東富士演習場
パークには90式戦車に交じって、米軍供与のM-1エイブラムス戦車やM-6ハーフトラック(半装軌車)が駐車していた。一連の行動を終え、夜、駐屯地の独身幹部宿舎(BOQ)に落ち着いた。隊付け期間は平成26年12月いっぱい迄である。隊付けは見習幹部として、部隊の実情を把握し、大特(大型特殊免許)を取得し、戦車の構造機能や整備を学び、年明けからの富士学校における機甲科幹部初級課程(BOC)入校に備える期間である。
幸いな事に幹部候補生学校の様に終日時間に拘束される事はなく、本を読み考える時間はたっぷりとある。その中で道上が印象的に残っているのが、江藤広信の「言葉と戦車」と題する欧州革命の時の評論であった。
「戦車は全ての声を、沈黙させる事が出来るし、世界全体を破壊する事も出来るかもしれない。しかし、世界各地における戦車の存在そのものを自ら正当化する事だけは出来ないであろう。自分自身を正当化する為には、どうしても言葉を必要とする。即ち相手を沈黙させるのではなく、反芻しなければならない。言葉に対するに言葉を持ってしなければならない。」
さて、富士山の東麓即ち、静岡県側に、広さ8万8000千平方㎞の東富士演習場がある。ここは、溶岩流の上に火山灰が堆積した不毛の原野である。明治時代から、日本陸軍の演習場として使用され、昭和20年8月の敗戦後しばらくの間は米軍に接収されたが、返還後は自衛隊の演習場となっている。東富士演習場の北端、海抜800メートルの須走村に昭和29年に陸上自衛隊富士学校が開設された。富士学校は歩兵(普通科)、戦車(機甲科)、砲兵(野戦特科)の幹部を養成する教育機関である。実物の戦車や大砲を使って教育するのに便利な事が、駐屯地開設の決め手となった。須走は、かつて相模、駿河、甲斐の三国を結ぶ中継地であり、江戸時代には富士講信者の宿坊として栄え、今日では富士登山須走口の出発地となっている。