106.僕の玉座を空けてもらおうか
目が覚めると、僕の視界はニルスの髪に埋め尽くされていた。顔を動かすと、胸と首に激痛が走る。呻いた声に反応したニルスが、弾かれたように顔を上げた。
見開いた目が僕を見つめ、じわりと潤んでいく。瞬きした瞬間に僕が消えるとでも思ったか、そのまま涙を零した。一度も瞬きしない彼に、僕は何も言えない。巻き込みたくなくて、ニルスがいない日を狙って行動を起こした。そのバツの悪さが口を重くする。
「ご無事で、ようございました」
すっかり臣下としての口調で、ニルスは涙に濡れた顔で微笑んだ。その瞳が僕を責める色を浮かべる。わかってる、本当は叱りたいんだろう?
「悪かった」
叱られるために、わざと謝った。途端に彼の涙腺が崩壊したようで、震えながら手を握りしめる。髪に隠れた額に押し付けられた手が、強く握られて痛みを感じた。でも指摘せずに、その強さを受ける。
「殿下」
「我が君」
そっくりな2人の声に視線を動かせば、ニルスの後ろに控える双子の騎士がいた。寝不足らしく、目の下に隈が出ている。見習いとはいえ、忠誠を誓った主君の危機に訓練で離れたなんて……さぞ後悔させたと思う。
「ごめん」
素直に謝罪が口をついた。喉が声を絞り出すたび、ひどく痛む。僕は胸を剣で突かれたはず……。
「殿下は胸を突かれ、意識を失われたところで首を絞められておいででした。早く帰って、本当によかった」
虫の知らせだったという。母の声が聞こえ助けてくれたのだと口にするニルスに、気のせいだと言い切れなかった。そういえば、胸を剣で刺された僕がどうして生きているのか。
「これが……殿下のお命を守った時計です」
装飾が施された美しい金属の蓋は無惨に傷付けられ、懐中時計はそれでも音を刻んでいた。震える手で受け取り、開いた文字盤は……ヒビが入ったのに動いている。まだ、死んでいなかった。
これはマルグレッドの意思だ。僕を生かしてくれた。なら、僕がすべきことはひとつだ。彼女が己の命を賭して守った僕が、皇帝になること。至高の地位に就き、彼女の献身が無駄でなかったと示し、あんな悲劇を二度と起こさない。
「僕は、皇帝になる」
双子とニルスを前に口にした決意に、彼らはただ首を垂れた。反論はなく、無理だと諭す声もない。何があろうと従う、そう示した臣下に僕は命じた。
「着替えを用意しろ。それから……皇帝とその親族をすべて殺す」
兵を起こす準備は出来ている。色狂いの皇帝に娘を、妻を、姉妹を犯された貴族も味方につけた。皇族の享楽のための増税に苦しんだ帝国民は、僕の決断に従うだろう。
叛逆の時だ――折れた肋骨を布で固定し、長兄の指の痣が浮かぶ首をスカーフで覆った。皇族服に身を包んだ僕は先陣に立つ。人を殺すことへの恐怖や禁忌はなく、隣室に放置された皇太子の首を切り落とした。
「帝国を簒奪するぞ」
後宮を後回しにし、先に行政府や軍の指揮系統を押さえた。その間に逃げた皇族に追手をかけ、僕は皇帝が逃げ込んだ玉座の間に向かう。その右手に掴んだ皇太子の首を手土産に。
僕の玉座を空けてもらおうか。