間違いだらけの婚約破棄 ~違います殿下 そうではありません~
「フィオーラ、そなたとの婚約は今この時をもって破棄する」
卒業式を明日に迎えた前夜祭で、主催者であるショーン王太子が壇上で突如宣言した。
名を呼ばれたフィオーラが壇上を見上げると、第一王子であるショーン王太子とその側近達が並び立っていた。法務局局長の一人息子ロジャー、軍務局局長の第一子ティモシー、財務局副長の第三子ダニエル。三人の側近以外にも、国教でもあり大陸中に信徒を持つジョーズ教大司教の孫ピアース。そして家格こそ彼らには劣るが、男爵家令嬢のシルビアと学園で注目を浴びる者達である。
フィオーラの周りにいた者達は一歩下がり舞台までの道をつくる。フィオーラはショーンの真意を確かめるべく彼らの元へと向かう。慕っているショーンが自分に良い感情を持っていないことは明らかである。不安で脚を震わせながらショーンの元へと。
「殿下、これは一体どういうことでしょうか?」
フィオーラは王子の宣言が信じられず、不安を隠しきれない僅かに震える声で王子に尋ねる。
「そなたがこのシルビアに、私の婚約者として公爵令嬢として相応しくない行いをしていたことは許し難く、王族に迎えるに値しないと判断した。これよりそなたの罪を明らかにし罰してくれよう」
ショーン達はフィオーラの震える声を聞き、考えてきたシナリオ以上の状況に高揚感と嗜虐感を覚える。
「お待ちください、殿下」
「今更弁明など遅い」
ショーンはフィオーラの縋るような声、眼差し、姿に愉悦を感じていた。
「違います殿下。そうではありません」
しかしフィオーラからはショーン達が考えもしていなかった言葉が発せられた。
「司法局を通さず処罰を決定出来るのは国王のみです。殿下の行いは越権行為に当たります。良くて継承権剥奪、場合によっては幽閉もあり得ます」
自分たちの正義が絶対と考えてきた彼らはフィオーラの言葉を聞き現実を見直す。ショーンは自らの地位が危うくなることに不安を感じる。ロジャー、ティモシー、ダニエルとシルビアの四人はその比ではない。「王太子ですら重罰なら自分たちは?」と顔色すら変わってしまっていた。四人がショーンに何やら囁く。それを受けてショーンは改めてフィオーラを断罪する。
「これよりそなたの罪を述べてくれる。己の愚かの行為を知り悔い改めよ。ダニエル」
名を呼ばれたダニエルは数歩進み、腰に下げていた巻物を取り出す。高く掲げ巻物を広げると声高らかに訴状を読み上げた。
「これはフィオーラ嬢が我らが所属する生徒会に入れないことを妬み、最も身分の低いシルビア嬢を害した罪を糾弾するための場である」
「お待ちください殿下」
「今更焦っても遅い。これよりそなたの罪を明らかにしてくれる」
「違います殿下。そうではありません。“生徒会”とはなんでしょう?殿下達の集いを“生徒会”と称していることは存じておりますが、“生徒会”とは何をする集まりなのでしょうか?」
ショーン達が呆けた顔を晒す。何故そんなことも知らないのかと。一早く正気に戻ったロジャーが代表とばかりに前に出て説明する。
「“生徒会”とは学園に通う全生徒がより良い学園生活を送れるよう運営する組織です」
公爵令嬢ともあろう方がそのようなことも知らないのかとロジャーはフィオーラに侮蔑の視線を送る。
しかしフィオーラは冷たい眼差しでロジャーに反論する。
「学園の運営は国家によるものです。権限のない未成年である学生が行うものではありません。学生は学業に専念するものです。要望や不備があれば教師や寮監に申し立てるものです」
自分たちだけの決め事が他者に通じず、ロジャーは黙り込んでしまう。他の者達も同様に言葉を返せず、壇上で立ち尽くしてしまった。
いつまで経ってもショーン達から詳しい説明がなされないことでフィオーラが思いつきを口にする。
「もしかして、殿下達が午後に行っている狩りや遊戯などのことでしょうか?」
助け船が出たとばかりにショーンはフィオーラの言葉に乗りかかる。
「そう、その通りだ。我々は学生の者達が有意義に過ごせるよう、そのような催しを行ってきた」
「確かに殿下達がそういったことに興じておりましたことは知っていますが、他の学生には負担が大きいのではないでしょうか?」
フィオーラの言葉の意味がわからず、ショーンはこの場の立ち位置を忘れ、素直に問いかけてしまう。
「どういうことだ?」
「殿下は大変優秀ですので大抵のことはすぐ身につけられますが、多くの者はそうではございません。何度も繰り返し苦労の末に身につけていくものです。皆は殿下のように優秀ではないのですよ」
予想外にフィオーラから褒められたことにショーンは機嫌を良くする。
「そうか。私は優秀なのか」
「はい。殿下は特別です」
何故か二人の間に甘い空気が流れ始める。その様子に焦りを感じたシルビアはフィオーラの言葉に照れた様子を見せるショーンに近づき甘い声で名前を囁き、ショーンの意識を取り戻す。危うく自分の役割を忘れかけたショーンは先ほどのことを全てなかったようにことを進め始める。ダニエルは殿下の指示を受け、フィオーラへの訴状を読み上げる。
「一つ。フィオーラ嬢はシルビア嬢の申し出を一切無視し、友好の場に誘うことをしなかった」
聞いていた大勢の生徒が驚愕する。これまでの彼らの言い分、やり取りなどすでに呆れるほどであったが、これほどの些事で糾弾しようとしていることに。
しかし心からショーンを慕うフィオーラは必死で弁明する。
「違います殿下。そうではありません」
「知らない、忘れたとは言わせぬぞ。一度だけならまだしも、三度も無視するとは嫌がらせにも程がある」
「はい。しっかり覚えております。最初は他の公爵家の方々とのお茶会でした。殿下であれば、他国との会合に男爵家令息を招くようなもの。そのような行為こそ嫌がらせと判断した次第です」
自らを例に出された至極まっとうな反論にショーンはたじろぐ。更にフィオーラの言葉には「男爵家の者をそのような場に連れて行くことは、自分は男爵家と同等である」と表してしまうという意味も込められている。ショーンは言葉に詰まってしまい、二の句が継げないでいた。他の側近達も同様である。これを否定しては「我々は王家と同等」と宣言していることになってしまう。しかしシルビアは違った。自分たちが不利と感じ、この流れを無視し話を強引に変えてきた。
「二度目の時は私のように家格の低い者達と会合を開いていたではないですか。何故私の参加を認めていただけなかったのですか」
シルビアの言葉に気勢を削がれていた男達に生気が戻る。
「フィオーラよ。やはりそなたはシルビア個人に対して悪しき感情を抱いているようだな」
王子の侮蔑するような眼差しを受け、フィオーラは必死に弁明する。
「違います殿下。そうではありません」
「様々な家格の者を集っていたにもかかわらず、シルビアだけを認めなかったのであろう」
「はい。認めなかったのはシルビアだけです。あの会合は私の庇護を求める者達とのものでしたので。彼女らは身分が低い故弱い立場にあります。しかし彼女らはとても素晴らしい能力を持っています。故に彼女らを庇護することは、私や当家の為にもなると思い会合を開きました。シルビアを庇護する利はありませんでしたので認めませんでした。またそのような会合故、自ら参加を希望する者は他におりませんでした」
沈黙が会場を包み込んだ。招待状も持たずに無関係な場に入り込もうとしていたのだ。非難される者がどちらであるのか壇上の者達にもわかったのだろう。身動きすら取れず目が泳いでしまっていた。それでもシルビアだけは果敢にフィオーラに立ち向かう。
「私も身分が低い男爵家です。なぜ私はフィオーラ様の庇護をいただけないのですか?」
ショーン達ですらシルビアの言い分に驚きの表情を浮かべてしまうが、始めてしまった以上後には引けない。シルビアの勢いに乗りフィオーラに詰め寄る。
フィオーラはショーン達の言い分に愕然とする。
「そんな。王族であるショーン殿下の庇護をいただいておりますのに、私の庇護など不要でしょうに」
事実、シルビアは男爵家という身分でありながら身分以上の行為を行っていた。ショーン王子のお気に入りということで、誰もが関与しようとしなかった。もちろんシルビアを通じて王族と関わろうと考えた者もいたが、彼女の性格がそれを許さなかった。
周囲の者達が冷たい視線をシルビアに向ける。これにはシルビアもたじろぎ慌てて話を変える。
「それでしたら三度目はどうなのですか?私はフィオーラ様と仲良くなりたくてプライベートでのお茶会を望みましたのに」
悲しげに目を閉じ、声を震わせる。普段であればシルビアの痛ましい姿に庇護欲をかき立てられるだろう。しかしこれまでの流れでシルビアの態度が演技であることは誰の目にも明らかであった。一人を除いて。
「黙って聞いておれば調子に乗りおって。そなたがシルビアに嫌がらせをしていたのは明白。わけのわからぬ言い訳などするでない」
これまでショーンの後ろに控えていた護衛のティモシーが声を荒げる。その姿に誰もが唖然とする。ショーン達ですら。この状況でまだシルビアの言い分が通ると思っているのかと。
さすがにマズいと思いショーン達はティモシーを止めようとするがフィオーラの言葉が一歩先を行った。
「ティモシー様。貴族たる者がその様に声を荒げるのは下品ですよ。グレン家の名に傷がついてしまいます」
フィオーラはティモシーのコンプレックスをつき激昂させる。ティモシーは顔を紅潮させ、壇上から飛び降りフィオーラの元に走り寄り大きく手を振り上げる。しかし振り上げた手がフィオーラに届くことはなかった。後ろに控えていたフィオーラの護衛二人がティモシーを遮り主人を守る。
フィオーラは自らがつくり出したこの状況に怯えた声でショーンに訴える。
「殿下、やめさせてください」
フィオーラが暴力に怯える様を見てショーンはこれまでの状況が一変し、立場が逆転したと強気に出る。
「これはそなた自身が招いた状況であろう。己の失態は自身で責任を取れ」
事態はフィオーラの思う様に進んでいく。
「違います殿下。そうではありません。護衛の身でありながら、感情に身を任せ、主人のお側を離れ殿下の身を危険に晒すこの者を護衛の任から辞めさせてください」
この言葉を聞いてもティモシーは激昂に駆られフィオーラを殴り倒そうと護衛達ともみ合っている。
「殿下。ティモシー様は殿下の身の安全より、自身の感情を優先させているのです。ご自身の身を大切になさってください」
目の前で繰り広げられている光景を見て、ショーンもフィオーラの言い分を理解し納得せざるを得なかった。この場にはティモシーだけを護衛として連れて来ていた。護衛の役目は敵の排除ではない。主人の身を守ることだ。もし現在ショーンを害しようとする者がいたら絶好の機会であろう。ショーンは主人としてティモシーに戻るよう声をかける。しかし声が聞こえていないのか状況は変わらない。再度大声で名を呼ぶことでようやくティモシーが反応し引いていく。
そして壇上に上がろうとするティモシーにショーンが問い詰める。
「そなた、護衛の身でありながら何故私の側を離れた?」
ティモシーは何故主人から冷たい目で見られているのか、問い詰められているのか理解が出来なかった。そして出てきた言葉は子供じみたものであった。
「フィオーラ様が己の立場をわきまえず、私を侮辱したからです」
ショーンはティモシーの言葉から、護衛という任の役割と重さを理解させる必要があると判断した。同年代にティモシー程の屈強な男はおらず、失うには惜しい人材である。
「ティモシー。今一度護衛の役目を見直してほしい。グレン家当主には私からもお願いしておく」
自分の置かれた状況がわからないまま事態が進んでいく事にティモシーは焦り始める。何故俺は殿下に叱責されているのかと。
このまま先ほどの騒乱が終わるのかと誰もが思ったが、フィオーラは追及の手を緩めない。
「殿下それではいけません。その者は殿下の命を危険に晒したのです。明日の卒業式をもって私達は成人します。18年も自身の感情を抑えることが出来なかった者が僅か一日で出来るようになるとは思えません。ティモシー様を殿下の護衛につけた国王とグレン家の問題でもあります。保護者の判断に委ねるべき案件です」
ショーンはフィオーラの言い分に歯を食い縛り考える。長い間側近として、友人として近くにいたティモシーを切ることが出来るのか。しかし仮に国王の護衛が同様のことをしたら私はその者を許せないだろうとも。ショーンの悲痛な顔にティモシーは今までにない怯える顔を見せていた。
「ティモシー。今回の件は父である国王に報告致す。判断を待て」
ティモシーの顔が絶望に変わる。誰もが同情はするが自業自得であることは否めない。そんな中フィオーラだけがショーンの決定に異を唱えた。
「殿下、それではいけません。この場合は国王とグレン家当主、そしてティモシー様からグレン家への報告用として三つ書状をしたためるべきです。人によって報告内容や捉え方に違いがあっては問題が大きくなりかねません」
フィオーラの正しくもティモシーの立場を悪化させる言葉にティモシーが再び激昂する。先ほどと違い殺意まで滲ませている。主人の身を守るべく護衛二人が立ちはだかる。ティモシーは突進の勢いのまま護衛ごとフィオーラにぶつかろうとするが護衛は正しく主人を守る。突進を押しとどめるのではなく、転ばされティモシーは押さえつけられていた。暴れ振りほどこうとするが、二人がかりではそれも叶わない。わめき散らす中、手と脚を拘束されてしまう。
誰もが唖然として事態を見ている中、フィオーラは慣れたように指示を飛ばす。
「警備兵、ティモシー様がお帰りです。家に着かれるまで護衛なさい。殿下には護衛を二人つけるように。よろしいですね」
警備兵が動き出し、騒乱は急速に収まっていく。目の前で一人の人生が終わったことに誰もが理解が追いつかないでいた。そして何事もなかったように場が元に整えられた。
「それではダニエル、お次をどうぞ」
場を完全にフィオーラが支配していた。名指しされたダニエルは気圧されてしまっている。いつまで経っても訴状を読み上げることが出来ずにいた。そんな姿にシルビアは苛立ちを露わにしフィオーラに食ってかかる。
「フィオーラ様は私のノートを盗みました」
「シルビアの申していることは事実か?」
先ほどまでとは違い、決めつけるようなものではなくショーンの口調は探るようなものに変わっていた。しかしフィオーラにとってはショーンに疑われること自体悲しく恥ずべきこと。必死に己の無実を訴える。
「違います殿下。そうではありません」
「嘘です。私見ました。フィオーラ様が私のノートを手に取り去って行く姿を。偶然通りかかったタチアナ様がフィオーラ様とすれ違っていました」
これこそがショーン達に断罪を行う決心をさせたものであった。自分たちだけではない、第三者の証言が得られる。フィオーラのトレンチ家とは縁のない令嬢であったことからも、公爵家の意向により偽証されることはないと。これによりフィオーラを断罪し正義を執行出来ると。
そのことを思い出したショーン達に再び生気が宿る。そして幼い頃より父の仕事を見てきたロジャーが裁判官気取りで場を仕切り出す。
「タチアナ。証人として前に出てください」
突如名指しで呼ばれたタチアナは混乱と恐怖で震えてしまっていた。自分の指示に従わないタチアナにロジャーは苛立ちを募らせる。ここまで全く思い通りに事が進んでおらず、自分の思い通りに誰も動かないことに怒りすら感じていた。
「もう良い。ダニエル、証人を舞台前まで連れて来なさい」
側近の中で一番立場が弱いダニエルがロジャーの命を受け、渋々ながらも嫌がるタチアナを無理矢理連れてくる。タチアナは恐怖のあまり立っていることが出来ず座り込んでしまった。貴族としては眉をひそめるものではあるが、タチアナに非難の目を向ける者はいなかった。むしろそれはロジャーに向けられている。
「タチアナ。貴女はフィオーラ様がシルビアのノートを持ち去っている所に出くわしましたね?」
周りが自分を見ている目に気づかないまま、ロジャーは裁判官の如く振る舞う。
「大丈夫ですよ。貴女の身は私達が保障します。勇気を持って真実を話してください」
タチアナは先ほどの自分に対するロジャーの態度が急変したことに違う恐怖を感じていた。このような人の言うことを聞いてしまって良いのだろうか、私を騙して利用しようとしているのではないだろうかと。
いつまで経っても証言しようとしないタチアナにロジャーは豹変し怒りをぶつける。
「さっさと証言しないか。ハイかイイエの簡単な問いではないですか。何を躊躇うことがありますか。正義を実行しなさい。それから偽証は犯罪ですから嘘はつかないように」
ロジャーの独善的な言動にタチアナは恐怖を募らせる。証言することが本当に正しいことなのかわからなくなりフィオーラの反応を窺う。フィオーラはタチアナの視線を受け、優しい笑みを浮かべ僅かに頷く。
「はい。私、マスターソン公爵家の家紋が入ったノートをフィオーラ様が持っているところに出くわしました」
フィオーラの後押しを得て、声を震わせながらもタチアナは勇気を奮い証言する。
ついに自分の思い通りに事が運んだロジャーは歪んだ笑みを隠すことなく裁判ごっこを続ける。
「皆さん。フィオーラ様がシルビアのノートを盗んだことが証言されました。フィオーラ様、何か反論はありますでしょうか?」
ロジャーは歪んだ笑みを浮かべ、フィオーラを嘲笑うかのように問いかける。途中予想外の展開に煮え湯を飲まされたが正義は正しく執行されたとロジャーは恍惚感に浸る。
しかしフィオーラにロジャーの言葉は届かない。フィオーラが見ている者はあくまでショーンのみである。
「違います殿下。そうではありません」
またしても同じ展開に不安と少しの恐怖を感じショーンは慎重に言葉を発する。
「フィオーラよ、何が違うのか?」
「はい。私は空き教室に残されていたノートを拾っただけです」
「嘘です。ノートの中には私の名前が書いてありました。私の物とわかって持ち去った筈です」
「シルビアはこのように申しているどうなのか?」
ショーンのこれまでと違うフィオーラへの態度にロジャーとシルビアは怒りの目を向ける。罪を糾弾するのではないのか、私のことを信じないのかと。ショーン側には証人がおりフィオーラにはいない。こちらが真実でフィオーラが嘘をついていることは明らかではないかと。そして今更取り繕うことなど出来ないだろうとフィオーラの返答を待つ。フィオーラの言葉は二人の望んだものではなかった。
「はい。マスターソン家の家紋が表紙にありましたので、ヴィーダ様にお渡ししました」
フィオーラの言葉をロジャーがすぐさま否定する。
「嘘です。フィオーラ様、偽証は犯罪です。すぐに訂正しなさい」
ロジャーの公平性を欠いた裁判官っぷりにショーンが顔をしかめる。
「ロジャー、ヴィーダに話を聞けば済むことだ。落ち着くように」
ショーンの言葉を受け、自身の醜態に気づき慌てて取り繕う。髪を手で整え数回ゆっくり深呼吸を繰り返す。落ち着きを取り戻したロジャーは裁判ごっこを再開する。
「ヴィーダ様、証人として前へ」
すでに滑稽となったこの場を、失笑を隠そうともせずヴィーダ・マスターソンが歩み出る。
「それで私に何を聞きたいのかな?裁判官殿」
これまでのやり取りで失態を晒し続けるロジャーに、ヴィーダは侮蔑を込めて問いかける。ヴィーダの言葉は父の後を継いで法務局局長を目指すロジャーにとって許し難いものであった。ロジャーはヴィーダを悪と見なし正義を振りかざす。
「証人は必要ないことを話さないように。聞かれたこと以外は口を噤んでいなさい」
ロジャーの言葉に侮蔑の笑みを更に強くしたヴィーダにロジャーは怒りを募らせていく。目を見開き歯を食い縛り怒りの表情をそのまま露わにする。すでに貴族としての姿は微塵も見ることが出来なかった。主人のショーンもいつもの高飛車なロジャーとはかけ離れた姿にどう声をかけるべきか戸惑っていた。
「証人、ヴィーダ様。貴女がフィオーラ様からシルビアのノートを受け取ったというのは嘘ですね?」
「フィオーラ様の言う通り、受け取りましたよ」
「ヴィーダ様、フィオーラ様を庇うことは貴女も共犯となりますよ。真実をお話しください」
フィオーラがシルビアのノートを盗んだことはロジャーにとって真実であり、それ以外は正義ではなく悪であった。ヴィーダが何度も受け取ったことを証言しても「嘘をつくな」「真実を語れ」「偽証は罪だ」とロジャーは繰り返し続けた。そして今は叫び続け疲れ果てたロジャーの荒い呼吸だけが聞こえている。誰もが、からかっていたヴィーダも、仲間のシルビアもショーンですらロジャーを異様な者として見ていた。
誰もが話すことも動くことも出来ない中、フィオーラが手を叩き注目を集める。意識が朦朧としていたロジャーも睨みつけるようにフィオーラに顔を向ける。
「それで、ロジャー様は私が盗みましたと言えば満足なのでしょうか?」
フィオーラの言葉にロジャーは打って変わり満面の笑みを浮かべる。
「ショーン殿下、シルビア。フィオーラが罪を認めました。やりました。やりました。ついにやりました。正義はなされました」
目的を達成した満足感に満たされロジャーは意識を失い倒れる。あまりの出来事に誰も動くことが出来ない。最も近くにいたショーン達ですら手を伸ばすことさえ出来なかった。ロジャーの名前を呼ぶことすら。
「大変です。ロジャー様が気を失われてしまいました。これでは裁判が続けられませんね。せっかくヴィーダ様が証言してくださったのに、まだ私の無実が証明されないなんて。どなたか代わりを務めていただけませんか?」
フィオーラがダニエルに顔を向けて話しかける。ロジャーの様になりなさいとばかりに。恐怖のあまりダニエルは腰を抜かし床に倒れ込む。その様子にショーンは慌てて間に入る。
「フィオーラよ。この件はこちらの間違いであったようだ。済まぬ。虫の良い話ではあるが、これで終わりにしてくれないか?」
最近聞くことが出来なかったショーンのおねだりにフィオーラは上機嫌になる。
「殿下がそうおっしゃるなら仕方ありませんね。それで次は何でしょう?」
フィオーラのイメージとは違う拗ねたような可愛らしい態度に誰もが驚く。まだ続くのかと。
フィオーラが催促するようにダニエルに笑みを浮かべる。呆然としていたダニエルがフィオーラが自分を見ていることに気づき後ずさろうとするが体に力が入らない。フィオーラは静かに微笑み続ける。ダニエルはどうしたら良いのかわからず、フィオーラの視線から目を背けることも出来ずにいた。それは、実際は数秒であったのだろうが周りの者には何分もの、ダニエルには永遠とも思える時間であった。やがて焦れたようにフィオーラが口だけを動かした。それを見たダニエルは意識を手放し地獄の様な状況から逃げ出した。
「どういたしましょう。読み上げてくださったダニエルも倒れてしまいましたね」
フィオーラが途方に暮れる中、これまで舞台でも見るように悠然と構えていたピアースが動き、ダニエルの脇に転がる訴状を拾い上げた。
「フィオーラ様、私が代わりに読み上げましょう」
味方と思っていたピアースの行動にショーンとシルビアが驚愕の表情を向ける。余計なことをするなと止めたいが、ピアースはこの国の者ではない。王太子であるショーンであっても命令することは出来ない。止めさせようにも明らかにこの状況を楽しんでいる。ショーンは強く睨むがピアースは愉快そうに笑みを浮かべるだけであった。
「はい。それではピアース様お願い致します」
「一つ。フィオーラ嬢はシルビア嬢の部屋に侵入してドレスを切り刻んだ」
ピアースがあり得ない罪を読み上げる。
この件に関しては完全に冤罪である。二つめのノートを盗んだことが事実であり、必ず罪に問うことが出来ると調子に乗ったショーン達が付け加えたものである。ノートの件が事実であったら、もしかしてと疑わせ冤罪をなすりつけることも出来たであろう。しかしショーン側の訴えがいずれも的外れなものばかりの今、僅かに疑う者さえいなかった。それでもフィオーラはショーンに僅かな疑いさえ抱いて欲しくなく、自らの無実を証明していく。
「違います殿下。私はそのようなことしておりません」
フィオーラは必死にショーンに訴えかけるが、無実であることは誰もがわかっていた。早く止めてくださいとばかりに会場の者の視線がショーンに集まる。その視線を受けショーンがフィオーラを止めようとするが邪魔が入る。
「本当でしょうか?貴女はご自分で、もしくは誰かを使ってシルビアの部屋に侵入した。そしてショーン殿下の寵愛を受けるシルビアを妬み、ドレスを切り刻んだのではないのですか?」
ピアースが打ち合わせていた台詞をフィオーラに投げかける。
これまで公爵令嬢として相応しい表情、仕草、たたずまいを見せていたフィオーラだが、ピアースの言葉に一瞬シルビアに殺意の籠もった目を向けた。それは受けたシルビアしか気づくことが出来ない一瞬の強烈なものであった。そしてシルビアは次は自分の番であることを知る。
「ピアース様、シルビアの寮はマスターソン公爵家縁の者が入る寮です。ヴィーダ様は少々苛烈な方ですので、私と感性が違いまして交流はそれ程ありません。ですから私が秘かに寮に忍び込むことは出来ません。そうですわね、ヴィーダ様」
名指しされたヴィーダは僅かに後ずさりする。半時ほど前であったらロジャーの時のように楽しんでこの場をかき回していたであろう。ただ、一言間違えただけで破滅へと追い込まれかねない貴族の恐ろしさを目の前で見せられた今、遊び半分でいい加減なことを言うことが出来なかった。相手が恐ろしすぎる。
「ヴィーダ様?」
フィオーラが不思議がるように小首をかしげる。
他愛もない動作であったが、ヴィーダは喉元に剣先を突きつけられた様な錯覚を受ける。心弱い令嬢であったら気を失っていたのかもしれない。しかし同じ公爵令嬢としての意地がヴィーダの脚を前に進ませた。
「フィオーラ様の仰るとおりです。フィオーラ様はその身分故お一人で出歩くことはないでしょう。フィオーラ様達が寮に近づけば必ず誰かが気づきます。フィオーラ様が寮に無断で入ることは出来ません」
「確かにフィオーラ様がお一人で他寮に忍び込む姿は想像出来ませんね」
戯けるようにピアースがドレスの件は冤罪であるとまとめていく。フィオーラも冤罪を晴らした喜びで微笑んでいるように見えた。おそらくここまでがフィオーラが描いたヴィーダの出番であったのだろう。しかしヴィーダにはフィオーラの予定にはない、やらなければならないことが一つあった。例えフィオーラの反感を買おうとも。
「ピアース様、フィオーラ様、少々お時間を頂けないでしょうか」
思っていなかったヴィーダの動きに訝しむが、二人は許可を出す。
「シルビアの部屋が荒らされたことについて私は報告を受けておりません。本来であるならば寮をまとめる私なり寮監に報告、相談すべき案件です。ただ、脅されていたことにより打ち明けることが出来なかったということも推察出来ます。いずれにせよ寮内で部屋が荒らされたことは事実であり、放っておくことは出来ません。ここまで大事になってしまえば、シルビアに黙っておくようにと脅していたとしても意味がなくなりました。この事件がシルビア個人を狙ったものなのか無差別なのか、単発なのか継続するのか、他にも被害があるのか否か、我が寮は早急に戻り調査を始めたいのですが失礼してもよろしいでしょうか?」
ピアースがさも当然と了承するのに対して、フィオーラは考える素振りを見せる。フィオーラの顔を真っ直ぐ見つめヴィーダは返答を待つ。
「そうですね。仕方ありませんね」
フィオーラの了承にヴィーダは胸をなで下ろす。
「ピアース様、フィオーラ様ありがとうございます。それでは私達はこれで失礼致します。シルビア、そなたには詳しく被害状況を聞かせてもらう。付いてきなさい」
絶望に沈んでいたシルビアの顔が困惑に変わる。立ち上がって良いのか理解が追いつかずに辺りを見回すシルビアに「早くしなさい」とヴィーダの叱咤が飛ぶ。シルビアは慌てて立ち上がりヴィーダ達を追いかけていく。フィオーラの視線が届かない所へと。
シルビアの姿が見えなくなるまで残念そうに見ていたフィオーラがショーンに振り向く。
「ショーン殿下、これで私の無実は信じていただけたでしょうか?」
ショーンはフィオーラの言葉を受け立ち上がり、ただ一言「あぁ」とだけ答えた。それでもフィオーラは幸せそうに微笑んでいた。
これでようやく全てが終わったと皆が息を吐き、ある者は神に祈りを捧げ始めたとき最後の愚か者が声を上げた。
「それにしても、卒業式前日に前夜祭があると聞き参加しましたが、このようなおもしろい余興を見せていただけるとは思ってもいませんでした」
ピアースの皮肉を込めた発言にショーンはいたたまれなくなり、己の不甲斐なさに俯き唇を噛む。反論の余地さえ見つけられないほど己の愚かさを自ら表してしまったことを、今更ながらショーンは悔やみ始める。
「ジョーズ聖教国への良い土産話が出来ました。国の者も喜んでくれるでしょう」
大陸中に教会と信徒を持つジョーズ教の影響は計り知れない。国や政治に直接関わることはないが、仮に彼らがこの国から撤退すれば、間違いなく国は荒れて立ち行かなくなってしまうだろう。留学してきて以降、一緒に過ごすことが多かったショーンはピアースのことを信仰者ではなく宗教家と評していた。その男の先の言葉である。自身だけではなく国家としての弱みを握られてしまっていた。もはや自身の命で失態を償うしかないのかと覚悟を決めかねていた。
「殿下、お顔の色が優れないようですが大丈夫ですか?」
フィオーラが壇上に残るショーンの顔を覗き声をかける。二人の姿を見てピアースは笑いながらショーンに話しかける。
「これほど一途に殿下を想っていらっしゃるフィオーラ様を断罪されようとは。誰が真の臣下か、その様なことも見抜けない未熟な者が将来王位に就くことが出来るのでしょうか?」
ピアースの言葉はショーンの出来たばかりの傷を更にえぐっていく。
「もうしばらくこちらの国に滞在する予定でしたが楽しみが増えました。とは言え、郷愁の念も深まります。もしかしたら帰ることも出来ず、別の国に派遣と言うこともあり得ますね」
言外に強請ってくるピアース。ショーンは己の恥に吐き気すら感じていた。
ショーンの急激な不調にフィオーラは心配そうに声をかける。
「ところでピアース様はいつ聖教国にお戻りになるのですか?」
フィオーラの意識が自分に向いたことにピアースは身構える。先ほどショーンの側近が二度と立ち上がることが出来なくなる様を見せられたのだ。僅かな油断で術中に嵌まってしまう恐れがある。早々に切り上げるべきとピアースは判断していた。ピアースは自身が天才でも秀才でもなく努力家でもないことを知っている。小狡い人間であることを。だからこそ引き際を間違えるわけにはいかなかった。
「さぁ、明日かもしれませんし、一年後かもしれません。私が決めることではありませんので。それでは今日はこの辺で失礼致しますね」
ピアースは壇上から降り出口へと歩き始める。出口をくぐればピアースの勝ちである。必要以上に化け物に付き合う必要はない。逃げられるときに逃げなければ勝てないのだから。
「そうですか。ピアース様は聖教国に戻ることが出来ると、本部に居場所があると勘違いなされているのですね」
フィオーラの言葉にピアースは足を止めてしまう。止まってはいけないと思いつつ。振り向いてはいけない、聞いてはいけないと思いつつ。しかしフィオーラの言葉はピアースの人生に大きく関わってくること、この綱渡りの状況を無事帰還する為に絶対必要であること故聞かずにはいられなかった。
「私は大司教の孫ですよ。将来は身の丈に合ったところでジョーズ教の為に務めていきたいと考えています」
フィオーラの言葉は気になるが、うかつな言葉は先の彼らのように破滅させられる。ピアースは慎重に言葉を繋ぐ。
「大司教は、私に見識を広めてくるよう言われました。その経験を以てジョーズ教で神に仕えていきたいと考えております」
「確かに見識を広めることは大切でありましょう。ピアース様は見識や了見が狭いようですから」
フィオーラのあからさまな挑発にピアースは眉をひそめる。挑発に乗ってしまっては身の破滅が待ち構えている。息を整え心を静める。
「そうですね。まだまだ未熟の身故、大司教のお役に立つ日はまだまだ先でしょう」
「いいえ、そうではありません。その年でこの国にいらっしゃるということは、本部に所属する可能性はないと言いたいのです」
ピアースはフィオーラの言葉が理解出来なかった。言葉の裏に何が隠されているのか。
「申し訳ありません。何を仰いたいのかわからないのですが」
「そのままの意味です。宗教と言っても、上の位に就くには個人の資質だけではなく支えてくれる人達が必要です。それにもかかわらず貴方は本部のある聖教国から離れたこの国にいらっしゃる。そして帰国の命も未だ来ていないご様子。本部で貴方の席はご用意されていないのではないですか?」
血の気が一気に引き、ピアースは立ちくらみを覚えた。倒れそうになる体を何とか踏ん張り思考を巡らせる。お爺さまはなんと言った?「視野を広めてきなさい」これじゃない。「お前には素質がある」これでもない。他には。他には。そしてピアースは記憶の底から求めていた言葉を見つけ出す。
「大司教はこちらに出発する際、私にこう仰いましたよ「いつか私の手足となって神に仕えて欲しい」と」
ピアースは勝ち誇った顔でフィオーラに向かう。お前の負けだと。私はお前の術中には嵌まらないと。逃げ切ってやると。
「そうなのですね。大陸中に信徒の多いジョーズ教の大司教でしたら、さぞかし長い手をお持ちでしょうね」
フィオーラの言葉にピアースはついに立っていられなくなり膝を折る。お爺さまの仰った手足の解釈は私が正しいのか、フィオーラが正しいのか。一度疑ってしまったピアースに答えを出すことは出来ない。知っているのは遠く離れたお爺さまのみ。今すぐ確かめることは出来ない。答えの出ない問題に悩み続けるピアースにフィオーラは解決策を与える。
「大司教に聞いてみてはいかがでしょう。ピアース様」
フィオーラの言葉を聞いたピアースは立ち上がり駆け出していった。脇目も振らず一心に。
「行ってしまわれましたね。明日の卒業式は来られるのでしょうか?卒業出来なければ成人として認められませんのに。大丈夫でしょうか?」
おそらくピアースは馬車なり馬なりを使い、これからジョーズ聖教国に向かうのだろう。卒業式に参加することなく。人生たった一度の成人の儀を受けることなく。
当初壇上にいた人物は殆どいなくなってしまい今はショーンのみである。先ほどは己の愚行とピアースの強請りに顔色を悪くしていたが、今は違う理由で顔色を悪くしていた。あまりの出来事の連続に会場から出ることさえ出来ずにいる者達も顔色悪く、精魂疲れ果ててしまっていた。
次は何が始まるのか。いつまでこの状況が続くのか。永遠にも続くと思われた時は鐘の音で進み始めた。
「もう終わりの時間なのですね。あっという間でしたね。それでは殿下、主催者として最後の挨拶をお願い致します」
ショーンはフィオーラに促され壇上の中央に立つ。
「皆、今日はご苦労であった。明日はいよいよ卒業式である。私達が成人する大事な日でもある。必ず参加するように。その為にも今日は早く寝て疲れをとるように。解散」
最後まで読んでいただきありがとうございます




