幹部候補生課程修了
道は険しいが、前進あるのみ。職種と任地が決まった道上は、原隊となる第201戦車大隊の人事係と連絡を取り、着任日等の調整を行った。大隊内の配置は第3戦車中隊。中隊長は、防衛大学校の3期先輩の村川守一尉、着任日は10月21日と決定された。道上は希望通り行った事に対して、井浦区隊長に礼を言った。井浦区隊長はこう言った。
「自分の仕事をしたまでだ。」
と言っていたが、照れ隠しをしている事は良く分かった。
ところで、道上が配属された第2教導旅団と言う部隊は、どの様な部隊なのだろうか?基本的には、富士学校の教育を支援する部隊ではあるが、別の任務を持っていた。首都東京の無言の鎮めとも言われる、第2教導旅団が東京で何か起こらないか、睨みを利かせている。そうした役割も持っていた。要するに治安出動の部隊であるという事である。ともかく、第2教導旅団は最新鋭の装備を持った精鋭部隊であったのだ。
この時点では道上にはまだ、戦車の事も、治安出動の事も、知識はゼロに近く、とても一人前の将にはなっていなかった。こうして秋は深まって行った。10月16日、筑後平野は爽やかな秋晴れである。この日、防衛大学校第58期生陸上要員は、幹部候補生課程を修了し、全国津々浦々の新任地へと散った。階級は一等陸曹のままである。小原台でも久留米でも同期生はいつも一緒だったが、今後、同期生が一堂に会する日は、永遠に来ないと思うと、一抹の想いが巡って来る。
井浦区隊長は、卒業式典の後、整理した3区隊27人を前にして、最後の訓示を行った。いつものべらんめぇ口調と違い、ちょっぴり湿っぽかった。
「俺は、お前達にとって必ずしも良い区隊長とは言えなかったかも知れない。しかし、幹部の一つのタイプとして、俺の様な男がいる事も事実だ。お前等は今日以降、俺を踏み台にして前進しろ。いいか、部隊に行ったら自信を持ってやるんだぞ………。」
今日の井浦区隊長はやはり涙で湿っぽかった。