餃子の餡
防衛大学校に入学する者は、一般の何の変哲もない日本人であって、少し勉強が出来ると言う事以外は、ほとんどが同じ様な日本人である。一般の若者の様に、恋もすれば、馬鹿な事もする。彼等を知ると言う事は、結局、日本人が何を目指して行くかと言うビジョンを考える事でもある。ビジョンが無ければ、国家の発展はない。それだけは言えるだろう。今の日本に欠けているのはそう言ったビジョンなのでは無いだろうか?ビジョンが無ければ未来を描けない。
未来は真っ暗なものであると思うしか能がない。しかし、本当に日本は、その様な可能性の無い国なのであろうか?日本国が保有する技術力は、寧ろこれから花咲いていくものであろう。世界で唯一の被爆国家として、核兵器の無い新たな安全保障政策を考える事は、日本国にしか出来ない事である。日本人にしか出来ない事を、日本人がやっていく為には、その裏付けとなるビジョンが無ければならない。ビジョン無き戦略は時として暴走を生んでしまう。国際政治の中で日本人が果たすべき役割は、非常に大きいものがある。
話が飛躍し過ぎてしまったかもしれないが、防衛大学校や防衛大学校学生の事を知るのは、あくまでもそのきっかけに過ぎない。防衛大学校って何だ?防衛大学校学生ってどんな生活をし、どんな進路を歩むのか。と言う事も知らずに、安全保障について語っても、どこか空論染みたものになってしまう。防衛大学校学生を知る事は、餃子で言うなれば具材となる餡の作り方を知る事の様なものである。防衛大学校やその学生の知識も無いのに、安全保障観を語るのは、餃子の皮だけ食べる様でとても間抜けで、恥ずかしい事でもある。
とは言え、防衛大学校の事を知る為の資料が少ないのは、意外であった。もっと日本人は防衛大学校やその学生を詳しく調べる必要があるのに、どうしてかそれをしない。安全保障とひとくくりに言っても、専門性の高い事から、一般教養レベルな事まで様々ある。人によっては、難しい分野とも言える。しかし、本書はそう言ったビギナーでも防衛大学校の事を分かりやすく意識して書いて来たつもりである。