白蛇 本編かもしれない話
前作『白蛇』のアナザーストーリーというか、そこであえて出さなかった、実際の本編のような話です。
東山翼は子どもの頃から寝付きが良い。
布団に入ると数分後には寝ているし、一度寝たらアラームが鳴るまで目が覚めることはない。
それがある時から、夜中に何度も目が覚めるようになった。
東山翼は都市部からかなり離れたところで生まれ育った。
家族関係は特に悪くなかった。
適度に仲の良い両親と3人暮らし。
特別裕福でも貧乏でもなく、贅沢をしなければ、食べるものにも衣服にも趣味にも困ることはなかった。
というのも、翼の趣味というのが読書だったからかもしれない。
幼い頃からファッションには興味がなく、洋服なんて清潔に着られればなんでもよかった。
周りの子たちが好きなアニメやゲームにも関心を持たなかったため、ゲームやおもちゃをねだることはなかった。
翼の両親は翼が欲しがるものを買ってあげようとしたが、翼が欲しがるものは本だけだった。
しかも、わざわざ買わずとも、図書館で借りてくるだけで翼は満足した。
特に熱心に読んでいたのは爬虫類、それもヘビに関する本だった。
翼自身も、翼の両親も特に苦手意識はなかったのだが、翼の祖父が極端にヘビ嫌いだったため、翼は大好きな祖父の苦手を克服してあげようと、熱心に読んでいたのだろう。
中学生になるかならないかの頃。
翼はある小説に出会った。
その小説の主人公は話の中で、確固たる意思のもとタトゥーを入れる。
その主人公の姿に翼は静かに衝撃を受けた。
いつか自分もこの主人公のように、はっきりとした意思を持ってタトゥーを入れるんだ。翼はそう決意した。
欲という欲がなかった翼にとって、初めて自らの意思で強く欲した瞬間だった。
翼はそれ以降、タトゥーについて調べに調べた。
しかし、いざ入れられる年齢になっても具体的な計画は立っていなかった。
それは、自分が身を任せたいと思う彫り師がわからなかったからだ。
翼は本やインターネットで情報収集をしていたが、実際に周囲にタトゥーを入れている人がいなかった。
そこがどうしても引っかかってしまい、あと一歩が踏み出せないでいた。
確固たる意志を持ってタトゥーを入れた人、しかも数多く入れた人の話を聞きたい。
それが翼の当面の目標となった。
そんな状態のまま、翼は東京で大学生になった。
周りの上京したい生徒たちは、特に金銭面で親の反対を受けていたが、翼は誰からも反対されなかった。
両親が、本来これまで翼に使う予定でいたお金があったからというのが大きい。
翼の両親は、誕生日やクリスマスに、いつかゲームなどの高価なものをねだられると想定し、ある程度準備していたのだが、翼が欲しがるのは高くても2,000円弱の本ばかりで、予算を繰り越しているうちに、大学にかかるお金や一人暮らしの費用をある程度賄えるまでに貯まっていたのだ。
学力も、翼が住みたい町の近くにある大学に進学するのにちょうど良いレベルだったため、教師からの反対もなかった。
そうして翼は、不自由なく学生生活を始められることになった。
東京の、それもおそらくここなら、タトゥーを入れている学生に出会えるはずだ。
そう思って上京した翼の思惑は大きく外れた。
憧れのあの町にこんなに近いのに、出会いたい学生には会えなかった。
近所で理想の人に出会うこともなかった。
そうしていうるちに翼は大学四年生になっていた。
この間、それなりにタトゥーを入れている人には出会っていた。
近場のコンビニエンスストアでアルバイトをしていたため、バイト仲間やお客さんに、タトゥーを入れている人がいたからだ。
しかし皆、なんとなくそのタトゥーを出来るだけ隠したいように見えて、翼の理想とは異なっていた。
翼は休日や大学の講義の前後に、近所を散歩する時がある。
ある日散歩をしていたら、一人の女性を見かけた。
彼女はもう秋だというのに、タンクトップにショートパンツ、そしてサンダルという服装だった。
そして、その服から露出した肌という肌に、さまざまなタトゥーが入っていた。
なんといっても彼女はとても堂々としていた。
全身のタトゥーを隠すこともせず、かといって見せびらかしている風でもなかった。
翼にとって彼女はまさに理想と思えた。
「すみません!ちょっとよろしいですか?」
考えるより先に体が動いていた。
自分を見て戸惑う彼女の姿に翼は一瞬、やらかしたと思った。
でも止められなかった。
彼女、サラはとても良い人で、友達になってくれという翼の無茶な頼みに簡単に応じてくれた。
連絡先を交換し、後日改めて会った。
そこで翼は、自分がタトゥーを入れたいということ、しかもできるだけリアルなヘビのタトゥーを入れたいのだということを伝え、彫り師を教えてくれるよう頼んだ。
実際彼女の肌にも、かなりリアルなタトゥーが彫られていたため参考になるかと思ったのだが、実は実際に間近でじっくり見てみると、動きそうなほどのリアルさはなかった。
それでも翼は、何か知っていることはないかと期待した。
話を聞くと、やはり実は彼女がそこまでのリアルさにこだわってはおらず、リアルさを求めて彫り師を選んだわけではないことがわかった。
がっかりした翼に、しかし彼女は言った。
「あ、でもね。どっかの、っていうか何人かの彫り師に聞いたんだけど、なんかやばい彫り師がいるんだって。ほんとにリアルで、その生き物が体に乗っかってるように見えて、今にも動きそうなタトゥーを彫る人」
藁にもすがる思いだった。
翼はその日彼女と別れてから、必死でその彫り師の情報を集めた。
そして1年近く探して、ようやく見つけた。
その頃翼は大学院に進み、民俗学者としての道に進み始めていた。
その彫り師は、サラが言った通り、S県K町に住んでいたが、今は表向き、彫り師はしていないとのことだった。
一見さんお断りの人かとも思った。誰かその彫り師に彫ってもらった人からの紹介なら施術してもらえるのではないかと期待した。
しかしいろんな人から話を聞いていくうちに、それが不可能なことがわかった。
その彫り師が彫った人は皆死んでいるという。
翼はその噂を信じなかった。
たしかにこれまで、その彫り師に彫ってもらった人に出会ってはいないが、それはその技術故に、誇張されて噂が広まっただけだろうと。
その割に、その彫り師がS県K町に住んでいるということだけは揺るがなかったため、翼は夏休みを利用し、かつフィールドワークと称してK町に行った。
翼は必死に聞き込みをし、ようやくその彫り師に辿り着いた。
彫り師、仮にAとするが、Aは最初、翼を突っぱねた。
私はもう刺青は入れない、私の刺青は人を不幸にするのだから、と。
それでも翼は毎日Aの元へ赴いた。
「苦しくてもいい。死んでもいい。それでもあなたに彫ってほしいのです」
一週間が過ぎ、そこからまた数日経った後。
ついにAが折れた。
「そこまでの覚悟があるなら彫ってやる。ただし、彫った後の責任は負わない」
そうして翼は念願だった、今にも動き出しそうな白いヘビのタトゥーを左腕に入れた。
Aは施術後、丁寧にアフターケアについて説明してくれ、保護シートも数枚くれた。
なんだ、良い人じゃないか。
帰り際のAのとても複雑な表情は気になったが、それ以上に翼は嬉しくて仕方がなかった。
これでこのヘビを、子どもの頃飼うことが叶わなかったこの白いヘビを、自らの腕で、共に生きることができるのだと。
翼はタトゥーの写真を撮り、サラに送った。
サラからの返信はなかったが、既読は付いたので見てくれてはいるのだと思う。
返信はなくとも、サラ、あなたのおかげで夢にまで見たタトゥーを入れられたのだと、報告できただけで翼は満足だった。
しかし幸せな時間はいつまで続かない。
タトゥーが安定して、保護シートをしなくてもよくなり、かさぶたも全くできなくなった頃。
翼の左腕に白いヘビが、見事なまでに、今にも動きそうな様子で乗っかっているように見え始めた頃だ。
翼は不眠症に悩まされることになる。
寝付きはいい。
何時に寝ても、布団に入ればすぐに眠りに落ちる。
問題はその後。
夜中に何度も目が覚めるのだ。
最初はくすぐったい感触だった。
左腕がムズムズして目が覚めた。でもすぐにまた眠った。
数日後、今度は鎖骨の辺りに違和感を感じた。
それでも目が覚めてからすぐにまた寝た。
次は右腕がむず痒くなった。
その時はなんとなく尿意を催し、トイレに行った。
それまで翼は夜中にトイレに行ったことはなかったので、かなり寝ぼけながら歩いていた。
用を足し、手を洗う。
その時。
鏡に映る自分を見た。
タンクトップの寝巻きを着た自分がいる。
その自分の右腕に、白いヘビが巻きついている。
あれ?
自分がタトゥーを入れたのは左腕のはずだ。
寝ぼけてよくわからなくなっているのか。それともこれは夢なのか。
慣れないことをしている翼は、わけもわからないまま、再び布団に戻った。
東山翼の遺体が発見されたのはその3日後だった。
翼は首に巻きつく何かを必死で剥がそうとしているように首に手をかけ、苦しそうな表情で死んでいた。
警察の調べでは、まず死因は間違いなく窒息死。
遺体の状況から、首を絞められたように見えるが、実際に絞められた跡はなかった。
争った形跡としては、たしかに翼が暴れたであろう様子は伺えるが、何者かが侵入した形跡は見つからなかった。
翼の体内から薬物などは検出されていない。
結局翼の死は、精神的な問題によって幻覚を見て、誰かに首を絞められたように思い込んだことによるものだとされた。
翼の首に巻きつくように彫られた、白いヘビのタトゥーがそれを裏付けた。
翼は精神を病み、自殺願望を抱いた。だから自ら首に巻きつくようなヘビのタトゥーを入れ、そしてそれが現実かのように思い込み、妄想と現実の区別がつかずに死んでいったのだと。
この見解に翼の両親は反論しなかった。
たしかに学校には毎日きちんと通い、それなりの成績をおさめていたが、翼から友達の話は聞いたことがない。
おもちゃもゲームも服も自ら欲しがらず、求めたのは本だけ。
それも図書館で借りてくるだけで満足していた子だった。
世間からかけ離れた我が子を不安に思ってはいたが、体調を崩すこともなく、犯罪に手を染めることもなかったため、ちょっと変わった子として違和感は持ちつつも、本人の意思のままに育てていた。
そんな育て方をした自分たちが間違っていたのだと、両親は悔いた。
だが事実は違う。
翼は
いやわたしは。
自殺なのではない。
あの白いヘビに殺されたのだ。
白いヘビは、わたしの体に落ち着き、存在を確固たるものにすると、わたしの体を動き回るようになった。
夜毎むず痒くなるのは、あの子がわたしの体を這い回っていたからだ。
最初は自分が寝ぼけて勘違いをしていたのだと思っていた。
でもふとした瞬間、それは違うのだとわかった。
ある日わたしはあの子を叱った。
お願いだから、わたしの体を動き回るのをやめてくれないかと。
わたしは夜はしっかりと眠りたいのだ
だからわたしの眠りの邪魔はしないでくれ、と。
あの子がわたしの首に巻き付いたのは、その日の夜だった。
あの子は私が布団に入り、眠りにつく瞬間に耳元で言った。
「わかった。今夜からは、あなたの眠りの邪魔はしないよ」
そうしてわたしは、永遠の眠りつくことになったのだ。
前作『白蛇』を書いた時、今回の話を踏まえた上で、ホラーっぽい感じにするためにあえて謎な感じにしていました。
今回は、その裏の部分、この話の本当の主人公である翼の話を書いてみました。
ただのホラー小説なら別にこのような前書きや後書きは不要かと思いますが、今回の話は事実が盛り込まれてもいるので、ご協力いただいた方への感謝の意も込めて、翼の話、そしてこのような後書きも書かせていただきました。
ご協力いただいた皆さま、ありがとうございます。