予感
ここは......どこだろうか......
辺り一面は真っ暗だった。だが、何故か自分の足元だけは少し明るい。どうやら目が見えないわけではなさそうだ。下を向いてみると白い床の上に立っていることが視界の隅に垂れてきた自分の短いくすんだ金色の毛とともに認識することができる。
他に何かないのか注意深く足元を観察したが、どうやら白い床以外に何も無いようだ。
ずっと下を向いていたせいか、今は立っているのだろうか、座っているのだろうか、体が地についているのだろうか、浮いているのだろうか、よく分からない感覚に私は襲われた。
......私? わたし......ワタシは......
なんだか頭がボーッとする。
だが、この感覚に覚えがある。
薬の過剰接触をしたときはだいたいこうなるのだ。
ならば対処方法は、と私は重く感じる口を開ける。
「わたしは......私の名は......エレナ。ただの孤児だから名前しかない......」
なんとか頭を働かせて現状把握のために自分の名前や簡単な身辺の話、所属を口頭で答えていき、自分の耳でしっかり聞き取ろうとする。
「歳は15で成人に......身体検査はスンデイル......
うぅっ......」
だが、途中で自分の声とは思えない鈍い声が耳に入り、同時に頭痛がするため、確認作業に時間が掛かった。
「えっと......魔力が常人より少ないが......所属する軍の小隊の隊長を務めて......」
そして、ゆっくりとだが自分の記憶状態に問題ないことを確認していった。
「まだ頭がボーッとするが......おおまかな記憶に問題はなさそうだな。
たしか今は......あれ......?」
その後、今更自分がどのようにしてここに来たのかを思い出そうとするが、そもそも今現在どこにいるのかを把握していなかったので復帰しかけた私の頭は再び混乱し始める。
「いや、そもそも今の状況が......
うっ......なんだ、この感覚は......」
だが、今の私には自分がどこにいてどうしてこのようなことになっているのか全く分からないのになぜか不安を感じていなかった。
「なんだか......」
なんだか、心地よくなってきたな。何も分からないというのに不思議だ。ここ最近は睡眠剤や精神安定剤を飲んでいないのだがそれ以上の心地よさや爽快感を感じる。
フワフワしたような感覚に目をつむり考えることを放棄し流れに身を任せウトウトとし始めていると、突然私の耳が聞き覚えのある声をとらえる。
「エ......ナ.......おね......ちゃ......」
この声は......確か......同じ小隊の隊員で......隊の末っ子みたいな......
しばらくボーッとしていたが、どこかで聞いたことのある声を聞いたおかげで私の意識は徐々に覚醒していき、目を開けながら声の主の名を発する。
「イザ......ベラ......?
......はっ! イザベラ!
イザベラか?! どこにいる?! イザベラ!! 返事をしろ、イザベラ!!!」
「おねえ......」
イザベラの名前が自分の口から出た瞬間、私のぼんやりとした思考は一気に覚醒した。
そして、どこから聞こえる声を頼りに聴覚強化を使用してまでイザベラの姿を探そうと私は急いで辺りを見渡す。
すると、私の立っていたらしい位置から左斜め前に濃い緑色の下級陸兵の軍服を着た薄紫色の長い髪を白い地面にぶち撒けたような状態で仰向けに倒れる私の小隊に所属する13歳の少女を発見した。
さっきまで何もなかったのに、まるで急に現れたようだ。なぜ急に現れたのか。そして何故この少女以外何も見えないのか。そんな諸々の状況に疑問を一切持たず私は急いで倒れている少女ことイザベラに駆け寄り抱き抱えて彼女を助けるため彼女の意識があるうちに事情を聞こうと話しかける。
「イザベラか?! しっかりしろ、何があった?!
......なっ。お前、左腕が......」
イザベラの上半身を起こしつつ彼女の状態を確認していた私は、彼女の左腕が肩から軍服の袖ごとなくなっていることと血がどこにも無いことに気付いた。
な、なんだ、これは、まるで左腕が切り取られたように消失したような。そ、そうだ、左腕はどこに?
軍人としてある程度の医術を身につけてきたが、身体の肩部分の切り口が黒い靄みたいなものでよく見えなくなっているイザベラの状態を見た私は彼女の身に何が起きているのか全く分からず得体の知れない恐怖で動けなくなりそうになった。だが、なんとか精神力を振り絞って耐え抜き彼女の左腕を探そうと周囲を見渡した。
そんな私に今度はいくつかの別の聞き覚えのある声が聞こえ始める。
「隊......長......」
「たい......ちょ......」
「たいちょー......サン......」
最も近くから聞こえてくる声の方へ顔を向けると、イザベラと同じく軍服に身を包み私の小隊に所属する短い白髪で13歳の少女エミリー、短い薄茶色の髪で14歳の少女ヴァネッサ、少し長い緑髪で14歳の少女サラーが全員仰向けに倒れていた。
イザベラを含めると私が最初にいた場所を中心に反時計回りに円を描くように並んでいることともう一人分空きがあることが分かるが、イザベラを一旦その場にゆっくり置いてから彼女達にそれぞれ近づいていった今の私にはそんなことよりも彼女達の状態が気になった。
イザベラと部位は違えど彼女と同じように、エミリーの左脚、ヴァネッサの右脚、サラーの右腕がなくなっていたのである。
「エミリー! ヴァネッサ! サラー!
......何が起きているんだ!!
一体何が!!」
状況が分からず混乱する私に更なる追い討ちのようにまたしても聞き覚えのある声が聞こえる。
「エレ......隊長......」
その声に私は無視することができず、声のした方へ顔を向けた。
すると、今まで空いていた場所に現れた胴体に大きな穴を開けた状態で倒れている、私の小隊の副隊長を務める長い桃色の髪で14歳の少女メリーナがあおむけに倒れつつ私の方へ顔を向けて何かを言おうとしている。
「隊長......申し......ござい......秘み......し......
ここ......逃げ......」
「メリーナ! しっかりしろ! くそっ、救急救命道具はどこにもないのか! そもそもここはどこなんだ! いや、そんなことより、早くみんなを治療しなければ。だが、どうやって......
誰か!! 誰かいないのか!! 誰か!!!」
メリーナの言葉が途切れ途切れのせいかはたまた私が混乱しているせいか、彼女の言うことを全く聞いていない私は彼女を抱き抱えながらとにかく皆を助けようと周囲を見渡した。そして、大きな傷を負った家族と同等に大事な隊員たち以外に何もないことを改めて理解した私は助けを呼んだ。
だが、誰かが反応するどころか人がいるような様子すら感じず、私はただ闇雲に大きな声で助けを呼んでいた。
すると、私の目の前に白衣のようなものを体格が分からないようにダボつかせて着ている人が立った状態で現れた。
顔付近が暗くてよく見えないため男か女か判断できないが、とにかく今は仲間達の救助が優先だと考えた私は彼又は彼女に助けを求める。
「すまない! そこの人。いきなりで図々しいが、助けてくれないか?
私にはこの状況がよく分からない。だが、このままじゃ私の大切な仲間達が死んでしまう。頼む! 私は無力だ......孤児達を救うために軍人になったのに彼等を救えず、さらには預かる隊員さえも守れないなんて......こんなこと......
お願いだ! 私にできることならなんだってする!! だからっ......彼女達を......助けてくれっ......」
徐々に悲痛さを増していく私の訴えが相手に届いたか分からなかったが、その人はコクンと頷くような素振りを見せた。
誰だか分からないが、とりあえずよかった、と私は得体のしれないその人の行動になぜか心から信頼をして安堵した。
そして、気がつくと私の仲間達はいなくなっていた。
一瞬の出来事だったので理解するのに時間がかかったが、私はその人が何かをやったのではないかと決めつけた。
見ず知らずの相手に助けを求め、その相手がただ頷いただけで全幅の信頼を寄せ、異変が起きるとさっきまで信頼をしていた相手によるものだと判断するのは、普通に考えればおかしなことである。
だが、そんな考えに至るどころか欠片も思うことなく、私は怒気を込め、場合によっては腰に下げた小型ナイフで斬りつけるつもりでその人に問い詰めるべく近づいてく。
「貴様!! 私の仲間達をどこにやった!! 答えろ!!!」
私が怒鳴りながら近づいていっても相手は微動だにしなかった。
私はその態度に不気味さを覚えることはなく、さらに怒りの感情を増やしていきながら胸倉でも掴んでやろうと思い、急いで相手に近づこうとする。
しかし、どんなに早歩きで近づこうとなかなか相手との距離が縮まらない。
おかしい、冷静ではないにしても目算を誤るはずがない、そうか、アイツは逃げているんだ、と私は明らかに間違ったことを考え、走って追いつこうとするが、全く距離は変わらなかった。
流石に、この状況が異常なことであると私は理解した。そのとたん、怒りの感情が静まっていき、代わりに恐怖の感情がわいてきた私はピタリと足を止めてしまう。
そして、遭遇してから一切の変化がなかった相手の様子を恐る恐る見ていると目があったような錯覚に私は陥った。
な、なんだ、コイツ......
なんで......私はコイツのことを知って――
すると突然、その人が男でも女でもそもそも人間かどうか怪しいような歪だが何故か聞き取れる声を発してきた。
「あぁ、エレナ......
やっとあえた......やっときみに......ぼくはそのために......※※※※※※※※※※※......」
人の形をしたナニカが両腕のようなモノを前に突き出すと、そこから黒いモヤとともに無数の黒い触手のようなものが出てきた。そして、それらが私へ向けて襲い掛かってくる。
「ああ、エレナ......エレナエレナエレナエレナエレナエレナエレナエレナエレナエレナエレナエレナエレナエレナエレナエレナエレナエレナエレナ――」
「うぁああぁあああああぁあああぁあああああああぁあああぁああああああぁああぁああああ!!!!!
あああぁあぁああああぁぁああぁぁぁぁあ!!!!!!」
〜〜〜
「うっ!! カハッ!!! ハァハァハァ......」
黒い何かに捕まり人のようなものに自分の体を弄られてその体を黒い靄に包み込まれたようなところで私は目が覚めて木製の寝台から飛び起きた。
「スゥハァ......スゥハァ......」
日はすでに昇っており左側の窓辺から光が差しているが、室温は高くなく適温であり、寝間着を着ていないにもかかわらず私は寝汗で袖のない肌着どころか全身がぐっしょりと濡れた状態だったらしく、身体の所々で汗が垂れている感覚がした。汗まみれによる不快感を感じることが無かったので、私は身体を拭く前にまずは息苦しさと激しい動悸を治そうとそれぞれ汗まみれのまま右手で喉を左手で胸あたりを押さえながら少し雑に深呼吸を何度もして呼吸を整えた。
「ここは、小隊部屋の、寝室......」
ある程度落ち着いてきたおかげか、私は周囲を見渡して自分のいる場所が小隊部屋の寝室であることと扉側の壁とその向かい側の壁にそれぞれ3列ずつ間隔を空けて寝台が並んでおり扉に一番近い寝台に誰もいないこと、自分がその寝台の向かい側の寝台で寝ていてさっきまで変な夢を見ていたことを認識した。
「ということはあれは......夢だった、のか......?」
最後の瞬間、自分がどうなったのか覚えていないが、なぜか忘れてはいけないような気がする。だが、あんな恐怖は思い出したくない。多分気のせいだろう。そうだそうに違いない。
そんなことを思いつつ私は急いで忘れるべく頭を振って記憶から消そうと躍起になる。
「なんだか妙に現実感のある変な夢を見た。それに、夢を見るのは、久しぶりのような気がするな。大規模作戦の決行日が近いから緊張しているのか?
だとしたら、らしくないな。こんなんでは隊員達を安心させることができない。
これでは、隊長失格だな......」
私は夢と現実の区別をはっきりつけるために周囲で寝ている他の隊員達を起こさないよう小声で独り言を喋った。
そして、口を動かしてゆっくり喋り、何かに遮られていない自分の声をしっかり聞くことで今自分が現実にいるということを改めて認識することができたので心が完全に落ち着いてきた。
落ち着いてからもしばらくは上体を起こしたままゆっくり呼吸をすることに集中していた。そして、気づいたころには身体中の寝汗がもう引いていた。
そのため、寝汗を大量に吸った白色の肌着の気持ち悪さを感じ始め、集中が途切れてふと左側の壁中央上部に掛けてある時計を見ると起床時刻の1時間前であることに気づいた。
さてどうしよう。完全に目が覚めてしまったな......隣の会議室に向かうか? いや、寝ている皆を起こしてしまう可能性があるから駄目だな。それに、昨日はいつも通りに就寝時間ぴったりに寝たのに昨日よりも疲れが......
しかたない、中途半端だがもう一度寝よう。意識は覚醒してしまったが軽く目を閉じるだけでも問題ないだろう。だがその前に肌着は着替えたほうが良いな。いやでも、着替えるためには一度布団から出ないといけないし、音を立てずに着替えるのは流石に難しい。それに布団から出るんだったらそのまま起きたほうが良いのでは? いっそのこと脱いだままで寝てしまおうか、いや、さすがにそれははしたないか......
と、色々と葛藤しながら私はとりあえず一旦寝台に寝転がろうとゆっくり上体を倒していったのだが、途中で何かが背中に当たり、肌着が吸った汗の冷たさを感じたので声を出さずに驚いた。そして、急いで静かに起き上がり、寝台から降りて掛布団をゆっくりめくって中を確認する。
「うみゅぅ......エレナお姉ちゃん寒いよぉ......布団返してぇ
むにゃ......それと頭を撫でて......今日イザベラね......とっても頑張ったんだから......」
そこには私の向かい側にある自分の寝台で寝ているはずの可愛らしい桃色の袖付き肌着を着たイザベラが気持ちよさそうに私の寝台の中心部分まで体を伸ばして寝言を言いながら眠っていた。よくよく見たら私の位置が中心から左に動かされていた。
いつの間に潜り込んでいたんだ、と私は心の中で呆れ、そしていつの間に私の寝る場所を奪ったんだ、と自分より年下の少女にやられたあまりの出来事に戦慄を覚えた。
寝台が可愛い末っ子のような隊員に奪われてしまったので、隊長として情けないと思いつつ私は寝台から降りて彼女に布団を被せ、癖のないサラサラとした前髪に軽く右手で触れ、そのまま右手で頭を優しく撫でてからしゃがんで寝台下から籠を引っ張り、そこに畳んで仕舞っていた軍服と新しい白色の肌着と銀色の認識票を取り出してなるべく静かにゆっくりと肌着を脱いで新しいものに着替え、ズボンをはいてから認識票を髪に引っ掛けないよう首にかけ、上着を羽織って、上着の5つの釦を下から順に留めていき、イザベラを起こさないように気を付けつつ寝台に腰かけて白色の靴下と黒色の半長靴を穿いて靴ひもを結び、再びゆっくり立ち上がって、時間潰しに隣の会議室へ向かうべく誰も起こさないよう木の床の上を音を立てずに注意を払って歩き、寝室を出ていこうとした。
途中、ふみゅうぅ、もっと褒めてぇ、という可愛らしくも情けない寝言が自分の寝台から聞こえてきたが私は吹き出さないよう気を引き締めつつ聞こえないフリをして扉を静かに開けて寝室を出た。