職種と配属部隊
国民を守らない軍隊とは一体何なのか、自衛隊は何から何を守ろうとしているのか、自分達に突き付けられている現実から目をそらしてはいけない。道上は素直にそう思った。どの戦跡にも真っ赤なハイビスカスが咲いていたのが印象的であった。戦史の研修は、米軍が上陸した嘉手納地区、激戦地の前田高地や、嘉数地区、第32軍司令部があった首里城跡や、小禄の海軍司令部跡、第32軍終焉の地区である摩文仁地区等であった。
さて、そんな沖縄研修を終えて、戻ってきた道上達にはいつもの厳しい日常が待っていた。幹部候補生学校の候補生隊舎は、廊下を挟んで自習室と、寝室に分かれている。防衛大学校の学生舎とは異なり、区隊がまとまり一部屋に入る。第3区隊の自習室には27人の机が教室の様に並び、寝室には二段ベッドが14個置かれている。道上達防衛大学校出身者は、この様な環境には慣れており、ストレスを感じる程の事ではない。
夜は全員が、消灯時間直前まで自習室で過ごす。連絡事項や手紙等の配布は当直候補生の仕事である。家族や恋人からの手紙は、色気の少ない幹部候補生学校での生活に彩りを添えてくれる。道上達は、九州の別天地で区隊長の指導よろしく知性も教養も、私物品倉庫入りで、娑婆の殺伐とした情勢から隔離され、国内外情勢も新聞を読んで済ませているが、世情一般の不穏な空気を、感じざるを得ない。
9月の声を聞くと、残暑の中にも秋の気配が感じられる。この季節になると、候補生達の関心は職種と配属部隊に集中する。道上は、防衛大学校1年時に希望する海上要員に成れなかった苦い経験があり、職種だけは何がなんでも一念を通そうと、固く心に期している。陸上自衛隊の職種は、大別すると戦闘職種、戦闘支援職種、後方支援職種に分かれる。戦闘職種は近接戦闘(歩兵・機甲)と、火力戦闘(野戦・高射砲)に任ずる職があり、野戦指揮官を目指している道上は機甲班職種即ち戦車要員を希望していた。