校友会
と言うのも、近代兵器の多くが物理や化学の基礎理論の元にあるものだからである。
学生舎生活は4年生の統制の元での自治が原則である。各学年、それぞれの立場に応じた役割を果たしながら、自律心を身に付けて行く。1年生は、服従する事から始まる。
最も、旧軍で行われていた様な鉄拳制裁は、固く禁じられている。と言うのも、防衛大学校初代校長の槙智雄が以下の方針を示したからである。
「鉄拳制裁で人間教育が出来るものであるのならば、教育ほど簡単なものはない。」
と言う考えを持っていた影響で、防衛大学校はあくまで、強制ではなく自律を求めていると言うスクールカラーが大きく定着していた。
とは言え、防衛大学校の1年時は叩いて、叩き込む段階である。
こうして、天野星也の防衛大学校1年目はあっという間に過ぎて行った。2学年になって変わる事もあるが、上級生になり後輩に教える事の大変さもあったが、それでも自分が身に付けた事を後輩に教えると言うのは、教わるよりもよっぽど楽な事であった。
勉学もより専門性のある分野に入って行った訳であるが、毎日たっぷり勉強していれば、馬鹿でも身に付く。元々、体力よりは頭でっかちになりがちだった天野は自らを鍛える為にアメリカンフットボール部に入っていた。防衛大学校には校友会と言う部活動があり、入学すると、文化部、運動部、同友会のいずれかの部に入部する事が義務付けられていた。
天野はアメリカンフットボールは未経験ながらWRとしてあの楕円形のボールをキャッチする事に楽しみを覚えていた。
防衛大学校の教育方針は、良き軍人である前に良き市民であれ。直ぐに役立つ人間は直ぐに役に立たなくなる。直ぐには役に立たないが、やがて如何なる対処にも役立つ人間を養成する事であり、防衛大学校は単なる軍人養成の専門学校では無い。と言う方針がある。部活動に参加すると、夕方は特に忙しい。短時間で風呂に入り、素早く夕食を済ませ、19時迄に学生舎に戻り、自習室、寝室、共有場の清掃を終え、19時20分の自習時間に間に合わせなければいけないのである。