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悪役令嬢にスパイは向いてない  作者: 日下部聖


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29/46

悪役令嬢が重要任務を課されるまで 9

 *




 日も沈み、辺りは既に真っ暗だ。どうにも頼りない灯火の光以外何も見えず、人気のない廊下はしんと静まり返っている。寮で決められた夕食の時間もとうに終わり、寮生たちは皆始業式前日ということで早く寝ようとしているのか、寮全体が森閑としていた。

 ――女子寮一階。寮内にある図書室に行くための廊下。

 ほとんど使われていない廊下で、暗闇に怯えているのか、ゆっくりゆっくりと進む足音だけが響いている。


「ユリア様……一体どうしてこんなところにわたくしをお呼びになったたのかしら……」

 御用がある、とのことだったけれど。

 そう呟いて、その手が図書室の扉を開き、足が中に踏み入った――まさにその時。

 わたしは扉の影から飛び出した。

 そしてすっかり闇に慣れた目で彼女の姿を認めると、素早く足払いを掛け、その場に引き倒した。

「きゃあッ!?」

 もんどりうって彼女が床に倒れたのと同時、図書室の扉も音を立てて閉まる。

 わたしは彼女の両腕を背後で拘束すると、うつ伏せに倒れるその肩に膝を載せ、押さえつけるように体重をかけた。小さく悲鳴を上げ、動けなくなる彼女には、どうやら関節技は必要なさそうだ。

「い、嫌っ、何!? 賊なの!? 離して! 誰か、助け――」


「静かに」


 開いた口を素早く手で押さえる。薄暗がりの中、ンン、とくぐもった声が漏れるが、幸い図書室は普段あまり人が来ない場所だ。このくらいで問題あるまい。

 完全に動きを封じられているのに、身を捩って抵抗しようとする様子を見てフゥ、と息をつく。そしてスカートの下に忍ばせていた、小型のナイフをその細い首に当てた。

「動くな。こちらが許可するまで話すな。……それを破ればどうなるか、わからないほど貴女は愚かではありませんわね?」

「ンンッ……」

 恐怖で涙を流していた彼女――アイリーン・ノールは、声を聞き、ようやく自分を襲ったのが誰であるのかを理解したのだろう。目を見開いて硬直している。どうして――と、涙に濡れた瞳が雄弁に語っている。

 これが演技であるなら大したものだ。スパイとしての腕はわたしよりも遥かに上だろう。


「折角だから自己紹介しておきましょう。わたくしは……いや、わたしはユリア。憲兵総局情報部、防諜零課所属のエージェント」


「……ッ!」

 見開かれていた目が、さらに大きく丸くなる。

 この反応、やはり彼女は何も知らない令嬢ではない。ごく普通の貴族のお嬢様が、防諜零課の名を知っているはずがないからだ。

「どうして自分がこんな目に遭っているのか、わからないとは言わせない。……あなたのことは暫く泳がせるつもりでいたけど、事情が変わった。今まで何をしたのか、これから何をするつもりなのか――洗いざらい吐いてもらう」

「ンンーッ!」

「動くなって言っただろ」逃げようとしたのか、大きく身を捩ったアイリーンに、さらに体重をかける。「刃が当たって首が切れるよ」

「……ッ」

 そう耳元で冷たく囁くと、彼女は嘘のように静かになった。

 これならもう暴れないだろう。わたしは息を吐き出すと、噛ませていた猿轡を取ってやった。

 アイリーンは何度か咳き込むと、信じられないというようにこちらに視線だけを寄越した。

「ッハ、ゆ、ユリア様、あ、あなたは本当に零課の」

「余計なことは喋るな」

 短く命じると、真っ青な顔になったアイリーンはぐ、と口を閉ざした。自分の状況がよくわかっているようで何よりだ。

「アイリーン、あなたがディーヴァルドの手先であることはついさっき確信した。その上で問う――あなたが王立学園に潜入を命じられた、ヴェルキアナとの繋がりもあるっていうネズミなの?」

 ボスから齎された情報だと、潜り込んでいるネズミは王弟派貴族の手の者で、かつヴェルキアナの裏社会に伝手がある者、であるという話だった。

 だが――。


「どうなの。あなたがハインツ殿下を殺すの」


 わたしがグ、とナイフをやや強く首に押し付けると、アイリーンは「ヒッ」と悲鳴を漏らした。そしてすぐに、「違いますッ」と涙声で叫ぶ。

「わ、わたしはただ、お母様の命令で、王立学園では必ずとある方の命令に従えと言われただけで……命令されたことも、そんなに大きなことじゃなくて……! で、殿下のことを、殺す、なんて! そんなこと、できようはずがございません……!」

「それをはいそうですかと鵜呑みにしろと?」

「ほ、本当ですわ! 信じてください、ユリア様! わ、わたくし、突然お母様が変わって、怖くて……! そ、それまでは、ノール家は中立でしたのに……それなのに、突然、王弟派貴族の尖兵みたいになってっ」

 嫌、助けて、死にたくない――そう言って身を捩る彼女の目からは滂沱と涙が零れ落ちている。

(ふむ……?)

『とある方』とやらは零課本命のネズミだとすると――彼女の言い分は、自分は命じられたことをやらされただけであり、ヴェルキアナとのパイプを持つようなスパイではない、ということだろうか。

(まあ、それはそうかなとは思ってたけど)

 まずは足音。そして気配の消し方。彼女は、それら全てにおいて素人だ。だからこそ、逆にわたしは、彼女がディーヴァルドの手先であるということに気づくことすらできなかった。

 無論全てが演技であるという可能性は捨てられないが、何も知らされていないお嬢様を使っていただけ、と考えた方が自然だろう。

 それで、だ。彼女が利用されただけの蜥蜴の尻尾であるとするなら――。

「あなたの言う、とある方っていうのは誰のこと?」

「え……」

「正直にきちんと答えたら、貴女の罪も軽くしてあげられるかもしれない。そうだね、大逆及びそれに協力する行為は大罪――普通は極刑だけれど、死だけは免れることができるかも」

 司法取引をチラつかせれば、アイリーンがはく、と口を開け閉めした。

「……そんなことが、できるのですか」

「あなたの尋問を担当するのは憲兵総局情報部になるだろうけど、防諜零課はその虎の子。取り調べに口出しくらいはできるかもしれない」

「そう……なのですか……」

 完全に脱力した様子のアイリーンが、しかしゆるゆると首を振る。

「……でも、わたくし、本当に何も知らないのです。行動の指示は全部こっそり手紙で届くのですが、わたくしはそこに書かれていることを遂行するだけの駒で、その方がどなたかは存じませんの。何をしようとしているかも」

「確かなの?」

「ええ。嘘は言っておりませんわ」

 ……確かに、彼女の言葉通り、嘘をついているようには思えない。

「とりあえず、わかった。……じゃあ、あなたが今まで命じられてしてきたことを話して」

「それは……」アイリーンは、ほんの一瞬躊躇ったのち、意を決したように言った。「『ユリア様がシャルロットさんに嫌がらせをしている』、という嘘を、レオナルド様に伝えました」

「……は?」

 ということは、かつて彼の言っていた『情報提供者』はアイリーンだったということか。確かに彼女もレオナルドと同じクラス、彼と話す機会などいくらでもあったろう。

 しかし一体何故、ネズミはそんなことを。

 アイリーンはわたしの戸惑いを怒りととったのか、顔を俯けて言った。

「申し訳ございません、ユリア様……」

「いや、別に今さらそんなことを咎めやしないけど……。他は?」 

「あ、あと……化粧箱の小さなアクセサリーを盗め、と言われて。布に包んで指定の場所に置きました。盗んだものがどうなったかはわかりません」

「嘘と、私物の窃盗……それだけ? 他には何もないの?」

「はい、追って指示を待てと……。でも、それ以降その方からは音沙汰もございませんでしたわ」

 わたしはアイリーンの顔を見る。やはり、嘘をついているようには思えない。

 彼女がわたしの私物を盗めと命じられた理由は気になるが――それよりも、アイリーンに課された仕事が少なすぎるように思えることのほうが気になる。最後の仕事があってからしばらく音沙汰がないというのはどうしてなのだろう。

(もしかして、零課にノール伯爵家が怪しいと知られたから、それを警戒して?)

 だとすればわたしたちの追うネズミは、かなり慎重で、しかも相当耳が早いということになる。

 たらり、とこめかみから一筋、汗が伝った。どく、どく、意図せず心臓が強く脈打つ。緊張と恐怖で、アイリーンの腕を拘束する手が、少し震える。

 掴めないネズミの正体、そして近づくハインツ殿下の死と、クーデター。それから何より、


(とんでもない新学期になりそうね)


 ――創立記念パーティーが、もうすぐそこに迫ってきていた。

 


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