第二の関門
来客には統合幕僚長を筆頭に陸・海・空の各幕僚長が礼装で参加する。宣誓文は以下の様なものとなる。
「宣誓、我々は防衛大学校学生たる名誉と責任を自覚し、政治的活動に関与せず法令及び、日本国憲法を遵守し、全力を尽くして学業に励む事を誓います。」
こうして新入生は、小原台での生活をスタートする。勿論、毎年の事ではあるが、入校して見て防衛大学校の体質に馴染めなかったと言う人間も、必ず存在する。そうした人間はもったいないかもしれないが、直ぐに退職する。少数ではあるが、防衛大学校卒業後自衛官にならない者もいる。彼等は任官辞退者と言われ、世間から冷ややかな印象を持たれてしまう。
天野はある程度、防衛大学校がどの様な学校であるかと言う事を、知識として持っていた為、直ぐに退職すると言う事は無かった。1年時は陸海空の区別がなく、どの部隊に行く事に成っても通用する体力作りの期間とされている。また、学業においても4年間の基礎となる授業が多く、慣れるまでは大変である。自習が毎晩義務付けられている事もあり、それらの知識が定着する事に適した環境である事は確かである。
天野にとっては、慣れない事の連続ではあったが、住めば都と言わんばかりに、直ぐに慣れない事を吸収して行った。そうやって日々を過ごして行く中で万が一航空要員に成れなかった時の事を考える様になって行く。陸海空の希望は事前に取るが、とは言え必ずしも自分の希望通りになるとは限らない。
自衛隊の構成人数を見ても、それは明らかであり、大多数の防衛大学校学生は、陸上要員である。陸上要員300名、海上要員100名、航空要員130名である事を知った時、これは狭き門である事を改めて思った。防衛大学校に合格するだけでも、一生の運を全て使い果たした気持ちなのに、それは第一関門に過ぎず、適正試験と言う第二関門は想定外であった。防衛大学校受験に成功した強運の持ち主だからと楽観視していた事は言うに及ばず、防衛大学校学生の間でも海上や航空要員は人気であり、毎年少なくない防衛大学校学生が泣く泣く陸上要員に回されているのは確かである。




