第七十話 回想:決壊
怜治を中心とした複数の生徒によるいじめは、結羽が学校に登校した時から始まる。殴られて、蹴られて、突き飛ばされる。石も投げられたし、カッターでも切りつけられた。結羽の両親に気づかれないようにする為か、顔は避けているように感じた。怜治の父の、理事長の力でたかが一般家庭の意見や反発を塗りつぶすのは簡単だが、念を押しておくことは大事だと考えたのだ。
結羽の膝や手に出来た傷を見た両親は心配して、何があったのかと尋ねるが、結羽は両親に迷惑をかけたくなくて、転んだ、などと言ってごまかしていた。同級生は次のいじめの標的にされるのが怖くて反抗する者などいるはずもない。教師も仕事を失ったり、社会的抹殺が恐ろしくて、ほとんどの者は怜治の行為を容認していた。一人だけ、怜治に反抗した教師がいたが、その翌日にはもう、学校から姿を消していた。怜治によって学校を辞めざるを得ない状況になってしまったのだろう。
由紀が亡くなってから数週間が経ったある日、その日は怜治の機嫌が悪く、結羽へのいじめがいつもより酷かった。投げた石は結羽の額に当たり、カッターで切りつけられるのと、突き飛ばされる回数がやたらと多い。それでも結羽は泣くこともなく、必死で耐えていた。だが、我慢し続けるのは限界だった。
授業が終わり、小学校から帰ってきた結羽の姿を見ると、アイビーは驚いて駆け寄ってくる。結羽の額には大きめのガーゼが付けられていて、手の甲にもばんそうこうが貼ってある。夏休みが終わって学校に再び行くようになってから、結羽は何故か怪我をよくするようになっていた。今まではよく穿いていたスカートも穿かなくなり、こちらに向けてくれる笑顔も、無理をしているように見えてずっと心配だった。それとなく尋ねても、「何でもないよ」と言うだけだったので、特に詮索はしなかった。だが、これはさすがに放っておけない。
「結羽。……何があったの?」
アイビーは少ししゃがんで結羽と目線を合わせて尋ねる。結羽は俯いてなかなか答えない。するとアイビーは安心させるように微笑んで言う。
「大丈夫よ。私もお父さんも、あなたの味方だから」
その言葉に結羽は瞠目する。話してもいいのだろうか。これはずっと自分の中で抱え続けないといけないものだと思っていた。家族に背負わせたいなんて思っていない。でも、これは一人で抱えるにはあまりにも重すぎて、このままでは潰れるような気がしていて、それでも甘えちゃいけないと耐えてきたつもりだった。なのに。
母の言ってくれた言葉が、結羽の凍り付いた心を少しずつ融かすように、結羽の瞳からは涙がとめどなく溢れてきた。あれからずっと泣いていなくて、せき止めていたものが決壊したかのように。
「……お、おかあ、さん……」
結羽はしゃくり上げながら、泣き出した。そんな結羽を、アイビーは優しく抱きしめた。