。
就職もせずに友人の父親が経営する
イタリア料理店でアルバイトを始めた。
料理のプロたちが驚くほどの腕前を
身につけるまでの1年間、
鎧塚海斗はさまざまなイタリア料理を
調理補助として毎日、作り続けた。
最初は未熟ながらも情熱と努力を込めて、
ピザやパスタ、リゾットなどのイタリア料理を
一つずつ丁寧に作り上げた。
彼の厨房での日々は、汗と香りに満ちたものでした。
仕事に取り組む中で、彼は食材の扱い方や調理技術を磨き、
料理の味や見栄えにこだわることの重要性を学んだ。
そして、日々の実践を通じて
経験を積むことで、自信を深めていった。
その1年後、鎧塚海斗の調理の腕前は
見違えるほどに成長していた。
彼の作る料理は、味わい深く美しく盛り付けられ、
プロのシェフたちさえも驚嘆するほどの
クオリティに達していた。
彼の努力と情熱が、料理の才能を開花させた。
1年間のイタリア料理店のアルバイトを経て
自動車を手に入れたいという思いから、
給料のいい、自動車組み立て工場での仕事を選んだ。
作業着に身を包み、
工場での組み立て作業の日々は、
鎧塚海斗にとって非常につらいものでした。
毎日、同じ作業を繰り返す中で、
自分自身が人ではなくロボットのように感じた。
機械的な動きが求められ、
単調な作業が続く中で、
時には精神的な負担も大きくなっていった。
さらに、昼夜の交代制も大きな負担だった。
1週間は昼間に働き、
次の1週間は夜に働くという生活リズムは、
体調の管理と精神的なバランスを取ることが
難しい状況を作り出した。
睡眠や食事、運動など、自己管理が
ますます重要になる仕事だった。
しかし、そんな過酷な環境でも、
鎧塚海斗は精神的な強さと忍耐力を発揮し、
仕事に取り組んでいた。
体力と精神力の限界に挑戦しながらも、
彼は仕事にしんしに向き合い、
日々の成長を重ねていった。
1年間勤めた後
第三章 劇場で働く
都会での新たな職場、
大阪ミナミの劇場での生活は
鎧塚海斗にとって新しい挑戦だった。
仕事は、売店のお菓子やお土産、
食材の仕入れを担当し、
毎日の営業に備えて準備を
整えることが日課だった。
朝には前日に注文した商品が届き、
検品や伝票処理を行い、売店へと運んだ。
そして、売店からの注文があれば
倉庫から商品を運んできて、
在庫が不足していれば夕方になってから
注文するという日々の業務をこなしていた。
月末には倉庫の棚卸しもあり、
朝夕は、結構忙しい日々だった。
しかし、昼間は倉庫での作業がほとんどで、
暇な時間が多くあった。
その時は本を読んだり、時には昼寝をすることもあった。
時折、舞台で活躍する俳優たちからの注文に応えるため、
鎧塚海斗は高島屋などの百貨店に出向き、
彼らの要望に合った商品を購入することもあった。
鎧塚海斗は、業者から提供された試供品や
新商品のPR用のお菓子などを持って、
照明や舞台装置、音響などのスタッフたちに
差し入れをした。
スタッフたちから喜ばれ、
彼自身もスタッフたちから
かわいがられる存在となった。
彼の行動は、仲間たちとの絆を深め、
舞台裏の雰囲気をより暖かく、
協力的なものにした。
舞台裏の仕事を見学することは、
鎧塚海斗にとって非常に貴重な体験だった。
舞台裏では、舞台の仕掛けや演出の裏側、
そしてスタッフの努力や協力が
舞台の成功に欠かせないことが見えた。
そこで目にしたのは、
一体感とプロフェッショナリズムの高さだった。
彼らの熱意と努力に触れることで、
鎧塚海斗は自らの仕事に対する姿勢や意識をより深め、
舞台裏での経験が彼の人生における
大きな成長の一端となった。
また、たまには劇場内での案内の仕事もあり、
日々のルーチンとは少し、違った刺激を感じた。
そんなある日、大物歌手の1カ月公演の間、
鎧塚海斗には特別な役割が与えられた。
40代の女性の監視役を務め、
彼女が興奮して舞台に上がる危険を防ぐ役割を果たした。
その女性はその大物歌手が私を呼ぶのよと言っていた。
舞台の妨害阻止と彼女の安全を守ることが鎧塚海斗の責任だった。
公演中は、毎日昼夜の部を彼女がやって来ていた。
楽しみは、千秋楽の後の打ち上げに参加することや、
興行会社のおかげで映画のチケットを
タダで手に入れることができた。
また、チケット販売の先輩に連れられて、
ミナミのスナックやラウンジにも足を運んだ。
スナックやラウンジのママたちが劇場に訪れる際、
そのチケット販売の先輩が融通を利かせて
いい席を融通してもらうお礼に便乗した。
鎧塚海斗の20歳という若さは、
まるで魅力の塊のように、
多くのホステスたちに、
かわいがられる存在だった。
そのような若い顧客は、
通常、こういう店には現れなかった。
特に、年上のママたちやチーママたちは、
鎧塚海斗をかわいがってくれた。
彼女たちは彼を連れ回し、
夜の街を駆け巡る冒険に誘ってくれた。
社内の美しい女性社員たちとの交流もあり、
彼女たちから、かわいがられ、
楽しい時間を過ごしていた。
売店、受付、劇場案内の女性社員は、
どのような役職にも関わらず、
美しい女性が多かった。
若い鎧塚海斗は、その美しい女性たちと
親しくする機会が多かった。
彼女たちはよく彼を飲みに誘ってくれたが、
その際には彼女たちの悩みや不満を
聞かされることが多かった。
彼は彼女たちの話を傾聴し、
励ましの言葉をかけることが多かった。
そして、劇場のスタッフたちからは「ぼく」と呼ばれ、
かわいがられる存在として扱われた。
彼女らは彼を劇場の一員として受け入れ、
鎧塚海斗にとっては居心地の良い環境だった。
第四章 不動産屋で働く
劇場での貴重な 2年間の 経験を経て
鎧塚海斗の、新たな挑戦が始まった。
舞台は、営業の世界だった。
大学で過ごした同級生たちが就職するなかで、
自らの経験と能力に自信を
持って新たな舞台に身を投じました。
彼は地方のニュータウンを開発販売する会社に入社し、
そこで飛び込み営業の仕事に従事しました。
この新たな環境では、
先輩社員たちと同じ土俵に立ち、
自らの手腕を試す機会を手に入れたのです。
学卒が4月1日に入社するのに対し、
鎧塚海斗は、3月25日に中途採用で入社した。
中途採用に私彼は即戦力として、
入社早々から飛び込み営業に挑み、
先輩社員としての地位を築いていた。
部署は「女子部」と呼ばれ、
学卒の新入社員は、男性5人と女性40人が所属した。
部署内には2つの課があり、それぞれに4つの係が設けられ、
担当エリアごとに営業活動を展開していた。
学卒者たちは入社後に1カ月間の部内研修を受け、
その後に営業現場に配属された。
男子社員は彼と同じ年齢で、
大学を卒業してから入社したメンバーだった。
彼らは同じ時期に新たな一歩を踏み出し、
新しい職場での挑戦に臨んでいた。
一方、女子社員は主に短大卒が多く、
彼女たちは後輩のような印象を与え、
可愛らしい雰囲気が漂っていた。
ほとんどの新入社員は地方から就職し、
会社近くの寮で生活していた。
寮生活は、同僚との交流や仲間との絆を深める機会となり、
共に成長し合う場だった。
彼女たちと休み前の日は、仕事終わりに
職場の近くの居酒屋で集まり、
仕事の愚痴を聞かされることになった。
仕事は非常にストレスのたまるものであり、
彼女たちにとっては社会経験が乏しい状況で、
学校を卒業したばかりの彼女たちにとっては
非常に辛いものだった。
鎧塚海斗は愚痴を聞く側に回り、
自分の愚痴はあえて口にしなかった。
彼は同僚たちが抱える悩みやストレスを理解し、
彼女たちを支えることに専念した。
自らの苦しみや不満を抱えながらも、
彼は静かに耐え、
励ましの言葉や助言を提供し続けた。
新入社員たちが日々の業務に悩み、
ストレスに苛まれながらも前向きに取り組む姿が、
鎧塚海斗にも印象深く残ることになった。
学卒の男性社員5名のうち、3名が半年で退職し、
女性社員40名のうち20名も同様に退職していった。
地元へ帰る者や寮を出て大阪に残って新たな職場を探す者、
それぞれが次の道を探して旅立っていきました。
彼らの選択は、それぞれの人生や将来に
向けた大きな決断であり、
それぞれの道を進むことで新たな挑戦や可能性が広がった。
彼らとのつながりは時々の連絡や飲み会を通じて続き、
それぞれが自分の人生を歩んでいく中で、
お互いに励まし合った。
飛び込み営業で、興味を持ったお客さんを見つけ、
家族で不動産の話を聞く場を設け、
興味を持ったお客さんには現地を案内し、
そこで契約交渉を行う。
まず第一弾階のお客様として、
お客様の家に訪問して話を聞いてもらうために、
一軒一軒チャイムを鳴らし、
興味のあるお客さんを探す。
しかし、セールスの世界は厳しく、
半数以上が留守か居留守で、ほとんどがインターホン越しに
セールスとわかると断られる状況が続いた。
このつらさに耐えきれず、
夢を持って入社した学卒の社員たちは
どんどん辞めていった。
それに耐えてサボらずに訪問件数を上げないと、
お客様に出会えない。
鎧塚海斗は以前、自動車の製造の仕事で毎日
ロボットのように車のバンパーをつける作業を
1年間してきた経験があり、
感情を殺して目の前の仕事に集中することができた。
そのおかげで訪問件数を落とさずに
1つ2つと契約をして実績を積んでいった。
1年後、学卒男子は全員退職し、
女子社員40名のうち残ったのはわずか4人でした。
課長に聞くと、まあこんなものだと言った。
鎧塚海斗は入社1年で係長に抜擢され、
4月からは7人の新入社員と仕事を
一緒にすることになった。
そこから鎧塚海斗の苦悩が始まった。
7人の新入社員の面倒を見ながら、
係の数字を上げていかなければならない。
簡単に言えば、営業マンだったら1人分の目標の
ノルマを達成すればいいが、
部下が成長し実績を上げるまで係のノルマ、
7人分を1人でやらなければいけない。
まだ1年しか営業の世界を経験していない鎧塚海斗にとって、
地獄のような毎日だった。
女子部でもあるので部長は社員には優しいが、
役職者には鬼のような対応をしてきます。
会議中に灰皿が飛んでくることもあり、
罵声を浴びせられることもあった。
新入社員と歳も近く、営業経験が少ないため
同じ状況にいることから、
鎧塚海斗は一人一人に丁寧に仕事を教え、
成功に導くために手助けした。
苦労して育て上げた新入社員が係の異動で他の係に行ってしまい、
成績が上がらないこともあった。
交代で新たな新入社員がやってきて、
鎧塚海斗は再び指導し、係のノルマをこなしていった。
この繰り返しの中で、
鎧塚海斗は自らの経験や知識を積極的に共有し、
後輩たちを育て上げることに尽力した。
その係長職を2年間耐え忍んで、
ついに鎧塚海斗は限界に達した。
第五章 人生の転機
2月4日立春の日、仕事の合間にふと入った本屋で、
ジョセフ・マーフィー博士の著書
『マーフィーの成功法則』に出会ったことで、
鎧塚海斗は人生の物語を書くという新たな視点を得た。
その言葉には、自分の人生を自らの手で創り上げ、
自らの望むように導く力が込められているように感じた。
この考え方を実践し、
人生の物語を書くという目標を持つことで、
自らの人生を物語として捉えることで、
目標や夢を追求する力が湧き起こった。
成功や幸福を求める旅路は、
挑戦や試練があることを知りながらも、
それを乗りこえることでより強く、
成熟した人間として成長することがでる。
『マーフィーの成功法則』に触れたことで、
自らの人生を自らの手で握り、
望むように導くことの重要性を学んだ。
そして、その教えを胸に、
自らの人生の物語を書いた。
鎧塚海斗は、
4月4日に25歳の誕生日迎える前に、
彼は24歳の3月26日に現在の会社を退職した。
3年間の勤務で退職金が50万円支給され、
預金残高も500万円あった。
合わせて550万円の資産を持って新たな一歩を
踏み出すことになった。
25歳の誕生日を迎え、彼は過去の経験を振り返りながら、
新たな一歩を踏み出すことを決意した。
第六章自分人生の物語を書く
投資と語学の勉強に力を注ぐことで、
自己成長を遂げるための旅が始まった。
毎日、市場の波に身を投じながら、
投資の世界に深く没頭しました。
同時に、英語、フランス語、スペイン語など、
多様な言語を学ぶことで、
国際的な視野を広げる準備を整えた。
26歳になると、カナダへワーキングホリデーに行く。
新しい環境での挑戦を受け入れ、
カナダの大自然や文化に触れる中で、
自らの可能性を見いだす。
新たな友人とのであいや仕事を通じて、成長を遂げる。
27歳、フランスへワーキングホリデーに行く。
パリの美しい街並みや芸術に触れ、
フランス語の磨きをかける中で、
自分自身の可能性を広げる。
異文化の中での生活は、彼の心を豊かにし、
人生の新たな局面への準備を整える。
28歳、スペインへワーキングホリデーに行く。
スペインの陽気な文化や美食に触れながら、
スペイン語を学ぶことで、自らの成長を促す。
新たな挑戦に満ちた日々は、
私の内なる力を呼び覚まし、
未来への準備を整えた。
そして、29歳になり、
自らの事業を立ち上げる準備に取り掛かる。
これまでの経験と学びを生かし、
自分のビジョンを形にするための努力を重ねた。
運命の相手とめぐり合う。
30歳の時に、彼は待ち望んでいた事業を立ち上げる。
自らの手で築き上げたビジネスは、
彼の人生に新たな可能性をもたらし、
未来への道を切り開く。
33歳で事業の起動に乗り、
彼女と結婚の幸せを手に入れる。
35歳の節目に彼は初めて父親となる喜びを経験する。
赤ちゃんの泣き声が家庭に満ち、
その小さな存在が彼らの生活に新たな喜びをもたらす。
36歳になると、さらに幸せが訪れる。
2人目と3人目の赤ちゃん、
男の子と女の子の双子が誕生する。
家族の笑顔が一層輝きを増し、
幸せな日々が続く。
子供たちの成長を見守りながら、
彼らの家庭は愛と温かさに満ちた場所となる。
40歳になると、事業は順調に成長し、
株式上場を果たす。
この成功により、私は一区切りをつけることを決断し、
全株を売却してプチリタイヤ生活をする。
これまでの努力と経験を踏まえ、
投資活動に取り組みながら、
自らの子育てにも力を注いだ。
新たなる一歩を踏み出す40歳、
これからも家族ととも豊かな人生を
歩んでいくことが、鎧塚海斗の新たな目標だった。
子供たちが成長するにつれ、人生の新たな段階に進んでいく。
子供たちの成長とともに、鎧塚海斗も自らの可能性を追求し、
新たな目標を見つける。
50歳を迎えるころには、
これまでの経験と成果を基に、
より充実した人生を築くための計画を立てる。
家族との時間を大切にしながら、
自分自身の成長や興味を追求することに集中する。
この時期には、新たな挑戦や冒険に積極的に取り組むこと、
そして自分自身の幸福と充実感を
追求することが重要だと感じている。
また、家族や友人との絆を深めながら、
豊かな人間関係を築いていくことも心がける。
50歳からの人生を計画する中で、
新たな夢や目標を見つけることができ、
その実現に向けて前進していくことが
鎧塚海斗の使命となるはずだ。
鎧塚海斗の希望に満ちたこれからの人生は、
自らが書いた物語通りに進むのか、
それは彼自身が選択し、行動することによって決まる。
人生は予測が不可能な出来事や挑戦が待ち受けており、
物語通りに進むことはまれだ。
しかし、彼が持つ強い意志と決断力、
そして物語を書くという新たな視点を持つことで、
人生の流れをより積極的にコントロールし、
望む方向に導くことができる。
物語通りに進むかどうかは、
その物語を書く者である彼の選択や行動によって左右される。
彼が夢や目標に向かって進み、困難に立ち向かい、
自らの人生を積極的にデザインしていく姿勢を持てば、
物語は彼の意図通りに発展していくでしょう。
ただし、予期せぬ展開や試練が訪れることもありますが、
それらを乗りこえる力と成長の機会として捉え、
物語をより豊かにつづっていくことが重要です。
彼が持つ希望と意志を胸に、
自らの人生の物語を書き続けることで、
彼の人生は確実に豊かで充実したものになるでしょう。
第七章 オリビアとの出会い
カナダ人が教えてくれるオンライン
英会話教室に登録したのは、
鎧塚海斗の新たな冒険の始まりだった。
最初は1日25分の月25日間のプランを選び、
日替わりでさまざまなカナダ人の講師から
英語のレッスンを受ける中、
2カ月目になると少し、物足りなさを感じ、
1日2回の合計50分コースに切り替えることを決意した。
そして、半年後、20歳のカナダ人女性オリビアと出会った。
彼女とは、偶然のタイミングで時間帯が合い、
ほぼ毎日オリビアから英語のレッスンを受けることに。
彼女は日本に留学中で、来年にはカナダに戻る予定だ。
鎧塚海斗は彼女に自身のワーキングホリデー計画を伝え、
LINEの交換をして定期的にデートするようになった。
デートを重ねるたびに、
2人はお互いのことをより深く知り、
ひかれあっていった。
彼女はある日、カナダに行ったら
自分の住んでいる場所で一緒に暮らし、
仕事も一緒に探そうと提案してくれた。
この提案に、鎧塚海斗は心から喜びを感じた。
彼女との未来を想像するだけで、心が躍った。
第八章 カナダワーキングホリデー
オリビアがカナダに帰国する日に合わせて、
ワーキングホリデーの手続きも整え、
航空チケットも購入して準備を整えた。
彼女はトロント大学に在籍しており、
大学の近くにアパートを
借りて一人暮らしをしていた。
アパートの家賃の半分を支払うことを提案した。
家賃は、彼女の父親が支払っているため
問題はないと言われた。
カナダでは英語とフランス語の
2つの言語が公用語として話されている。
来年に行く予定のフランスへのワーキングホリデーで必要な
フランス語も、彼女との会話を通じて学べるのは、心強い。
彼女と一緒にいると、
日常的に英語とフランス語で会話することが、
語学留学以上に彼の語学力を
高めることにつながっていた。
彼は、ワーキングホリデーの準備として、
日本語教師養成講座を420時間受講し、
日本語教育能力検定試験に合格していた。
この資格を持っていれば、
民間の日本語学校で教えることができる。
また、現地で仕事を探す際にも有利になる。
彼は海外インターンシップ制度を利用して、
トロントの日本語学校、不動産屋、旅行会社
の3つの面接を受けた。
旅行会社のオプショナルツアーの
カウンター業務として彼は採用された。
仕事内容は、トロントでのカウンター業務と現地での
オプショナルツアーの手配を含んでいた。
彼は日本人の団体客が来る際に、
オプショナルツアーの手配をするために現地に赴いた。
仕事として行くため、報酬を受け取りながらカナダの
さまざまな場所を訪れることができた。
美しいロッキー山脈やバンフでのツアーガイド、
紅葉のカナダを満喫するメープル街道、
オーロラを追い求めるイエローナイフ、
そして「赤毛のアン」の世界を旅するプリンスエドワード島など、
さまざまな場所での仕事を経験した。
オリビアとの関係は非常に良好で、
お互いを尊重し合い、愛し合っていた。
けんかをすることもなく、互いの考えや感情を理解し合いながら、
穏やかな日々を過ごしていた。
彼らの関係は信頼と深い絆で結ばれており、
幸せな時間が続いていた。
オリビアと鎧塚海斗は、MLB・アメリカンリーグ東地区所属の
プロ野球チーム、トロント・ブルージェイズ。
本拠地はカナダのオンタリオ州トロントにあり、
試合をよく観戦した。
カナダはアイスホッケーでも有名で、
トロント・メープルリーフスは、
カナダ・オンタリオ州トロントを本拠としている
ナショナルホッケーリーグ所属のプロアイスホッケーチームの
試合も観戦に行った。
投資は株とFXで順調に資金が増えていった。
忙しい時は自動売買を繰り返し、
コンピューターの中で取引を行い、
時間がある時はゆっくりとチャートを
見ながら投資をしていた。
自動売買ソフトウエアは市場の変動を監視し、
設定された条件が満たされた時に自動的に取引を行う。
このように、感情を排除した冷静な取引が可能だ。
自分のルールに基づいて取引を行い、
チャートの動きに一喜一憂せずに、
安定したトレードを続けられる利点があった。
鎧塚海斗は時間を惜しまず、
英語とフランス語の勉強に取り組んだ。
短い1年の間に、フランス語をマスターし、
次の、冒険に備える準備を怠らなかった。
その情熱と努力とアマンダのおかげで、
彼の言語スキルを飛躍的に向上させ、
新たな挑戦に向けてスムーズに
進む土台を築いていった。
オーロラを追い求めるイエローナイフツアーに、
日本の団体客が参加したため、
鎧塚海斗は現地に同行した。
たくさんの観光客が訪れ、活気に満ちていた。
しかし、別の会社のツアーに参加していた
フランス人の老夫婦が行方不明になってしまった。
現地のスタッフ全員が協力して捜索を行った。
鎧塚海斗もその中に加わり、
林の向こうに見える光を追った。
すると、光の先に老夫婦がいるのを発見した。
驚くべきことに、その光源は特になく、
以前 ジョセフ・マーフィー博士が執筆した
『マーフィーの成功法則』
の本と出会った時と同じような不思議な体験だった。
老夫婦の奥さんは動けなくなっていたため、
鎧塚海斗が彼女を背負って救出した。
老夫婦は大変感謝し、鎧塚海斗に心からの感謝の言葉を述べた。
その後、海斗が来年フランスに
ワーキングホリデーで行く話を伝えると、
老夫婦は喜んで「ぜひうちへいらしてください」と言って
彼らは住所と電話番号をメモに書き、
鎧塚海斗に手渡した。
アマンダは、鎧塚海斗がカナダでのワーキングホリデーを終え、
次のフランス・パリへのワーキングホリデーに
行くタイミングに合わせて、
パリ大学への留学を決意しました。
彼らはパリでの再会することを約束し、
鎧塚海斗は日本に帰国した。
彼が日本に帰国すると、
早速フランスへのワーキングホリデーの手続きを進めました。