自衛隊最大の弱点
昭和42年(1967年)4月の統一地方選挙で、社会主義者でマルクス経済学者で、東京教育大学教授であった美濃部亮吾が、361万票と言う選挙史上最多得票記録で当選し、その後3期12年もの革新都政が続く。都心におけるパレードの中止の理由・名目は、都内の交通量が増え、一般市民の生活に支障が出ると言う事であった。
さて、第一教導旅団の本来の使命は、富士学校の教育支援である。この一貫として、富士学校に入校する普通科(歩兵)、機甲科(戦車、偵察)、特科(野戦砲兵)の幹部学生に対して、各種火力の威力を実弾射撃で展示して、近代戦の火力戦闘の様相を体感させると言う目的で、火力展示演習を行い、一部を一般市民に公開している。
平成26年11月19日、東富士演習場畑岡で総合火力展示演習が行われた。道上鉄也は、90式戦車を4両指揮する射撃部隊の小隊長として参加して、一週間位天幕露営しながら、射撃訓練に専念した。この日、富士山麓は高気圧に覆われ、放射冷却の影響で冷え込んで霜が降りて、日中は風もなく絶好の射撃日和となった。展示射撃の成績も良好であり、戦車らしい射撃を学生に披露する事が出来た。
道上は、営外巡察と言う特別勤務を命ぜられる事もあった。制服に半長靴、弾帯と言う出で立ちで、飲み屋街やパチンコ店、映画館等を巡回して、外出隊員の規律の維持にあたるのが目的である。日米同盟が半世紀以上続いているとは言え、自衛官の外出隊員が集まると、自衛官同士あるいは米軍兵士とのトラブルや喧嘩が絶えない。週末の繁華街を制服で巡察すると言う無粋な勤務だが、酔っ払った米軍兵士からよく、敬礼された。
実戦経験の無い戦後派幹部がほぼ大多数と言うより、全隊員が戦争未経験。それが自衛隊の最大の弱点であった。訓練も今一つ地につかないもどかしさを感じる。道上は米国海兵隊の訓練を垣間見て、実戦を経験した軍隊の行動から学ぶ事は多々ある。彼等の行動の全ては、敵弾が常に自分達に向けられている事を意識している。