イミグレーション
幹部候補生学校で学ぶ戦術は、入門編と言ったレベルである。また、候補生達が部隊勤務になると、隊員教育や訓練計画の立案など、教官としての能力も要求される。この為に「教育法」と言う科目がある。教育訓練の分野にも、知識と実践の両面があって、学びかつ体験を積み重ねなければならない。幹部自衛官とは、人間集団を動かす立場であり、統率と管理が求められる。また、プロの軍人として、自らの職業のルーツを知る事は、誇りを持って職務に邁進する為の基盤であり、戦史が重要な科目として設定されている。
防衛大学校時代は、卒業後は直ちに部隊勤務になると言う、切迫感は薄かったが、幹部候補生学校卒業後には即第一線部隊に配属となり、部下を持ち隊員達と直接顔を付き合わせる。井浦区隊長が、「幹部候補生学校では、知識も教養もいらない。」と道上達を突き放したが、実際は隊員の前に自信を持って立つ為には、幹部候補生学校の1科目と言えども手が抜けない。
7月上旬~中旬にかけて、戦果の現地研修で沖縄を訪問した。在日米軍施設や太平洋戦争の爪痕を直接見て回る事になった。沖縄訪問の目的は、太平洋戦争末期の沖縄作戦を現地で研修して、国土戦の実態を学ぶ事である。陸上自衛隊は、国土戦を前提としているので、沖縄戦を現地で学ぶ事は多かった。
沖縄が1972年に日本本土に復帰する以前には、琉球政府によるイミグレーション(入国審査)があり、検疫があった上に、USドルの持ち出しは、50ドル以内(1ドル360円レートの時代であるから、約1万8000円程度)とされている時代があった。勿論、今は無い。沖縄は国土変換後も、反自衛隊、反米軍の急先鋒であり続けている。日本政府は自衛隊は、国土国民を守る為と言うか、沖縄県の面積の約75%は米軍基地であり、旧日本陸軍32軍は、十万人もの沖縄県民を巻き込んでしまった。陸上自衛隊は旧日本陸軍の後継組織でありその陸上自衛隊が何をしに来たのかと思う沖縄県民も多い。