ドライな選択
原発事故も予断を許さない。
防衛大学校学生は、人生で最も成長する期間に自衛隊幹部として必要な教育を受ける。しかしだからと言って、思想や信条に偏りがあってはいけない。公正中立の立場で、平等にありのまま現実を受け入れなければならないであろう。自衛官として必要な能力を身に付け、いらないものは省いて行く。そうしたドライな姿勢は自衛官にとっては、ある程度必要である。戦場では生きるか死ぬかの究極の選択をしなければならない事もある。
涙を丸飲みしてでも、決断をしなければならない様な状況もあり、後から自責の年で苦しむ事も無い訳ではない。しかし、指揮官になる人間ならば避けては通れない道である。何が良くて、何が駄目等と言う事は、周囲が勝手に判断してしまうかもしれない。だからと言って、現場で自分が下した下した判断については、自信を持つべきだ。それが、ベスト(ベター)の選択肢であったと言えなければならない。その選択により部隊に損害が出てしまったとしてもである。
指揮官になると言う事は、それだけ責任重大な決断を迫られると言う事である。防衛大学校を卒業したからナンボのものではない。これはよく繰り返される事かも知れないが、防衛大学校と言うブランドがあるだけでは、良い指揮官には成れない。努力をして、指揮官として向上心を持って任務につかなければ、そんなものは御飾りでしかない。せめて、部下にこの上官の為なら死ねる、悔いはないと思わせる様にならなければならない。
防衛大学校の教育では、そう言う精神論的な事は一切教えない。BOCや幹部候補生課程で嫌と言う程、やる事になっているからだ。防衛大学校学生のうちからある程度予測しておくと、防衛大学校を卒業してからスムーズに進む事が出来ると言える。優秀な上官を目指すのは勿論の事だが、戦場では優秀な上官よりも、勇敢な上官の方が結果を残すだろう。確かにテストで100点をとる事は重要な事かも知れないのだが、戦場で勇気を持って部隊にとって最善の道を示す事の出来る上官の方が部下にとってはありがたいものである。