第八十三話 快楽のひと時
乙女の園の最奥に坐する、この園の主たる女のもとに、音もなく光流が現れる。頭を垂れた光流は、一度も主の姿を見たことがない。否、光流だけではない。この園に住む一族の女でさえ、主の姿を見ることが許されない。許されるのは、声を聴くことだけ。
彼女の姿を見るのは、この場所に連れてこられた男のみ。ここに来た時点で男達の死は確定していて、彼女の姿を見て生きている者は存在しないのだ。
「―――今日に遭遇した男二人はしばらく放っておくがいい。影世界に一人閉じ込めたとしても、あの火の影闘士が介入してくるであろう。目途が立ち次第、他の者達と共に動け」
「御意」
主の言葉に、光流はあくまで淡々と返し、音もなく去った。光流がこの部屋からいなくなったことを主が察すると、いつの間にか銀髪と赤い瞳を持つ男が、光流がいた場所に立っていた。スターチスだ。スターチスが来たことに気づいた主は微笑を浮かべる。
「そなたがここに来るのは久方ぶりだのう。ここに来たということは、望む『未来』が視えたということか?」
「ああ。近いうちにやって来る」
会話をする二人の間に流れる空気は穏やかで、心底信頼し合っているのが察せられる。やがてスターチスは、主の女に背を向けて去ろうとする。
「もう帰るのか?」
「……いや。しばらくはここに留まるつもりだ。“あいつ”と会わなければならないからな」
「それも、望む未来に必要なことか?」
主の女の問いに、スターチスは答えない。それが答えだった。広間から出る前にスターチスは彼女に背を向けたまま言った。
「……さらばだ、竜胆」
広間からスターチスが出て行き、一人になった竜胆は寂しそうに微笑んだ。
「……もう少し、言うべきことがあるだろうに。全く、そういうところは昔から変わらないな」
自分が、後に影操者と呼ばれる存在になってから出会った、あの日から。
ここは竜胆邸。外見はただの一軒家だが、扉をひと度開けてみれば、まるで迷宮のように広い邸だ。常時甘ったるい香りが漂う、女が己の輝きを主張する、乙女の園。ほぼ毎日連れて来られる若い男に数多の女が群がり、肉体を交わす。その様はまるで、一輪の花に群がる蝶のよう。見知らぬ場所に連れられて怯える男どもも、このひと時だけは快楽に溺れる。
だが、花も蜜を吸われ続ければ、やがて枯れて朽ち果てる。竜胆の一族と交わった男は、本来ならあり得ぬ苗床となる。種を埋められたことに気づいた時にはもう遅い。成長速度は何倍も速く、男の腹からそれは誕生する。妊娠する経験などすることのない男は、赤ん坊が生まれると同時に死に果てる。味わったことのない苦しみと痛みに絶叫し、果てる。
女の子が産まれれば、可愛がって育てる。男の子が産まれれば、主の餌になる。女の子は小学生から中学生までは他の子どもと同じように学校に通い、中学校を卒業するのと同時に邸に戻ってくる。そこで高校の授業範囲と、夜伽の方法を学ぶのだ。それからは月に数回の買い物と男を連れてくる時以外、ずっと邸の中で生活する。
そんな異常な場所は、誰にも知られていない。神さえも、気づいていない。知っていたのは、苗床となって絶望しながら死んでいった男達だけである。