軍隊と政治
戦後しばらくの間は学士号、大卒の資格の授与はなく、大学院受験資格のみが与えられていたのであったが、1990年代に入ると、学士号、大卒の資格が授与が行われる様になった。これにより、防衛大学校は一般大学と同じ様に大卒の資格が手に入る学校に変わった。
軍隊は、恣意的・党派的に利用されない様に、政争から隔離され、現存政体の法的機構の一部であるべきと言う理論がある。文明国にあっては、法の命ずる所に従う事が軍人の絶対的義務、即ち国家の軍隊は、感情亡き道具であると言う事も、道上には充分理解できる。
とは言え、国家に対する職業軍隊の忠誠と言うフィルターを通す時、我が国の政治、文民統制と言う理解と現実乖離、自衛隊と言う擬似軍隊、自衛官と言う名の特別職国家公務員と言う現実から、一体何が見えてくるのだろうか?軍隊である事を認めようとしない国家への忠誠とは何か?そもそも自分達は、軍隊であり軍人である事を否定されている。その様な葛藤が無い訳ではない。防衛大学校のカリキュラムではどうしても、社会科学の時間が少なくなってしまう。
これまでに道上達が防衛大学校で受講してきた186単位(うち社会科学はわずか14単位)で、全体の8%に過ぎない。これは理系大学教育の限界かもしれないが、左右の思想が激しく対立し、左翼的思想が主流と言えた時代背景の中で、防衛大学校教育が政治色を薄める為の政治的配慮が優先されたと言う歴史が影響している。自主主義下における西側陣営の国防意識、愛国心、国防を担う組織・隊員の士気の高揚などが、教育の場で真正面から取り上げられる事も、無かった。
本来ならば、国や所管する防衛省が防衛大学校学生に軍隊の本質を教えるべきで、その様な事を考えさせなくする事は、まるで逆効果である。防衛大学校学生自身、政治と軍事、文民統制、民主主義、マルクス・レーニン主義等、政治思想に対する関心と勉強は積極的にすべきである。広い視野と見識を持つ事は、第一線級の指揮官にとって必須条件と言っても過言ではないのである。




