第六十九話 回想:問い続けていること
教室の空気が一変したのは、怜治が来た時だ。怜治は自分の机にランドセルを置くと、席に座っていた結羽の前に来る。反射的に結羽が怜治を見ると、怜治から小さな声が発せられた。
「……どうして」
「え……?」
結羽の呟きを聞いた瞬間、怜治は耐え切れなくなったように激しい思いを吐きだした。
「……どうしてあなただけ助かったのですか。どうして彼女が死ななきゃいけなかったのですか!」
その叫びに結羽の瞳は凍り付いた。それは結羽自身があの日から問い続けていることであり、悲しみ、嘆き続けているものであるから。
どうして自分だけ助かったのだ。どうして由紀が死ななければいけなかったのだ。
頭の中で繰り返される問いに、答えなど存在しない。
何も言わない結羽に、何かが切れた怜治はペンケースからカッターナイフを取り出すと、結羽の右手首を掴み、そこをカッターで切りつけた。一瞬の熱を帯びた痛みから、ひりつくような長引く痛みに変わった時、結羽は自分の手首が切られたことを悟った。悲鳴を上げることも出来ず、結羽は手首を押さえてその場にしゃがみ込んだ。
その少し後に遅れてクラスメイト達が悲鳴を上げた。教室から逃げ出す者もいれば、尻餅をついてその場から動けなくなる者もいた。生徒達の悲鳴を聞いて駆けつけた担任の教師は、すぐにある程度の状況を理解できたのか、荒い息を吐きだす怜治からカッターを取り上げる。担任が怜治を叱ろうとした時、怜治は担任に冷たい眼差しで呟いた。
「……余計なことをしたら、あなたをこの学校にいられないようにしますよ」
怜治の言葉に担任は戦慄する。怜治の父はこの小学校もそうだが、この小学校の系列校なども牛耳る理事長だ。そして、彼は息子の頼みは何でも聞いてしまう為、ここで怜治に逆らえば、学校を退職させられてしまうのは目に見えている。担任はやがて、震える手で怜治にカッターを返すと、教壇に戻っていった。
結羽は愕然とした目で、担任の背中を見送ることしか出来なかった。この人はもう助けてくれない。そんな絶望が結羽の心に突き刺さる。
それから結羽の地獄のような日々が始まった。




