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小原台の潮彩

 ここは、神奈川県横須賀市の小原台と呼ばれる地域である。この物語の舞台である防衛大学校(英名ナショナル・ディフェンス・アカデミー)は、前身の保安大学校から、その歴史は始まる。

 1952年(昭和27年)8月に設置が決まり、横須賀市久里浜の仮校舎に一期生が入校したのが、1953年(昭和28年)4月の事である。当時の首相吉田茂の強い意向を受けて保安大学校は、誕生した。吉田茂はこの様な台詞を残している。

 「将来の国家建設は、まず戦後の若手幹部を養成し充足しなければ本物にならない。」

 そして、こうまとめている。

 「良識のある幹部が必要で、独善的な一方に偏した人物を養成するな。」

 これは、恐らく先の第二次世界大戦の反省をかんがみての事であろう。久里浜の仮設校舎は、旧海軍通信学校の跡地であり、とても大学校とは呼べない御粗末な環境と建物である。

 そこで直ぐに新校舎を設置する運びとなる。候補地の選定条件として、4つの条件が上げられる事に成った。

 まず①点目が良い教授を迎える為に東京から2時間以内の距離である事。

 ②点目が学生の教育環境として、風向雄大かつ明媚な事。

 ③点目として、海上要員教育の為海洋に近接している事。

 ④点目として、用地の入手が容易な事。

 これ等の条件を考慮して上げられた候補地が、静岡県清水の旧高等商船学校跡地や、東京湾の新埋め立て地や、千葉県の浦安・行徳の埋め立て地等が、検討されたがいずれの候補地も一長一短であった。横須賀市武山の旧海軍海兵団跡地(キャンプ・マックギル)が有力な候補地となるも、当時は米国海兵隊が駐屯しており、かつ朝鮮戦争末期と言う御時世でもあり、早期返還は難しかった。

 かくして、その様な経緯で横須賀市小原台に白羽の矢が立った。小原台は、三浦半島の東南に位置する観音崎の一角を占める海抜85メートルの、平坦な大地である。東京湾の入り口を占める軍事的な要地で、明治中期以降は東京湾要塞として、一般人の立ち入りが厳しく制限された。

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