第八十四話 己の存在意義
竜胆邸の居住区域の一つに、光流が戻ってきた。ここでは、光流が最も年下である。末っ子の帰りを待ちわびた姉や母のような存在の女達が光流の周りにわらわらと集まってきて、光流に声をかける。
「光流、お帰りなさい」
「いつも男を連れてきてくれて、ありがとうね」
「やっぱり影闘士がいると心強いわ」
耳障りで入るとなかなか消えない声、聲、コエ。香水やら化粧品やら、いろんなものが混ざった、不愉快な甘ったるい匂い。光流にとって、ここはとても居心地が悪かった。ずっとここにいたら、心も体も溶けて恐ろしい化け物になってしまうような気がする。だから、男をここに連れてくる、という名目で邸の外に頻繁に出るのだ。
ここでは眠ることも出来ず、彼女達が寝静まってから、邸を抜け出して近くの公園や森で眠る。その時が一番、自分が自由だと感じるのだ。男を連れ去るのも、本意ではない。あんな場所でも、自分にとって唯一の居場所だ。ここ以外の居場所を知らない自分は、こうすることでしか己の存在意義を見出すことが出来ないのだ。
真夜中になり、光流は竜胆邸をこっそりと抜け出した。邸の外に出るのと同時に、光流は深呼吸した。不愉快な甘ったるい匂いから解放され、息苦しさが消える。外はなんて空気が澄み切っているのだろう。
いつも思う。あの場所で自分だけが違うような気がする。それは最近ではなく、物心がついた時からずっとだ。色鮮やかな服が欲しいと思ったことがなければ、甘くなまめかしい匂いを求めたこともないし、呼吸が乱れるほど情欲に溺れたこともない。
だからあの日。姉や母のような女達が影鬼に襲われそうになって、影闘士として覚醒したあの日から、自分らしさというものを見つけたのだ。邸に留まる理由も無くなり、空気が澄み切った外に居続ける理由が出来た。
いつもの、近くにある公園に着き、いつものベンチに横になる。夜空を眺めながら思い浮かべるのは、自分の主である竜胆に、闘うことを認められなかった火の影闘士。手を引け、と言われたのはあれが初めてだった。
主が止める程の相手。自分が闘ったら、どうなるのだろうか。
「……闘ってみたい」
それは、初めて光流が自分自身の思いを口にした瞬間だった。