愛される自衛隊
その事に疑問はないし、自衛官ならば黙々と強い部隊を作る事に専念する事が仕事である。ただし、万が一戦争になった場合、指揮官は部下に死ねと命令しなければならない。自分が死ぬのは良い。自分さえ納得すれば良いのであるから。だが、死を命ずる事を部下や部下の遺族に自信を持って説明出来るか、と言う本質的な疑問がある。かけがえのない隊員の命を、命令一つで捨てさせる程の何物かがあるのか、その事に対して国はきちんと応えてくれるのかと言われると、自信は無い。
新しい制服に変わったり、服務規則が改正されたり、陸上自衛隊も変わろうとして来た事も一面にはある。軍隊色を薄めた疑製武力集団を目指しているとも言える。制服は幹部と曹士隊員の区別が無くなるし、外出の条件も大幅に緩和されるし、不寝番等も出来なくなるし、段々と軍隊ではなくなって来る。愛される自衛隊と言うのがキャッチコピーとしてある。
平和が続く事は素晴らしい事で、大いに歓迎すべき事である。だが、事実上の軍隊を作っておきながら、国内法上は軍隊ではない、国際法上は軍隊に相当すると言い張る国家が、この地球上の何処にあるだろうか?国家は冷たいものだと感じざるを得ない。国家の本質と言うものは非情である。たった一つしかない命を懸けて、純粋に国家国民の為に働く組織や人間を、憲法違反だとか、税金泥棒呼ばわりする政治家や同胞が存在すると言うのも、愚痴っても始まらないが悲しい事である。
違憲だが合法であると言う詭弁がまかり通っている。防衛大学校学生の多くは、こうした事に葛藤を抱えている。現実と理想のギャップに耐えかねて、リタイアしていく者もいる。任官辞退と言う世間から冷たい目で見られるのを覚悟で、自衛官を職として認めず、任官しない者もいるが、一体我が国の何処に、彼等の決断を否定する事の出来る人間がいるだろうか?今でこそ防衛大学校では女性が入学出来る様になったが、基本は男所帯である。