屯田兵から第7師団へ
一人で巡察していても、雪明かりがあるので恐怖感は無い。道上は、男のロマンを痛いくらいに感じていた。雪に埋もれた北国の駐屯地、深夜、一人の隊員が黙々と巡察している。恐らく、日本中の誰としてその事を知らないだろう。今回の駐屯地や基地でこの様な小さな行為を積み上げて、我が国の平和と安全が保たれているのだ。巡察している誰も、国防の一翼を担っているなどと言った気負いはない。北の防衛は、幕末以来、名も知らぬ男達によって、成されてきたのである。
ロシア(旧ソビエト)の南下に備えて、会津藩や仙台藩の武士達が、蝦夷地(北海道)に配備され、その多くが辺境に果てた。明治維新後、賊軍となった東北小藩の武士達が、北海道開拓の為に入植して「石狩川」に書かれている様な流転のドラマを演じた。明治7年以降、北海道各地に屯田兵制度が設置され、開拓と北方防衛に従事していた。第二次世界大戦前は、屯田兵から発展した旧陸軍第7師団(司令部・旭川)が北の防衛につき、戦後は陸上自衛隊北部方面隊(総監部・札幌)の4個師団が北方防衛を担っている。
幕末から今日に至るまで、一貫して内地の人間が北海道に渡って北の防衛に就いてきた歴史がある。自衛隊は憲法違反であると主張する政党がある。実際、酔っぱらいから「税金泥棒ー!」と面と向かって言われる事もある。しかし、国防と言う汚れ仕事は誰かがやらなければならない仕事である。現に、国防と言う意識の有無に関わらず、隊員達はこの汚れ仕事に自ら志願してやっているではないか?やがて憲法解釈が変わり、自衛隊が国防軍として認知され、自衛隊員が軍人として処遇される日が必ずやって来るだろう。最も諸外国の自衛隊の認識は軍隊軍人では、あるのだが…。そう信じている防衛大学校学生も少なくはない。
例え、国民大衆の目に触れる事はなくても、黙々と任務を遂行する人間は必要である。それは、地の塩の様に男らしい、格好の良い生き方である。と、道上は、今、覚悟がストンと腑に落ちた。防衛大学校卒業後は、陸上自衛隊で普通科連隊長としてやって行こう。やって行ける。それが自分を活かす道である。




